汐留にあるパナソニック汐留ミュージアムで開催中の「メイド・イン・ジャパン南部鉄器」展(~3月23日)へ。
南部鉄というのは岩手県の名産の鉄器である。もっとも南部藩は岩手だけではなく青森県の東側も領有していたのだが、何しろ寒い所で農地は凍えていて、収穫不安定のため藩の安定的財政基盤が弱かった。(もっとも江戸屋敷はいいところにあるのだが、将軍の覚えのいい藩だったようだ)
そこで、考え出したのが地元で大量に採取できる砂鉄をつかった製鉄業とその加工品。しかし、時代はすでに江戸時代なので、鉄砲や大砲を作り始めるわけにはいかない。すぐにお庭番や奥州検分にいった松尾芭蕉のようなスパイに察知され、切腹&お取りつぶしになる。
そして、考え出したのが鉄器である。まあ、西日本では陶器の時代になり、ドル箱輸出品になっていたのだが、しかたがない。やかんや鉄瓶、鍋などを作り始めた。そして藩が力を入れるだけ、高級品を作り始めたわけだ。それらの製品は、鉄なのに目立った錆びもなく現代に残っている(手入れは行われているとは思うが)。
そして、明治以降に残っていた多くの作品は、太平洋戦争の時に、金属供出ということになり、戦艦大和の原料になっていったわけだ。
そして、現代によみがえった南部鉄器は、その色や形状で、あらたなアート性の入ったモダン食器の一員に加わったようだ。おそらく、成型がしやすいのだろうと推測。
昨年には、東北復興事業に携わった綾瀬はるかさんも、一丁仕上げたようで、控えめにその作品を展示している(オークションはないから。念のため。)。
そういえば、遠い記憶に、おおた家には南部鉄の赤茶けたすき焼きなべと灰皿があったように思うのだが、どこかに行ってしまったようだ。戦艦の原料になったのだろうか。
かわりに、私の愛用の文鎮が、たぶん南部物だと思う。アート性は低いだろうか。
南部鉄というのは岩手県の名産の鉄器である。もっとも南部藩は岩手だけではなく青森県の東側も領有していたのだが、何しろ寒い所で農地は凍えていて、収穫不安定のため藩の安定的財政基盤が弱かった。(もっとも江戸屋敷はいいところにあるのだが、将軍の覚えのいい藩だったようだ)
そこで、考え出したのが地元で大量に採取できる砂鉄をつかった製鉄業とその加工品。しかし、時代はすでに江戸時代なので、鉄砲や大砲を作り始めるわけにはいかない。すぐにお庭番や奥州検分にいった松尾芭蕉のようなスパイに察知され、切腹&お取りつぶしになる。
そして、考え出したのが鉄器である。まあ、西日本では陶器の時代になり、ドル箱輸出品になっていたのだが、しかたがない。やかんや鉄瓶、鍋などを作り始めた。そして藩が力を入れるだけ、高級品を作り始めたわけだ。それらの製品は、鉄なのに目立った錆びもなく現代に残っている(手入れは行われているとは思うが)。
そして、明治以降に残っていた多くの作品は、太平洋戦争の時に、金属供出ということになり、戦艦大和の原料になっていったわけだ。
そして、現代によみがえった南部鉄器は、その色や形状で、あらたなアート性の入ったモダン食器の一員に加わったようだ。おそらく、成型がしやすいのだろうと推測。
昨年には、東北復興事業に携わった綾瀬はるかさんも、一丁仕上げたようで、控えめにその作品を展示している(オークションはないから。念のため。)。
そういえば、遠い記憶に、おおた家には南部鉄の赤茶けたすき焼きなべと灰皿があったように思うのだが、どこかに行ってしまったようだ。戦艦の原料になったのだろうか。
かわりに、私の愛用の文鎮が、たぶん南部物だと思う。アート性は低いだろうか。