倉敷の大原美術館は大富豪大原孫三郎が世界の名画を集めたところから始まったのだが、世界の超名画の数々を保有している。オークションで買うのは美術館の代理人なので実際に大原美術館に展示しているのに所在不明とされている名画もあるそうだ。
そして、美術館の入口から入った1階の最初の部屋が、その世界の名画の部屋になる。ルノアールやモネ、ピカソ・・
そして、最近は右側の一番奥に配置されているのが、ゴーギャンの『かぐわしき大地』。かなり有名な絵画である。
だが、有名すぎる絵画の運命であるのだが、世界中から「ちょっと貸してくれないか」ということになる。ゴーギャン展の目玉になるからだ。そして、あれこれと交渉が行われて、たぶん複雑な貸し借り勘定やおカネの計算とか行われた結果、「ちょっとでかけてくるから」ということになる。
その結果、今、ニューヨークの近代美術館に出張中になっているそうだ。
で、そうなると、壁に穴があく。(穴があくというのは比喩的な意味で、実際に壁の穴を絵画で塞いでいるわけではないのだが、なぜか私の仕事場だと、本当に壁の穴をカレンダーでごまかしている。)
そのゴーギャンの代役をつとめているのが、熊谷守一の『陽の死んだ日』という、かなり雰囲気の違う絵画である。世界の名画の部屋にはちょっと違和感があるのだが、迫力は負けない。
異能の画家である熊谷が貧困に沈んでいた47歳の時の作である。画家が絵を描かなくなれば貧しくなるに決まっているが、どうしても描けなくなり、貧しくなり、風邪を引いたこどもを医者に連れていくこともかなわなく、次男の陽が3歳にもなれずに亡くなった昭和3年2月28日。亡くなったこどもをモデルに鬼のようになって描いた作品といわれる。陽に何一つ与えられずに亡くしてしまい、我を失っていたということだそうだ。
その後も、轢死者を題材とした絵画について題材不適として展覧会から排除されるようになり、さらに長男も21歳にして失い、その後熊谷は抽象画へ進み、97歳までの超長命を果たす。
『陽の死んだ日』は、個人が所有するような絵画ではないと、ある時から大原美術館が所有しているそうだ。思えば、そう見られるわけではない有名な絵画であるのだが、一人の画家の苦悩と悲嘆、運命というような空気が澱んでいる場所であると感じるわけだ。
そして、美術館の入口から入った1階の最初の部屋が、その世界の名画の部屋になる。ルノアールやモネ、ピカソ・・
そして、最近は右側の一番奥に配置されているのが、ゴーギャンの『かぐわしき大地』。かなり有名な絵画である。
だが、有名すぎる絵画の運命であるのだが、世界中から「ちょっと貸してくれないか」ということになる。ゴーギャン展の目玉になるからだ。そして、あれこれと交渉が行われて、たぶん複雑な貸し借り勘定やおカネの計算とか行われた結果、「ちょっとでかけてくるから」ということになる。
その結果、今、ニューヨークの近代美術館に出張中になっているそうだ。
で、そうなると、壁に穴があく。(穴があくというのは比喩的な意味で、実際に壁の穴を絵画で塞いでいるわけではないのだが、なぜか私の仕事場だと、本当に壁の穴をカレンダーでごまかしている。)
そのゴーギャンの代役をつとめているのが、熊谷守一の『陽の死んだ日』という、かなり雰囲気の違う絵画である。世界の名画の部屋にはちょっと違和感があるのだが、迫力は負けない。
異能の画家である熊谷が貧困に沈んでいた47歳の時の作である。画家が絵を描かなくなれば貧しくなるに決まっているが、どうしても描けなくなり、貧しくなり、風邪を引いたこどもを医者に連れていくこともかなわなく、次男の陽が3歳にもなれずに亡くなった昭和3年2月28日。亡くなったこどもをモデルに鬼のようになって描いた作品といわれる。陽に何一つ与えられずに亡くしてしまい、我を失っていたということだそうだ。
その後も、轢死者を題材とした絵画について題材不適として展覧会から排除されるようになり、さらに長男も21歳にして失い、その後熊谷は抽象画へ進み、97歳までの超長命を果たす。
『陽の死んだ日』は、個人が所有するような絵画ではないと、ある時から大原美術館が所有しているそうだ。思えば、そう見られるわけではない有名な絵画であるのだが、一人の画家の苦悩と悲嘆、運命というような空気が澱んでいる場所であると感じるわけだ。
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