「江戸城再建を目指す会」

2012-10-16 00:00:49 | The 城
先日、東京駅の丸の内側からの再建後の姿を見た後、地下道から八重洲側に回り、仕事上使う予定の商品券を大丸百貨店で購入。実は、この商品券は数日後、神戸の某社(もちろん堅気の会社)に「お祝い」として持参したのだが、その会社の前に大丸神戸店があるという気まずい結果となる。

商品券の話じゃなく、大丸の話でもなく、そのあと八重洲地下街を歩いて再び丸の内方面に行こうとしていたら、地下街の広場に、パネルや模型の天守閣があるではないか。


edojo


天守閣マニアとしては、立ち寄らないわけにはいかないのだが、胸騒ぎの通り、江戸城天守閣だった。

実は、江戸城については特に詳しく調べたこともある。太田道灌の江戸城は、ちょうど皇居の中央付近にあったのだが、江戸幕府の江戸城は皇居の北西側に建物が偏っていた。その一番奥の方にあったのが、天守閣と大奥。この場所は、今は皇居東御苑として、市民に入場料無料で公開されている。外国人が沢山見学している。一番奥に石垣が組まれているが、幻の明暦天下普請の跡である。(実は、早朝の公開時間前には、騎馬隊のお馬さんのかけっこの練習を行っている。めったにお馬の出番はないが、次はいつだろう。慶事ならいいが、皇太子再婚の儀とか。弔事ならまあ、・・)

どうも、話が前に進まない。

実は江戸城天守閣は徳川幕府初期に三度建て替えられている。

1607年(慶長12年)。有名な築城家、藤堂高虎の設計である。近江出身の彼が地元から連れてきた大工一家「甲良家」が、この後、幕末まで、江戸城の一切の工事の総元請けとなり、図面を独占する。

次に、1622年(元和8年)。行政機構でもある本丸の拡張のため、天守閣を移動(というか作り直し)する。この際、仙台の伊達家では、解体した古材を頂戴し、仙台城の再建に使用したい旨のゴマすりを行うが、古材をわざわざ仙台まで運んでから、使用しないで廃棄したようだ。

次が、1638年(寛永15年)。最後の江戸城天守閣である。五重で、かつ巨大で高さも十分だった。遠く北関東から南関東まで一目だったはずだ。しかし、1657年に明暦の大火で焼失。そう、江戸の歴史を見ると、江戸城は何度も火事で燃えているわけだ。街の構造上の問題かもしれない。今も、皇居前広場は緊急時の避難場所になっているが、私は、そこには行かない。歴史に学ぼう。

いや、本当に話が進まない。



そして、明暦の大火のあと、江戸城の一番奥に天守台の石組みまで造り、設計図まであったのに、実際には天守閣は再建されなかった。理由はいまだに明らかにはなっていないが、経済的理由とも言われる。現地調査を一人で行った私見では、天守閣の北側にある大奥の日当りが悪くなるから女たちのエゴで反対者が多かったのではないだろうか。実際、天守閣は役に立たないし。

そして、現代の「江戸城再建を目指す会」が設計図を書いたのは、寛永版天守閣である。実在した最後の天守閣のコピーを作ろうということだ。

個人的には、実在できなかった最後の明暦天守閣の方を造ればいいのではないかと思っている。


が、実は石原都知事は、東京都議会で推進派の質問に対し、こう答えている。

江戸城再建は、基本的に都にとって好ましいことと思う・・と述べ、修復された江戸城天守の、ライトアップされた姿が夜空に浮かび上がったら、都にとっても歓迎すべき光景になる・・と回答しました。


どうも五輪誘致に成功したら着手しそうな感じだ。

そういえば、島の購入費として寄付された15億円を流用すればいいのかもしれないが、最大の問題は建設予定地の地主の同意なのかもしれない。

丸谷才一氏、長編小説書き終わる。

2012-10-15 00:00:26 | 市民A
二日前に亡くなった小説家丸谷才一は、ほぼ10年感覚で長編小説を書いていた。すべて読んでいる。珍しいことにあらすじもだいたいわかる。

 1.『エホバの顔を避けて』 河出書房新社、1960
 2.『笹まくら』 河出書房新社、1966
 3.『たった一人の反乱』 講談社、1972
 4.『横しぐれ』 講談社、1975
 5.『裏声で歌へ君が代』 新潮社、1982
 6.『女ざかり』 文藝春秋、1993
 7.『輝く日の宮』 講談社、2003
 8.『持ち重りする薔薇の花』 新潮社、2011

1925 年生まれなのだから、三十代で、エホバ。四十代で、笹まくら、たった一人、横しぐれ。五十代が裏声。六十代が女ざかり、七十代で輝く日の宮、八十代で薔薇の花である。

個人的にランキングをつけるなら、1位は「たった一人」。2位は「笹まくら」、3位「裏声」といったところだ。読み直したいベストスリーということ。

3作には共通して、ストーリーに緊張感が漂う。社会的観点から話題作でもあった。一方、薔薇の花は、ちょっとよくわからない。通常の10年間隔ではなく、前作が8年で出版されたのは、作者が自分の寿命を意識したからなのだろう。

書き始めたのが遅いような気がするのだが、今後、未発表の初期の作品が公開されたりするのではないだろうか。

ドビュッシー、音楽と美術

2012-10-14 00:00:53 | 美術館・博物館・工芸品
ブリジストン美術館で公開されていた「ドビュッシー、音楽と美術」展へ。

db1


期間満了直前である。したがって館内混雑中である。こどもの頃は夏休みの宿題は、なるべく早く8割方済まして、そのまま忘れてしまい、残り2割で一苦労していた。ウサギとカメのストーリーだ。

db3


ドビュッシーに後世の音楽評論家が名付けたのは「音楽の印象絵画」。当時のフランスでは、美術の分野では印象派の怒涛の進撃があり、ドビュッシーのメロディは、いかにもモネの睡蓮とか印象派の絵画の影響が見られる、と考えられていて、一方、ドビュッシー自体は、そう呼ばれるの嫌っていたようだ。

db2


しかし、彼は印象派の絵画が好きで画家の友人も多数ということだった。たとえば雨音を示すパートは、広重の浮世絵の雨のシーンから採取したのだろうか。

そして、ドビュッシーとストラヴィンスキー。同時期に同じ場所で、同じような分野で作曲を続けていたようだ。まったく作風は異なると思う。20世紀初頭のパリは雑居ビルのようだったらしいのだが、行ってみたいなあ・・

打ち歩詰め回避について

2012-10-13 00:00:43 | しょうぎ
将棋のルールを成文化して定めたのは、2代名人の大橋宗古といわれている。その中に打歩詰の禁がある。言うまでもなく、王を詰ませる最終手で歩を打ってはいけないということ。

実際、大橋宗古の作った詰将棋集には打ち歩詰め問題が含まれているのだが、かなり慎重に確認しているが、飛車、角の不成りという手筋は見当たらないように思える。

ということは、「大駒不成手筋」について二つの疑問が湧きあがる。

 1.誰が大駒不成を考え付いたのか。
 2.初代宗桂とか二代宗古は、知っていたのか。

とりあえず、宗桂、宗古、・・と詰将棋集を確認して行こうと思うし、詰将棋博物館という絶好のサイトもあるのだが、時間の関係もあり、本日のブログに間に合わなかった・・



実は、私が中学生の頃、初めて手にした詰将棋本は父親から借りた「名人大山康晴詰将棋200題」だが、その第一題目が、その手筋だったのだが、わずか盤上4枚、持駒2枚、7手詰め明記なのに、その手筋に思い至るまで夏休みのうち1週間が必要だったことを思い出すと、意外に「思いつく」というのは大変なことなんだろうと思う。iPS細胞だって、そういう性質と言えなくもない。


さて9月29日の出題作の解答。



▲4七金 △同玉 ▲6五角 △同金 ▲4八飛 △5六玉 ▲4六飛まで7手詰。

好手は2手。7手詰めなので、あと1手の好手が欲しいところ。

動く将棋盤は、こちら。


今週の問題。



色々といじくってみたものの、あまりパッとしないことになった。手数はあまり長くない。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数を記していただければ正誤判断。

ノーベル賞中間感想

2012-10-12 00:00:55 | 市民A
murakami弊ブログ10月07日号ノーベル賞の季節に挙げた二人の日本人候補者、山中伸弥氏と村上春樹氏のうち、山中氏○、村上氏×ということになった。二人とも取ってしまうと来年以降の興味が半減しそうなので、まあ、そんなところだろうか。

山中氏については、前のブログで、今年がDNAの二重らせん構造を発見したワトソン=クリック+1が受賞して50年の節目なので、次の段階の研究であるiPS細胞を作った山中氏ではないかという推論を書いたのだが、そういうことなのかどうかは秘密保持期間が切れる50年後に発表されるはずだ。

ワトソンクリックモデルは発見後9年後に受賞にいたっているので、山中氏の場合の6年というのは、確かに短い。もっとも山中氏は50歳での受賞だが、ワトソンは34歳、クリックは46歳での受賞だったので、若いということにはならないだろう。


そして、村上春樹氏。公表はされていないにしろ存在すると思われる「6年に1度の非欧米枠」の年を逃してしまった。6年後には、またもアジア・アフリカ枠で受賞を待つことになるのだろうか。現在は63歳なので、6年後には69歳になっている。『シックスナイン』である。よく考えると、これこそ「春樹氏にふさわしい年齢なのかもしれない」というのは、「ノルウェイの森」を読んだ人にだけ、わかるジョークだろうか。


そして、ノーベル平和賞。まったくわからないが、日本人なら、東京電力の吉田元所長とか、どうだろうか。賛否両論、世論騒然と思うけど。

女たちが変えたピカソ(木島俊介著)

2012-10-11 00:00:39 | 書評
picaso本書によれば、1973年にピカソが亡くなった後、残された約40,000点の作品と所有していた三つの城館、二つの別荘、その他の土地や住居、銀行預金等に対し、6人の相続者がいて、いかなる相続税を支払うかについてフランス政府は頭を痛めることになった。

その結果、ピカソ法とも言われる特別措置として、7400億円と見積もられた遺産相続の中で、3,658点の作品だけを国家が所有するということになったそうだ。

私の記憶では、ピカソの生涯作品数は約70,000点だったので、その5%がフランス国家の財産となったわけだ。(もちろん大統領になっても、退職金代わりに1枚頂戴ということじゃないだろうけど)

そして、それらの国家収集品(これには付随して、日記や書簡もあるそうだ)の中には、他人の目に触れたことのないような生涯隠し持っていた作品群が含まれていて、彼の人生のごくプライベートな秘密が明らかになってきたわけだ。

特に、女性関係。

どうも、若い時から老いにむしばまれる時まで、感情のおもむくまま、女性(特に若いモデル)を押し倒していたようだ。それから絵を描くという順番だったようだ。

もう一つの感情のほとばしりが、闘牛。今は誰も言わないが、20世紀初頭にスペインで行われていた闘牛では、闘牛士が乗る馬には防御帯が付けられていず、牛は殺される前に大暴れをして、多くの場合、馬の腹を角で引き裂き、闘牛場の砂は雄牛の血だけではなく、飛び出した馬の内臓で真っ赤に染まるということになっていたようだ。

ピカソの絵で、牛が馬の腹に角を突き立てるというテーマがあったが、あれはたまたまの事故を描いたものと思っていたのだが、どうもそうではなく、毎回、牛+馬の血まみれ解体ショーが行われていたようだ。

私の個人的体験だが、闘牛のシーズンオフの冬季にスペイン旅行をした際、闘牛場の中を歩くことができた。意外にも、九十九里浜の海岸みたいに、サクサクした砂地であって、走ることはかなり難しい感じだった。血迷った雄牛に追いかけられて逃げを打つ局面になったら、かなり惨めな気分で突き殺されるのだろうと、傍観者的に納得したことがある。

pc本書では深く論じられていないが。総じて、ピカソの絵画の裏側にはギリシア神話の影を感じるし、彼の女性たちとの関係なんかゼウスそのものだ。超大量の資料を残したピカソの研究をすることが果たして何を残すのか想像もできないが「ピカソ研究」というのもなかなか楽しいことなのかもしれない。


本書は、元々は、『ミステリアス、ピカソ 画家とそのモデルたち』という原題を文庫化する時に、『女たちが変えたピカソ』としたのだが、内容から言うと原題の方が正しい。ピカソは女たちに変えられた事実はなく、老いて体力的に押し倒せなくなるまで、本書の記載によれば、何も変わっていないようだ。商業的理由で改題したのだろうが、どうだろう。

渡辺淳一氏風に題名を考えればこんなものだろうか。

『ピカソ 愛の方程式』 。

メリケン波止場で

2012-10-10 00:00:03 | 市民A
つい最近、神戸へ行き、メリケンパークのそばにある、神戸郵船ビルに入った。3階建てで、最近までエレベーターがなかったそうだ。震災前にはビルの屋上に4階として小屋が立っていたそうだが撤去。また隣地にも別館があったものの、取り壊されて駐車場になっているとのこと。

usen


どうも1922年に建造されたそうである。

そして、1ブロック隣にあるのがライバルである商船三井ビルディング。こちらの方が古く1918年。

MO


どちらも、それなりのデザインであると言える。

ところで、メリケン波止場の語源だが、もちろん。メリケン=アメリカン。

アメリカとつながっていることを示し、横浜にも一時、そういう地名があったと聞く。

ところが、当時の事情を詳しく説明すると、たとえば、西海岸→横浜→神戸→上海というのが、基幹航路だったようだ。そうなると、神戸からだと横浜に行くのか、上海に行くのかということになり、直接メリケン波止場というのはちょっとおかしいのではないだろうか。

久留里線の踏切で

2012-10-09 00:00:31 | たび
千葉県の木更津から上総亀山までの間に、単線運行する久留里線だが、ちょうどアクアラインで川崎から木更津側に渡って、さらに圏央道をしばらく進んで木更津東インターで降りたすぐ近くにあるセブンイレブンの駐車場からが、絶好の撮影ポイントなのだが、単線で上りと下りが、1時間に1本ずつなので、あらかじめ時刻表をみていかなければならない。



ゴルフに行く途中に、東京駅からバスでアクアラインを横断した友人を、アクアラインの出口の木更津金田インターにあるバス停でピックアップしたあと、撮影予定地に行くつもりだったが、高速道路上で、覆面パトカーが暗躍していたため、スピードはあがらず、また、インターを降りても前のトラックが過積載の砂利トラだったため、ゆっくり走ることとなり、間に合わないことが、判明。ぎりぎりで踏切に向かうと、ちょうどディーゼル車両が通過するところだった。逆に迫力あり過ぎだ。

それで、久留里線のことを調べているうちに気付いたのだが、開通したのが大正元年12月28日ということだそうだ。つまり、もうすぐ開業100年ということになる。

しかし、・・

開業100年のことなど、誰も語っていないようだ。

新宿でハノイ・フィルを

2012-10-08 00:00:10 | 音楽(クラシック音楽他)
asia先週、東京オペラシティで開催されていたアジア オーケストラ ウィーク2012でハノイ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴いた。2002年に始まり11回目となるが、なんとなく規模が拡大しているというよりも縮小しているのではないかと思えるような感じがあるが、文化庁の予算と関係あるのだろうなあ、と想像している。今年は海外からは2組で、韓国のモッポ市立交響楽団と、ハノイフィル。

なにより文化事業ということでチケットが安いこともあり、当日券売り場で、何げなく前の方の席を選ぶと、実際には4列目のはずだったのだが、2列目の中央寄りだった。1列目と2列目は、実在しない席だった。

ということで、1メートル90センチはあろうと思われる指揮者のクリスティアン・シューマン氏から10メートル以内だし、チェロ奏者の女性群からは6メートルほどの距離。打楽器の方は、ステージ高が80センチ位あり、よく見えない。

もちろん、ホールのまん中で音のハーモニーの余韻を楽しむというのが王道なのだろうが、せっかくの場所なので、演奏家一人ひとりの演奏が直に聴こえてくるわけで、それを楽しむことにする。

演目の1番はド・ホン・クァン作曲「ベトナム狂詩曲」。作曲家の多くは、ソ連時代にモスクワで勉強したそうで、ショスタコービッチの影響があるということだが、本当のところはよくわからない。欧州のドナウ川にあたるメコン川が流れるのだから、そういう悠々としたメロディをイメージしたのだが、大きくハズレ。ヨーロッパとベトナムの音楽の融合を目指しているようだ。滝廉太郎みたいなものかしら。

続いて、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番。有名過ぎる曲。ピアノはルー・ホン・クァン。実際は、こういう有名な曲を弾くのは大変だろうなと思うのだが、若さと体力で完投勝利をおさめる。22歳の彼の今後の課題はダイエットかもしれないけど。

そして休憩をはさみ、「新世界から」。何度聴いても飽きない名曲だ。しかし、アメリカと戦争をして勝った国が「新世界」とは・・。もうベトナム戦争は風化しているのだろうか。目前の敵は、その時の盟友だった中国ということなのだろう。

ちょっと硬い感じがして、シューマン氏が指揮棒を振りまわしている。実は、指揮者に近い席だったので感じたのだが、ステージ全体の音がハーモニーとして聴こえるのではなく、楽器ごとのエリアから音の束のように聴こえてくるわけ。

さらに、耳を澄ませば、席の横の方とか後ろの方とか、リアルな音とは違い時差ずれで音の束がまとめて流れてくることもある。

演奏者にも同じように聴こえているのだろうから、ステージ上では、戦場で銃声や爆撃音や悲鳴に囲まれながら機関銃を打ちまくる二等兵みたいな状態になっているのだろうと想像。

そして、ついに終了。二等兵たちに拍手。

アンコール曲はハンガリー舞曲(ブラームス)。やたらと巧い。


本当は書いてはいけないのかもしれないが、ベトナムの人って、顔相が様々だ。日本人も様々だが、もっと種類が多い。どちらかというと怖い顔だ。中国的、マレー的だけじゃなく、フランス人的な人もいるし、男女を問わず、多くは恐い系の仕事師風。もっとも、「日本はマニアックな音楽マニアだらけ」と誤った予備知識を仕込まれていて、緊張の限界だったのかもしれない。

ところで、指揮者のシューマン氏だが、有名な作曲家のシューマンの末裔ではないかと調べてみたのだが、はっきりしない。シューマンは愛妻クララとの間に8人のこどもを持ったのにもかかわらず、どこかでもらった梅毒で死んだのだが、子どもたちはそれぞれに音楽の才を発揮したことになっているが、それ以上の調査は困難だった。

ノーベル賞の季節

2012-10-07 00:00:44 | 市民A
nobel2012年のノーベル賞受賞者の発表が、明日から始まる。

となれば、日本人候補者として、毎年期待されている二人のことが思い出される。

「山中伸弥」。

「村上春樹」。

その前に、確認事項だが、ノーベル賞の基本概念。

「白人が選ぶ、白人への功績があった白人」。

言うまでもなく、過去の受賞者に非白人は少ない。特に各賞の中でも「生理学・医学賞」と「文学賞」はひどい(経済学賞は白人のためというよりもアメリカ人のための賞だから論外)。

過去の生理学・医学賞受賞者199人の受賞者の中で、非白人は一人だけ。利根川進氏のみである。また、実際には、医学と薬学と生理学というのは、はっきりわけられないのだが、特に純粋医学に関すれば西洋人以外では野口英世がもっとも近かったといわれる位なのだそうだ。

だから日本人学者は、はなから諦めていることが多いのだが、実際には重要な発見をしている学者は多いし、まさにiPS細胞の研究者として山中氏の業績は別格だろう。

しかし、ネット状で噂をみると、「彼の研究は、生命を創るという神への挑戦に近く、西欧人には受け入れられないだろう」という意見があるようだ。

で、私もそうだろうとは思っていたのだが、ノーベル賞のサイトを見ているうち(10月6日現在)に、気が付いたのだが、今年はDNA 受賞の50周年と紹介(宣伝?)しているわけだ。1962年に二重らせんのDNAモデルを発見したワトソン、クリック、ウィルキンスの3名が受賞して半世紀。

なんとなく思うのだが、DNAから一歩先に進んだ研究分野が対象になるのではないかと思うわけだ。(単に、選考過程の守秘義務を50年としていることから、50年前のことを、今年公開しているに過ぎないのかもしれないけど)


次に文学賞。実は白人以外というか西欧語以外の文学が受賞するのは、1988年以降、きっちりと6年に1回ということになっている。

1988年 ナギーブ・マフフーズ(エジプト)

1994年 大江健三郎

2000年 ガオ・シンジェン(高行健)フランス(中国語)

2006年 オルハン・パムク(トルコ)

そして、6年待った甲斐があったのは誰かということだが、村上春樹というのも、ちょっとピンとこない感じもある。確かに多くの国でよく読まれているのだが、受賞後にさらに最高傑作を書かれるとノーベル賞の権威にキズが付くという観点で、老成してからメダルを渡すケースもあるようだ。最近作を読むと、少しペンが鈍ってきたようにも感じるので、そろそろチャンスがあるのかもしれない。一応、私立大学卒業者では日本人初ということになる。だけど、芥川賞に落選したことが響くかも。


その他、ノーベル賞をみて感じるのは、物理学というのは、学問の性格上、「統一理論の追及」という方向にあることで、テーマ(候補者)が絞り込まれてきているのに対し、化学は、「新物質の創造」という方向の学問であることから、学問として分野が分散化して、ノーベル賞候補者が整理券を持って待機中ということになっているように感じる。

そして、見当も付かないのが平和賞。ジャスミン革命関係者だろうか(ザック?)。

あるいは、子ブッシュ+オバマ両氏に、「9.11のかたき討ち成功」を対象にして授与か?

センターバック吉田麻也とタイトル戦出場棋士の関係

2012-10-06 00:00:49 | しょうぎ
最近、将棋の棋士も中卒、高卒だけではなく、大卒、院卒も増えているようだ。そして、最近のタイトル戦に出場した、広瀬章人七段と中村太地六段の対談が行われたそうだ。この二人の共通性というと、同じ大学を卒業したということらしい。

wasedakishi


早稲田大学のOBの人がそういう話をしていて、校友会の広報誌を持ってきてくれた。確か加藤九段や丸山九段という二人の名人経験者もこの学校出身者である。

そして、この二人の直接対局のタイトル戦が期待されているという話になって、両者とも持ち出したのが、羽生さんのこと。二人が対戦するということは、どちらかが羽生さんを負かさないといけないのだが、それについて、広瀬さんは、「羽生さんは強いですね、・・(中略)・・一時代を築いている人はやはり別格だなと・・」。一方、中村さんの方は、「僕は、これまで5回羽生さんと対戦しましたが、まだ勝ったことがありません」ということだそうだ。

道は、はるかに遠い。

それと、サッカー日本代表のセンターバック吉田麻也選手のこともロンドンオリンピック出場者として校友会誌に紹介されていた。現在、早稲田大学人間科学部eスクールに所属しているそうだ。つまり現役ワセダマンということ。ただし、通信教育である。



さて、9月22日出題分の解答。

c12


▲3二角成 △1二玉 ▲1三歩 △同玉 ▲1四歩 △同竜 ▲2二銀 △2四玉 ▲1四馬 △同玉 ▲1三飛打 △2四玉 ▲2五歩 △3四玉 ▲1四竜まで15手詰。

動く将棋盤は、こちら


今週の宿題。意外に詰め上りがみえない。

1006


わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

もういちど開いてみませんか?って

2012-10-05 00:00:21 | マーケティング
島の写真と言えば、繰り返し見ているのが、尖閣と竹島。それらの岩山に比べてずいぶん平和そうな写真である(実際には、背景に滝が見えることから島の中に国境が引かれている可能性だってある)。

island


ナショナル ジオグラフィックの日本版を購入していたのは数年前だが、もう一回再開してみないかという、お誘いの手紙だ。

こんな詩的な表現である。

あなたに見せたかった世界からのメッセージがあります。
知らなければ、何もはじまらない。
だから、もういちど開いてみませんか?
ナショナル ジオグラフィック日本版を


本当は、美しい自然というのが、それほど好きなわけじゃない。美しいものも近づけば、それほど美しくなかったりするし、だからといって遠くから撮影した写真を雑誌で見ても、そんなに感動しない。

以前、顧客管理の仕事をしていた時に、しばらく来なくなった顧客にだけ、来店時のスペシャルサービスをDMで提供して、それでも来なければ、顧客リストから抹消するという仕組みがあったのだが、そういうことなのだろうか。DMをいくら読んでもスペシャルな話は、見当たらないのだけど・・

肉を斬らせて、・・

2012-10-04 00:00:33 | 市民A
腕の内側に、ニキビ状の突起ができて、つぶそうと思っても片手ではうまくいかず、そのままにしていたところ、10年ほどたって、今年になり急に3ミリ程度に大きくなり、やや赤みを帯びてきたため、念のために昼休みに勤務地近くの皮膚科に行くと、「線維肉腫かもしれないので、すぐに切りましょう」ということになり、診断の1分後に手術開始。

局所麻酔をかけて、顔にタオルをかけられたので、手術を見ることはできなかったのだが、予想していたよりも、かなり長い時間をかけて、筋肉まで切っているような感じだった。皮膚を削るか、窒素で焼くのかとか思っていたので、意外な展開だ。



幅も2センチ程度、筋肉も一部を削り取ったようで、縫い合わせるのも内側の筋肉と外側の皮膚と二重になったそうだ。虫垂炎の手術に近い幅で縫ったようだ。

そして、病理検査に出す前の摘出物質とご対面。直径5ミリ程度の球状の肉塊のように見える。

後で、インターネットで調べると、結構、悪性で再発率もあるようだ。ただ、生命にはあまり大きな影響はないようだ。

抜糸するまで、ゴルフクラブを思い切り振ることはできないだろう。

不似合いな駅

2012-10-03 00:00:10 | 美術館・博物館・工芸品
勤務先の近くの駅で改修工事が行われていた。周りには、丸ビルとか中央郵便局とか歴史的建造物があり、それらのビルの建替えにあたっては、賛否両論を配慮し、低層階の意匠にクラシックモデルを活かし、高層階は現代的高層ビルを組み合わせると言う造りが多い。背の高い紳士がスーツを着ていながらスカートを穿いているようで、どうもしっくりいかない。
tokyost1


一方、赤レンガの駅舎は、100年前のデザインを復元したようで、まったくのクラシックモデル。そう、駅には赤レンガが似合うのかもしれないが、なんとなく威厳を重んじた設計であると同時に、満州国の入口の大連あたりにあると、もっと似合いそうだ。そう、諸外国が最近指摘しているように、日本の右傾化の象徴なのだろうか。

たとえば、JR東海の名古屋駅は、実質的には平屋建てのような構造であることを考えれば、JR東日本は、かなり時代主義的のようだ。個人的には、このあたりの風景に違和感を覚えている。

tokyost2


駅舎の天井を写す人が大量にいてそちらの方が面白い感じだ。

そして、丸の内中央口から外を見ると視界は一面に晴れているのだが、その先の皇居には建物は何も見えないようになっている。本来、その空間に、『江戸城』が見えれば、なおよろし、ということだろうか。


みどりの窓口で席の予約を入れていたのだが、駅員同士の私語が耳に入り、駅事務所のどこかに植物園が開業できるぐらい大量の胡蝶蘭が贈呈されているようである。

読んで聴いて10倍楽しめる?

2012-10-02 00:00:12 | 市民A
『クラシックBOOK』という書名で、副題が「読んで聴いて10倍楽しめる」と書かれている。

cb


別に、ささいな問題を大げさにする気持ちはないのだが、「10倍」楽しむといっても、人によってクラシックの楽しみ方はさまざま。日本はC国とは異なり、自由主義の国だから楽しみ方は勝手に決めてもいいのだが、それにしても10倍楽しむというのは、表現として、どうかな。

要するに、曲については、本に別添のCDを聴き、作曲家のエピソードは本を読めということらしい。

それで、好きな作曲家というのも、高校生の頃はベートーベン。大学生の時は、バルトーク。その後、モーツアルト。ラフマニノフやベルリオーズに興味が広がっている。

で、本書を読んであらためて興味が増した作曲家はいるかということになるが、意外にバッハなんかいいかもと思えてきた。なにしろ、子沢山。のべ二人の妻との間で計20人の子供が生まれた。

それと、作曲家というのは、普通の人がいないのですね。

はっきりいって、9割以上が奇人変人。

小室哲也なんて、常識人の口だろう。