国技?あいまいなつけ、横綱制廃止を

2007-08-16 00:00:16 | スポーツ
本来、「八百長(注射相撲)疑惑問題」や「時津風部屋リンチ殺人疑惑」という重大問題があるというのに「朝青龍処分問題」が沸騰している。

すでに公なことばかりだが、朝青龍の問題だけを、考えてみる。

まず、仮病疑惑。第五腰骨疲労骨折というのは、元々怪しい。砕けたわけじゃなくて、一般人の腰痛みたいなものだろう。1週間もすれば相撲ぐらいとれるはず。尺骨の骨折は、三重県の病院の判断は、「入院手術の場合」6週間という意味だったらしい。医者に行かずに治すなら、安静にするだけだろう。

dca354a7.jpgサッカーのこと。まず、巡業というのは、力士が好き嫌いで行く行かないを決めるわけじゃなく、公式行事。江戸の時代は、「1年を20日で稼ぐいい男」と言われた力士だが、現代は多忙だ。だいたい江戸時代は一場所10番で年2場所。現代では15番×6場所=90番だ。さらに、年中、働かなければならない。引退力士がいると、引退興行の日があって、これまた力士全員出場で1番取らなければならない。そういう公式行事をしないで、サッカーに出場。これも、始球式でボールを蹴る程度ならいいのだが、熱くなって走り回り、ダイビングヘッドまでしている。見た感じ、既に骨のヒビは感じられない。それと、すぐにカッとする性格であることが見えてしまう。とても親善ゲームとは思えない張り切りぶりだ。さらに、サッカーと相撲は使う筋肉が違い、体の重心が普通人よりずっと上にある力士がプレーすると、大変危険だ。早い話が倒れやすく、その場合自分が怪我をするだけじゃなく、近くの人間が巻き添えになるだろう。

協会の処分。早い話が「引退勧告」なのだろうが、そう言わないところに日本的美徳を残したら、「本人も」「親方も」やめる気がなく、混乱しているということだろう。もともと最高権威が横綱なのだから、弱くなるだけじゃなくても不始末があれば引退が当然、ということだろう。処分の中で、自宅と自分の部屋と病院以外いかないように、というのを「軟禁」「憲法違反」と考えるところだが、どうもミソは自分の部屋(高砂部屋)ということのように思える。何しろ、この横綱は最近は出稽古と称して2日に1回だけ他の部屋に行っていただけらしく、自分の部屋で稽古していなかったらしい。それも、他の部屋の稽古が終わった頃合を見計らって突撃していたらしく、「横綱の権威の濫用」で他の部屋は困っていたらしい。稽古で疲れきったところに横綱がやってきて、リンチまがいの大暴れをしていく。そして、高砂部屋には、彼の手ごろな稽古相手はいないのである。

本人の考え。おそらく、処分に対して、文字通り受け止めているだけなのだろう。理事長の望みである「任意引退」とはまったく思ってもいないだろうし、だいたい、何年も前から、色々と批判されていることが、「全然わかってない」ということだろう。反省ではなく、「失敗したなあ」と思っていて、むしろ「怒り」と「対策」の混じった心理なのだろう。

交友関係。形成外科医とか馬主、またマネージャーとか取り巻いて、肝心の親方の序列はそれ以下。立て篭もっているマンションには、若い衆を呼びたてて、うさを晴らしているようだ。どうして、こんな師弟関係になったかと言えば、いまや朝青龍がいなければ、高砂部屋には関取がいなくなってしまう。つまり部屋の存亡は親方ではなく横綱が握っているからだろう。なにしろ部屋の数53に対し、関取は70人。出世率の高い外国人も、1部屋1名に制限され、部屋の中では、外国人力士が神様のようにちやほやされる。


国技と言えるのか

まず、普通の人は相撲なんか取らない。危険すぎる。それこそ、体中がヒビとカサブタになるはずだ。完全に観賞用のスポーツになっている。それも、かなりの商業主義だ。前述したように53の部屋が5大勢力に分かれて70人の関取と幕下以下の力士を抱える。どうしても強い力士の確保が第一になり、世界12カ国から力士が供給されている。何が何でも、勝てば官軍なのだ。朝青龍が強くなったのは、放任主義のせいと言われるが、強くない外国人はすぐに交換しないと枠は1名なのだ。

元々外国人といっても、高見山(現東関親方)、小錦(現コニーちゃん)、曙(現まけぼの君)といった先駆者は、米国人。要するにサミットG7国民である。ほぼ、日本と同じ価値観の国である。その後、角界に入ってきたのは、「資本主義」「法治主義」「ジャーナリズム」といった文明と疎遠だった国なのである。「不文律」など通用しないから、「事実上の引退勧告」など意味が通じないわけだ。いままでの口頭注意だってそうだ。花道の座布団を蹴飛ばしたり、髷をもって振り回したりしていいはずがない。それなのに、親方になるには、帰化して日本国籍を取得するというような無理を言うから、わけがわからなくなる。国技なら、日本国籍力士だけにすべきだろうし、そうじゃないなら、外国人親方を認めるべき。というか、親方が多すぎるから、部屋が細分化され、不効率になっている。


横綱制度は必要か

史上最も強い力士は誰か、と言えば、「雷電為右衛門」とは、ほぼ間違いない史実だろう。生涯254勝10敗2分14預41休。優勝回数27回。年2場所で27回の優勝である。年6場所になった後は、大鵬32回、千代の富士31回というのがある。1764年生まれ、23歳で関脇付け出しでデビュー。29歳で大関になる。そして1811年春場所全休で引退45歳ということ。そして千葉県の佐倉市で1825年亡くなる。61歳。

しかし、雷電は横綱にはならなかった。相撲界最大級の謎とされるのだが、当時、横綱は峠を越えた大関の名誉職のようなものだったらしい。おそらく、自らの体力に不安を感じ、突然引退したのではないだろうか。引退したからといって記録がなくなるわけでもなしだ。

朝青龍だって、強い大関というなら、こんなに「品格」なんて理解できないことばで攻められることはなかっただろう。現在の二場所連続優勝で横綱というルールを廃止し、大関在位50場所及び入門後10年というような形での名誉教授のようなルールにしておけば、今回のような異文化衝突の事件にはならなかったのではないだろうか。


ところで、今回の事件だが、既に協会は「白鵬・琴光喜」という新スターを得ているのだから、一刻も早く「引退届」が欲しいだろうし、近く行われるだろう八百長裁判の証言台に立たせることなく永久にモンゴルに帰ってほしい、というのが真の希望なのだろう。

個人的には、八百長問題に決着をつけてからモンゴルに帰ってほしいと思っている。

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ボタンダウンの立場は?

2007-08-15 00:00:26 | 市民A
暑い夏が続いている。電車に乗っても、スーツ姿はほとんどみかけない。男性の多くは、半袖シャツにノーネクタイ。いわゆるクールビズ。そして、先日、白い半袖のボタンダウンシャツを着て、ビジネス上の会食に行き、さらに小規模集団を再編成して、二軒目に水割りを飲みに行く。初めての店だったが、お客の数の数分の1の比率の女性従業員がいる。そして、初対面の女性から、席に座って10分ほどで、ある人物に似ている、と言われる。

”安倍総理”だそうだ。・・・不吉だ!「失脚か・・」と瞬時にコトバが出てしまった。

要するに、白の半袖ボタンダウンというイメージだそうだ。そういえば、選挙戦でも、そういうのが多かったような気がする。男がネクタイをはずすと、どうしてもそのクビの周りとかVゾーンの始末が問題になる。確かにボタンダウンというのは、ボタンがアクセントになっている。選挙戦を戦うのに、金のネックレイスというのではヤクザっぽいし、ファイテンのチタンネックレスでは、「どこか悪いんじゃないか」と誤解されそうだ。

ef5c597a.jpgところが、ボタンダウンというのは、ちょっと違うのだ。特に半袖のボタンダウンというのは、何か「いさぎよくない」感じが漂うわけだ。中国製のDVDみたいなもので、ニセモノ感である。

もともと、このボタンダウンというのは「アイビー・ルック」の定番である。アメリカ東海岸のアイビー・リーグの大学(ハーバードやコロンビアやエール・・、日本の六大学みたいなもの)の学生や教授たちが、ブレザーとボタンダウンシャツにスクールカラーのネクタイを組み合わせて、排他的優越感を味わう風習である。元々は、ニューヨークのアイビー御用達店であるブルックス・ブラザーズの創設者が20世紀の始め、英国でポロ競技を観戦中に、強い風でシャツの襟元が乱れてしまって邪魔になっていたのにヒントを得て、既に経営を任せていた4人の子供たちに「製品化」を指示。経営の老害になりそうなものだが、これが大当たりする。

つまり、ボタンダウンの「半袖シャツ」なんて”あり得ない”し、さらに「ノータイ」なんて、さらにあり得ない、ということなのだ。もっと細かく考えると、ボタンダウンでネクタイを締めるときは、まず、ボタンをはずしてからネクタイを締め、その後で、ボタンを留める。つまり、ボタンが留められていて、そこにネクタイがない状況というのは、帰宅して、ネクタイをはずそうと、ネクタイを緩めてから、するすると引っ張り出した後の状況なのである。つまり、服を脱ぐ途中の状態のわけだ。だらしなく感じるはずだ。

ところで、参議院の議院運営委員会委員長に就任した民主党の西岡武夫(70)氏だが、「参院はネクタイ着用」と発言し、批判され、すぐに前言を取り消した。どうも見学に来る小中学生が制服なのに、ノータイでは、ということだったらしい。一言で言えば老害。

地球温暖化と国会の品格とどちらを重く考えているのだろうか。ネクタイ一本の品格とは笑ってしまう。ネット上で読むと、「こんな民主党に投票したかと思うと自分が情けない」という趣旨の意見が多い。訪れる見学の学生に、ネクタイをはずすように要望し、その際、地球温暖化の問題を共有しようというように考えるべきなのではないだろうか。

さらに、小沢代表がテロ特措法の延長に難色を示しているのに前原前代表は延長賛成論を打ち出すとか・・

もちろん政治家は個人事業なのだから、何を考えてもいいのだが、一応、政党の方針もあるわけだ。チームプレーに慣れていないのだろう。


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落花流水(山本文緒)は、パワー全開?

2007-08-14 00:00:18 | 書評
623a0bd8.jpg最近、山本文緒を読み始めた。今までまったく読んでいなかった作家を読み始め、はまることがあるが、そんな感じだ。今まで読まなかった理由だが、思うに、ペンネームが地味だからかな。本名ではないのだから、もっと華やかな名前がよかったのじゃないだろうか。だいたい、「山本」という作家は、既に何人かいて、イメージを引きづられる。文緒だって、文雄みたいだ。

そして、いきなり読んだのが集英社文庫の『落花流水』。『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞をとったのが1999年、そして直木賞を『プラナリア』で受賞したのが2001年なので、その頃の作品。

主人公は「手毬」という名の女性。しかし、この小説は、「手毬」を含む、この家族類縁の多数の登場人物の一生にわたる恋愛放浪を丹念に書く。手毬7歳、17歳、27歳、37歳、・・と10年刻みで彼女の周りに集まる男女、そして離れていく男女、さらに長い時間の末の再会、そして登場人物の大多数が亡くなっていくという一家の栄衰を大河小説的に描いている。日米混血、家出、家庭内暴力、駆け落ち、誘拐・・・まさに現代的テーマを書き込んでいる。


登場人物たちの多くは、人生の遍歴のあと、やっとつかんだ「つかのまの幸せの椅子」を、揃いも揃って、さっさと捨てて逃亡してしまう。「おっと・・」「おいおい・・」「またか・・」ということ。小説らしくてなかなかいい。しばらく探していた(恋愛小説+冒険小説)÷2にやっとめぐり合ったような感じだ。


ちょうど、読んでいる時に、DVDで『ショコラ』を観たのだが、チョコレートショップ経営の主人公の女性は風のように町に現れ、アメリカ大陸に伝わる秘伝のチョコレート作りをしながら、手ごろな男性をみつけ、なんとか女の子の子孫をつくり、頃合をみて、風のように別の町に消えていく。「プロット同じじゃん」と思ったが口にはしていない。先日、銀座のHOUSE OF SHISEIDOという企業美術館で開かれていた『口紅のとき』という展覧会に角田光代が出品していた、エッセイ『口紅のとき』とも「一部、同じじゃん」という気がする。


ところで、『落花流水』の描く10年毎の世界は、2007年を通り越し、2017年、そして2027年まで達するのだが、どうも残念ながら、20年たってもアルツハイマーは治らない病気のようだ。しかし、健康保険制度はまだ崩壊していないようだし、年金は、今より充実していて、さらに東京郊外には国営老人ホームが立ち並んでいるようである。東京西部へ車で1時間とは、多摩ニュータウンのあたりかな・・


623a0bd8.jpgこの後、山本文緒が30才そこそこで離婚し、無職で苦しんでいた頃から、直木賞作家になるまでの愛と苦闘のエッセイ集『日々是作文』と直木賞受賞作『プラナリア』を読んだ。個人的には、短編集『プラナリア』は少し人生を重く考え過ぎているようなところが感じられ、『落花流水』の派手な冒険主義の方が好みだ。なにしろノンフィクションではなく、小説なのだから。






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ダルビッシュ選手で気になること

2007-08-13 00:00:30 | スポーツ
20歳の男女が結婚することになって、既に妊娠していたといっても、何も驚くことでもないし、「妊娠したら結婚しよう」と思っていた帰結であるのなら、それはそれで、部分的にはステディな感じもする。ただ、交際期間が短いため、相手が「実は食えない奴だった」という場合もあるのだが、この件で気になるのは、まったく異次元の問題。

ふと、気づいたのは、日刊スポーツの見出しから。

ダル代表前向き!結婚機に国籍取得確実 日刊スポーツ - 2007/8/11 10:03
 ・・・ダルビッシュ有投手(20)が北京五輪出場を目指す日本代表入りへ前向きな姿勢を見せていることが10日、分かった。
 ・・・今オフに予定している結婚を機に、来年8月の本大会までに選択が必要だった国籍も日本を選択することが確実になり、代表入りへ加速。星野仙一代表監督が掲げる金メダルどりの使者になりそうだ。
 ・・・現在は父のイラン、母の日本と2つの国籍を有している状況。代表選出のあるなしにかかわらず、日本の国籍法では22歳までにどちらかを選ばなければいけない。本大会期間中の来年8月16日が22歳の誕生日で、イランを選択すれば日本代表入りできず、1つのネックになっていた。だが女優サエコとの結婚を機に、生活拠点を日本に置くのは確実。妊娠6週目の子供のことも考えれば、かねて本人が示していた「両親と相談しますが、日本を選択することになると思います」との方向性は決定的だ。・・・


つまり、本名、「ダルビッシュセファット・ファリード・有」さんは、イラン人でもあり日本人でもあるのだが、日本国籍を取得して、オリンピックを目指そうという記事である。いくつかの事実を集めてみた。

1.二重国籍者は五輪出場権がない。

2.ダルビッシュさんは1986年8月生まれ。現在の国籍法に変わったのが1985年。

3.日本は国籍は出生地方式ではなく血統方式であり旧国籍法は父親の国籍が日本であることが条件だったが、新国籍法では母親の国籍が日本でも日本国籍が認められることになった。

4.22歳までに国籍を日本のみにする方法は二種類。「日本国籍を宣言する方法」か「イラン国籍を離脱する方法」。この「日本国籍を宣言する方法」の場合、別にイランが国籍を消滅させるかどうかは無関係である。例えば韓国は日韓二重国籍者が日本を選んでも韓国籍はそのままにしている。おそらくダルビッシュさんが考えているのは、「日本国籍宣言方式」だろうから、イランから見れば、父親がイラン人なのだからイラン国籍ということになるのかもしれない。

5.イランはイスラム教の国家である。この辺から核心に入るが、イスラム教では男性は4人の妻を合法的に持つことができる。つまり二重(三重、四重)結婚は「可」なのである。もちろん日本は不可。軽い犯罪行為である(というか婚姻届自体が無効)。

623a0bd8.jpg本来、犯罪は発生地の法律で裁くべきものなのだが、この結婚というのが、結婚している状態を指すのか、結婚した場所を指すのかはよくわからないわけだ。重婚しているイスラム男性が何番目かの女性を連れ、来日している状況というのは、十分考えられるのだが、今までに検挙された例は知らない。それどころか、ブルネイの王室などは、よく何番目かの夫人を同伴して宮中晩餐会に出席している。


あまり、考えられない話かもしれないが、仮に同い年の妻に飽きてしまって、やはりイラン人女性の方がいい、といってイランで第二夫人を見つけてきた場合、どうなるのだろうか。

そして、「面倒なことは考えたくない」と22歳選択ルールを無視して、何もしなかった場合は、法律上は「日本国籍を失う」ことになっているのだが、実際には、そういう国籍剥奪は実施していないそうだ。

ところで、「でき婚」ってイランでも合法的に認められるのだろうか?

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フェスタサマーミューザのコバケン

2007-08-12 07:21:17 | 音楽(クラシック音楽他)
川崎駅西口の再開発で、このミューザともう一つ別の商業施設が完成している。ミューザ=コンサートホールと思われているようだが、そうではない。ミューザの中にオフィスビルもあり、コンサートホールもあり、飲食店も多いし、なぜかマッサージ店も多い。そして、奇妙なことにオフィスビルには多くの中央官庁の外郭団体が入居している。例えば、「緑資源機構」がそうだ。別の外郭団体に勤めている男性と先日名刺交換をして、「○○さん、いいところですね。いつもコンサート行けますね。」と本音で話したら、「全然興味なし。勤め、私と変わりませんか?」と怒りのリプライを引き出してしまった。まあ、その団体の仕事は、緑資源機構より役立たず系なので、いずれレクイエムという感じも漂う。

787e7234.jpgさて、夏の川崎といえばサマーミューザ。7月25日から8月12日まで、このミューザKAWASAKIホールでの連続コンサートである。昨年は小林研一郎(コバケン)と日本フィルで幻想交響曲という大物を聴いたのだが、ことしの「炎のコバケン」はチャイコフスキーの交響曲5番。微妙な出し物を持ち出したものだ。解釈の仕方で全然違う交響曲になる代物。

チャイコフスキーが活躍したのは19世紀後半のロシア。当時、国民楽派といわれる作曲家たちが、東欧系の民族的メロディをクラシック界に取り込んでいく過程だった。チャイコフスキーの多くの楽曲も色濃くロシア的旋律を使っている。有名なピアノ協奏曲だってそうだ。

ところが、彼の生涯の後半になると、交響曲4番から6番にかけて、かなりロシアらしさが薄れていく。この5番も1886年にチャイコフスキーが西欧旅行をしたさい、マーラー、リヒャルト・シュトラウスとの交流を通じて思いついた、とされる。伝統的ロシア風味と西欧的近代音楽が混ざり合っている。西欧にロシアを伝えるべく交響曲を書いたのか、ロシア音楽から脱却するために書いたのか。

「ラフマニノフ」の伝記を読んでいると、「チャイコフスキーの突然死」について記載がある。町中が悲しみにあふれ、ほぼ国葬並みである。おそらく、ロシアからの脱出ではなくロシアと西欧の融合を狙っていたのだろう。

そして、一応、数日前にマゼールのチャイコフスキー交響曲全集で聴いておく。誤った場所で拍手しないため。そして、楽団員は夏なのに、クールビズは一人もいない。指揮者だけが「炎のコバケン」になって、楽団員がクールビズでは話にならないのだろう。

787e7234.jpgところで、コバケンが前かがみの姿勢で、両手を前後に振り回して大暴れするポーズは、チンパンジーと同じポーズなのだが。世界的には少しは受けるのだろうか。あまり例をみない指揮者のような気がする。聴くクラシックから観るクラシックになっているのだろうか。何しろ、音がホールの底からから屋根に向かって吹き上げる構造なので、弦楽器よりも金管楽器の音が美しい。どうもここでは地味な演奏はできそうもない。

そして、コバケンのこの交響曲の解釈が、「脱ロシア」なのか「ロシア・西欧の融合」なのか、よくわからないままに終った。彼には向いてない選曲だろうと思えた。あるいは、まだ年齢的に悩めるロシア人の心に到達していないのだろうか。


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不戦敗ぺナルティ100万円は高い?

2007-08-11 00:00:08 | しょうぎ
将棋連盟は、どうなっているのだろう。あと何年、何のためにこの公益法人はあるのだろう。と、かなり疑問を感じる事態が起きている。

この1ヶ月で不戦敗をした3人の棋士に対して、処分が発表された。産経と読売より

不戦敗の2棋士に罰金100万円 将棋連盟 (Sankei 2007/08/09 19:46)

 日本将棋連盟(米長邦雄会長)の理事会は9日、今月の銀河戦で2件続いた不戦敗の該当棋士2人に対し罰金各100万円と、該当棋戦について次回の出場停止処分としたことを発表した。100万円もの高額の罰金を課すのは初めて。
 不戦敗を喫したのは中田功七段(3日)と武者野勝巳六段(6日)。2人とも対局日程を勘違いしたという。2人はこれまでにも日程のうっかり忘れなどで、棋聖戦や王将戦を含めて過去20年間に5回(今回を除く)も不戦敗を喫し、突出していた。
 100万円は、過去に半年間の出場停止処分を受けた棋士が失った手当などをもとに、同額程度として算出された。7月の東西棋士会で厳しい処分を求める声が強かったことなどを受けた、異例の処分となった。
 このほか、7月17日の順位戦C級2組で不戦敗となった中村亮介四段については、今回が初めだったことから謝罪書の提出と、手当の月額30%減(1カ月)とした。


20年間で不戦敗6回、中田七段と武者野六段に罰金百万円(8月9日19時36分配信 読売新聞)

 日本将棋連盟(米長邦雄会長)は9日、公式戦で不戦敗した所属棋士、中田功七段(40)と武者野勝巳六段(53)の2人を、罰金100万円と不戦敗した棋戦(銀河戦)の次回出場停止の処分にしたと発表した。
 それぞれ今月初旬の対局日を、別の日と勘違いして現れなかった。同連盟は、2人がともに過去約20年間で6回目の不戦敗であることを重く見た。高額の罰金を課すのはきわめて異例。
 罰金100万円は、下位棋士の年間対局料・手当の3分の1以上に当たる金額。しかし、他の棋士から「連盟理事会の対応が甘い」「相撲界を見習え」という声が出たこともあり、処分に踏み切った。米長会長は同日、棋戦の主催者を訪ねて謝罪した。



棋界のことを知っている人なら、すぐ思うのが、「もしや、報復攻撃か?」ということ。罰金100万円の処分を受けた武者野六段は、昨年、著作権裁判で米長連盟会長から和解金数百万円を受け取ったはずだ(2000年に武者野六段が「将棋セミナー」として発売したソフトを米長会長が「みんなの将棋」と改題して発売した件)。負けた会長がそのままいるというのも一般的ではないが、どうも「20年間に6回目の不戦敗」というような統計がすぐ出てきたところから、「あらかじめ狙われていた」という感じがしないでもない。

つまり、過去に5回も不戦敗したのだから、いつか6回目があるはず。その時こそ、”痛い目”にあわせてやろう、というわけだ。

不戦敗自体は大変いけない行為で後述するとして、事前に明快なルールもなく、いきなり100万円とはちょっと乱暴な感じがする。暴力団関係の駐車場に違法駐車した場合とか、ある種のマッサージの女性と規定外の行為をした場合などに登場する料金ではないだろうか。

おそらく武者野六段がペナルティ支払い拒否をし、連盟とトラブルが発生し、またも「裁判所で会いましょう」ということになるのではないだろうか。裁判所も、最初に行くまでは抵抗があるものの、一度スリルを味わうとクセになるものらしい。前回の裁判は、武者野VS米長という単に個人対個人の争いだったが、個人対公益法人という関係の裁判があれば、公益法人の権利の範囲についての判例ができるような気がする。テレビ棋戦に対局を売るという行為が公益かどうか、ということもある。

また、下位棋士の年収の1/2が100万円というような発表をすると、いかに、最低ビジネスであるかということが、世間に知れてしまったわけだ。


ところで、不戦敗というのは、どういう状況で発生するか。まず対局通知が棋士のところに郵送になる。対局日を決めるのは連盟の手合係であり、特段の事情のある人は事前に、この手合係に根回ししておくらしいが、いずれにしても一度決まったものは変わらない。実親に不幸があった場合のみ対局の当日キャンセルが認められるそうだ。(先日高柳先生が亡くなられた際は、一挙に対局がキャンセルになったのは例外事項なのだろう)

対局通知は指定場所に郵送され、棋士は受け取ったことを返信ハガキするそうだが、それが完全に守られているかどうかはよくわからない。

そして、対局の場所(東京か大阪の将棋連盟、テレビスタジオ)へ向う。通常は棋士の対局は月3局程度なので、あまり間違えることはない、というか、逆にたまに行くので間違えるのだろうか。遅刻は一般的によくあることで、開始時刻に遅れれば遅刻ということになり、持ち時間から遅刻時間の3倍を差し引かれる。たとえば持ち時間6時間であれば、2時間遅刻すると、持ち時間がなくなり、その段階で不戦敗が成立する。だから、不戦敗というのも時間切れ負けの一種ということになる。

サラリーマンと違って毎日出社するわけではないので、欠席の理由は「うっかり」ということですむ。本当は「前夜飲み過ぎて、対局に出かけても負けるだけだから、不戦敗にしよう」ということであっても口に出す人は絶対にいないだろう。一流棋士に不戦敗がないのは、元々スケジュール帳が詰まっていて、「つい一日間違えた」などという言い訳が通じるはずないからだろう。

個人的意見としては、不戦敗の理由が「事故・急病・入院」「東京と大阪の対局場の間違い」などの個人では予測できない理由の場合は、単に対局料ゼロ(場合によっては、対戦相手に払うべき対局料分をペナにする)。確信的不戦敗については所定の処置(次期当該棋戦出場停止など)がいいのではないだろうか。累積ペナルティを言うなら、今からスタートしなければ、既に6回不戦敗棋士は、いきなりクビ寸前ということになる。殺人罪だって、昨年までは15年で時効だった(今は25年)。20年も不戦敗の罪を負うのは重すぎると思える。

しかし、不戦敗ペナルティ制度を作っても、「今夜は飲みすぎたので、ついでに朝まで飲んで、将棋連盟に寄って、一手だけ指して投了してから帰宅しよう」というような不届き者が現れるかもしれない。
 1.対局前にアルコール検知器使用のこと
 2.眠気覚ましに特定の薬物を使用しないように尿検査すること
 3.無気力将棋を禁止するため、50手未満の負けは、不戦敗扱いにする
などというルールも必要なのだろうか。もちろん外人棋士が現れる前に決めておかないと、相撲界のようになるだろう。


920c1fe0.jpgさて、7月28日出題の地下鉄詰将棋だが、最初の問題(原図)の解答は、

▲8九金 △同玉 ▲7九馬 △9九玉 ▲8九馬 △同玉 ▲3九飛 △9八玉 ▲8九銀 △9九玉 ▲8八銀 △9八玉 ▲9九飛まで13手詰。

ようするに「地下鉄飛車」にこだわったわけだ。対右玉攻略の特効薬の戦法で、左の香を一つ上げてから、9九に飛車を回って端攻めをすれば、部分的には突破できる。

しかし、詰将棋としては簡単すぎる、という声があったため、第二問題(改良図)を速攻で作る。実は、最初の問題で、初手に4四馬という詰みそうな筋があって、そこを改造してみた。第二問題の解答は、

▲5五角 △7七桂(途中図) ▲8九金 △同玉 ▲4九飛 △6九銀 ▲同飛 △同桂成 ▲9八銀 △同玉 ▲9九歩 △8九玉 ▲9八銀まで13手詰。

2手目の△7七桂が最善手(改良途中図)で、8八に金合、銀合では早詰あるいは駒余りになる。△7七桂を▲同角ととると、後手の△同角で角筋が5九に通るため詰まなくなる。この二手目の発見がすべて、と考えればいいのだろう。

この問題は、さらに発展していて、現在では飛車が一枚退場している(現段階図)。解答は省略。


920c1fe0.jpgさて、今週の問題は、かなり軽い問題。どうも詰将棋パラダイス誌では8月号は夏休み用に、難易度の高い問題を集めているようだが、それではせっかくの夏休みがだいなしになるので、軽い問題を置いてみた。最後は地下鉄ではなくモノレールで。

いつものように、コメント欄に最終手と手数と酷評いただければ、正誤判断。



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月光ヤモリ登場

2007-08-10 00:00:31 | 市民A
昨年から、梅雨が明け、季節が夏型に変わると、どこからともなく現れるのが「ヤモリ」。爬虫類の方だ。つまり、ワニやトカゲの仲間だ。爬虫類にはあと、カメとヘビとムカシトカゲがいるだけだ。先日、どこかのテレビでコモドドラゴンを恐竜の子孫というような紹介をしていたが、要するに後足がガニ股に横に拡がっているので、ワニと同様それでは立ち上がることができない。



そして、ヤモリもまた股関節が開いていて、いつまでたっても立ち上がることはできない。が、その必要はない。どこにでもはりつくからだ。

そして、日本で見るヤモリは、学名は「Gekko Japonicus」というらしい。「月光ヤモリ」。ではなく、「日本ヤモリ」。「Gekko」の方がヤモリだ。この日本ヤモリは元々は日本に生息していたのではなく、南方から渡来したらしく、日本の森林といったナチュラルな環境では棲息出来ず、主に民家の戸袋とか軒下とかに隠れ家を作って都会と共生している。郊外の豪邸に住む有名弁護士が都内に小振りのマンションを買って(あるいは買い与えて)、自宅に帰らないようなものだ。

ヤモリで注目すべきは、指の吸盤。建物の壁面とか屋根の裏といった部材には対応可能だが、ガラス面には対応できない、とされている。拙宅のガラスは凹凸のあるタイプ(さらに網入り)なので、張り付くことができたのだろうか。メリットゼロのような気もする。

そして、一般に爬虫類は長寿なのだから、今年、姿を現したのは昨年のヤモリなのだろうか。確かに去年より大型だ。が、残念ながら見分けがつかない。だいたい冬の間どこにいたのだろう。どうも、日本の気候では冬眠することもできないようで、冬の間も餌探しをしなければならないようで、それも生きた虫以外は食べないそうだ。

しかし、いつもガラスの内側から腹の方しか見ることができないのだが、背中の文様や顔つきも見てみたいのだが、それが実際簡単なわけでもない。ガラスの向こうを見ようとすれば、あっという間に消え去るのだろう。物の本を読むと、日本ヤモリは「金色の眼」を持つそうだ。月の光の下で、キラキラ輝く金色の眼で見る光景はどうなのだろう。遠く、先祖の住んでいた大陸から見た月の光を思い出すのだろうか。阿倍仲麻呂の逆パターンだ。



メディア・イノベーションの衝撃

2007-08-09 00:00:05 | 書評
eea45772.jpg1週間ほど前に、一冊の本が送られてきた。「メディア・イノベーションの衝撃・日本評論社」。

この本の内容の前に、この1冊、物理学的意味で、実に重い。無駄な力はゴルフの時にとってあるので、見かけ上の重さに合わせて弱々しく手にとったところ、重さに負けて床に落としてしまった。測っていないが、同じ大きさの本の1.5倍から2倍の重さがあるような感じだ。

出版のことはよくわからないのだが、高級な紙を使っているのだろうか。あるいは逆に薄い紙でページ数が多いのだろうか。ページが増えれば印刷に使うインクの量も増えるからそれで重いのだろうか。第一感は妙なことに、本の重さだった。

そして、なぜ、この定価2,700円プラス消費税の本が送られてきたのか、よくわからなかったのだが、本の中に編集者からのメモが入っていた。つまり、編集者を知っていた。一昨年のオフ会であった方(Tさん)で、半年ほど前にも丸ビルの隣のビルで一杯やった関係だ。そして、この本は、プレゼンターにブロガー(ガ島通信こと藤代裕之さん他)や、新聞社、プロバイダーや大学教授など集め、2006年に連続討論会を開いたものをまとめたものである。

実は、半年ほど前にTさんと会った時は、所属する出版社の中で、ちょっとした不手際を起こし、「出社停止&自宅待機1ヶ月」という朝青龍処分を受ける直前だったと記憶している。彼には逃げ込む国もなかったはずだが、いつの間に、この企画の背後に回っていたとは、曲者である。それともオフ会がきっかけだったのだろうか。

そして内容だが、本の前半部分は、ネット(主にブログ)とジャーナリズムの関係。実際、私はブログを書いているほうなので、この問題は、あえて討論するまでもなく、大部分は実感できる。ブログには、1:9:90という公式があって、ブログを書く人、コメントを書き込む人、読むだけの人の比率だそうだ。

しかし、ブロガーを外からみて客観的にジャーナリズムの内側にあてはめて分析しようとすると、かなりやっかいだ。普通のジャーナリズムは大人数の会社という組織がジャーナリストといわれる人達を雇っていて、様々な媒体(メディア)で、情報を発信する。機能的には、記事を作る人、それを検閲する人、さらにビジネスとして成り立つように配給方法を考えたり、広告を集めたりする人などが関わっている。

ところがブログは個人プレーである。だから・・・

というような話が続く。しかし、考えようだが、実は、そういうのは、あまり考えてもしょうがないような。現実は、既存ジャーナリズムもあり、ブログもあり、使えるものは残り、駄目なものは消える、ということなのだろう。あえていえば、ブロガー以下の能力のジャーナリストは専門知識の勉強でもするしかないだろう。


本の後半は「WEB 2.0がもたらすネット社会の変化」、ということで、特にGoogle論のようなところもある。WEB 2.0も、単に技術革新ということなら驚くことはないのだが、どうも個人情報のところに深く侵入しているような技術に思えてならない。たとえば、検索ワードの解析から、この男はタイプBとか決められて、トップページでその人用のバナーに組みかえられたりとかだ。

また、GoogleやYahooが検索から削除する基準は、旧来のジャーナリストが持っていた人権報道の基準というのとはまったく異なり、削除しなかったままにして、後で訴えられた場合の法的責任ということが基準になっているそうである。


ところで、Tさんが本の間にはさんであったメモだが、「本を書きませんか?」と黄金色の誘惑のコトバが書かれていた(この「メディア・イノベーションの衝撃」は本を書いたのではなく討論会の議事録みたいなもの)。つい最近読んだ山本文緒さんのエッセイ集「日々是作文」の中に、「1冊本を書くと、本を書くことが目標になって、それに追われるようになる」というようなことが書かれていた。おそらく、売れた場合は編集者が次、次、次とせっつくし、売れなかった場合は、どうしたら次は売れるのだろうとか本人が必死に考えるのだろうか。

長谷川町子さんは初版の「サザエさん」の返品の山を、自分で書店に売りに歩き、本の形が他の漫画本と異なっているため、書店が扱うのを嫌がっていることを知ったそうだ。最近は書店経営者の高齢化問題もあり、重い本も問題なのかもしれない。

企業小説を書け、とか情痴小説を書け、と別の社の方に言われたことはあるのだが、それらを合体させると「実録・失楽園パターン」になるのかもしれない。

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凸版印刷との懇談会へ

2007-08-08 00:00:04 | マーケティング
6f609998.jpgここ2日間、凸版印刷の文化活動のエントリを書いたのには理由がある。凸版印刷が消費者(市民)との懇談会を設けて、それに運良く出席することができたということ。先に言っておくが、コンサートと博物館とVRシアターの見学の他、昼食のお弁当とお土産のジュース3本(後述)と小額図書カード1枚(これは別スポンサー)と交換に、さまざまな意見をしゃべり、また書く。

会社側からの大きな狙いの一つは、直接ユーザーと接点がないB2B企業である凸版のユーザーイメージの向上策と、雑誌などでは日本1、2を競うと評判の「進んだCSR活動」についての市民からの評価を知ること、あたりだろう。まず、1週間ほど前に自宅に分厚い資料が届く。「会社案内」と「CSRレポート2006」。内容の前に、あまりに立派過ぎる装丁の二冊の大冊子を前に「そうか、世界最大の印刷会社だった・・」といたく納得。

恥ずかしいので現場では言わなかったが、数十年前に、この会社も就職先候補にリストアップしていたので、だいたいのことは知っていた。大日本印刷と業界を二分していて、この数年前についに一位に浮上。同時に世界一位ということになった。1兆5000億円の売り上げに対して利益率はやや低いがそれでも1000億円近い経常利益を上げている。

そしてこの会社の最大の特徴は、ほとんどの売り上げは、「注文生産」ということである。つまり、印刷というのは「行為」であって、それ自体が完結した製品とは言いにくい部分がある。書籍にしても、チラシにしても、パンフレット、ビール缶の印刷、その他、IT部品にいたるまで、この会社の営業行為は、他の会社からの依頼でなりたつといって過言ではない。B2B企業の所以だ。あえて言えば、この会社自体の目的印刷物は自社の「会社案内」ぐらいかもしれない。


意見交換の中で、あるメンバーからは「別に消費者の手元に”TOPPAN”のロゴが入った製品が届かなくても、十分に有名なのだから、いまさら宣伝広告とか不要じゃないか」という意見があり、そうかもしれないと思ってしまう。むしろ、この会社の独自の素晴らしい技術はたくさんあるのだから、そういう技術を活用していけば、それだけでいいんじゃないかと思うわけだ。

会社が心配しているのは、この先、ネット社会となって紙媒体の売り上げが落ちることらしいが、新聞や雑誌を売っているわけじゃないのだから、この世界一の会社がメシの食い上げになることなど、まったく杞憂もいいところだ。業界には規模も小さく、不効率で過酷労働で凌いでいる中小企業が多数あるのだから、業界が仮に縮小したとしてもつぶれる順番は最後だろう。

そして、十分な利益がある会社にはさらに余裕があるのか、新しい会社の理念として、「作品」ということばを使っているそうだ。最終ユーザーに届く印刷物は「作品」だそうである。もちろん印刷物は一歩間違えば「ゴミ」の世界なのだから、「作品論」は大賛成である。


もう一つのミーティングの柱のCSR。そしてコンプライアンス議論の中で、「どうして不祥事がないのか」ということについて、事前に少し疑問はもっていたのだが、「トップダウンの命令で、下位者の意見を取り入れて制度を作った」ということらしい。要するに「本気でコンプライアンスに取り組む人」が制度を作ったということらしい。さらに、もともと巨大企業のため、例えば、トヨタとホンダの新型車のカタログを同時に作ったりすることが多かったそうで、社内の情報保持体制はかなり完璧なものがあったということだそうだ。多くのグレー企業がバタバタしている状況など、かなり以前に片付いていたわけだ。


6f609998.jpgそして、秘密漏洩にならない範囲で、凸版の始めている新ビジネスだが、一つは紙製のカートカン。プラスティック容器からの切り替えは環境にかなり優しいのだが、今一だ。個人的には、飲料パックのイノチは、「うまそうに見えること」につきるような気がする。そして、水漏れ禁止であるが、凸版の役割は水漏れ対策の方ではなく、「うまそうに見える容器印刷」ということなのだろう。要努力。もらったジュースの印刷は少しくすんでいたので、画像処理で彩度を上げてみた。少しパッとした。


ITは印刷業においてプラスなのかマイナスなのか、本当はよくわからない。会社の売り上げはGDPと相関しているそうだが、その間、IT化はどんどん進んでいるのだから、ITと関係ないのかもしれない。そして、凸版が行っている奇妙なITビジネスをいくつか紹介してみる。

1.Shufoo シュフー ・・・ ご近所の折込、チラシなどを検索できる。もちろん凸版が絡んだものだけだろうけど。

2.Paraly パラリー ・・・ 有名事業者の通販カタログが、ネット上で読める。例えば、ユニクロやセシールなど。

しかし、こういうのは印刷業の延長上の事業ではあるのだが、一体、誰のため、何のため、よくわからないビジネスモデルであることは間違いない。

6f609998.jpg3.フリーDVDマガジン ”CODE NEO” ・・・ 見たけど、よくわからない。とりあえず、DVDマガジンの形を作ってみたということだろうか。この中に、日めくりカレンダー機能がついていて、「きょうは何の日」と「街中美人からあなたへの一言」コーナーがあって、それだけが面白かったのだが、「街中美人」をさがして編集するのが大変なのと、いつの時代のどの媒体でも「美人は得だ」ということなのかもしれない。

さて、辛口エッセイはこれ位にして、これから郵送用の甘口感想文を書き始めることにする。





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印刷博物館で歴史を、そしてVR体験

2007-08-07 00:00:31 | 美術館・博物館・工芸品
bf9982a0.jpg飯田橋のトッパンビルの中には印刷博物館がある。以前、行ったことがあるが、単に見学者その他大勢の中の一人だった。が、今回は学芸員の方の解説付き。なんと、6名もの学芸員の方がいらっしゃるそうだ。学芸員の給料が払えず閉館になった将棋博物館とは大違いだが、それはバックの組織が年間1000億円の利益をあげているか、もともとプラスかマイナスかすらわからない公益法人との差だろう。文化保護の名目で湯船につかっている公益法人の存在が腹立たしくなる。話を戻す。

当日、おつきあいいただいた学芸員の方は、若い美形の○○様。若い女性だと無性に意地悪な質問をする年配の男女が同じグループにいたのでハラハラしたが、慣れているのか、「そういう説もありますね・・」とあっさり争点を避ける。老人攻撃をかわすコツだ(現首相はすぐムキになる)。それよりも、マタニティのまま、段差のある展示印刷機の操作などしていたが、つまづいて転んだりしたら大問題なので、そういう危険な作業は、しばらくやめた方がいい(もっとも6人の学芸員が全員マタニティだったら別だが)。

一応、企業内の博物館であっても、極力、自社の宣伝は入れずに印刷の歴史という中立的な立場で作っているように思える。

さらに、一般的には、グーテンベルグにより活版印刷による大量印刷術が完成し、それが産業革命を爆発させた一因というのが、印刷の歴史の公式だったと思うが、この博物館では、その公式を強く表に出していることはない。そのあたりは、「書籍」「新聞」「ラジオ」「テレビ」「IT」といったメディア論と表裏の関係だと思う。

産業革命の時には、ある技術が別の場所でさらに次の技術革新を産んでいくというイノベーションサイクルがあったのだが、現代の二流国で行われている「サルマネ」とは大きく違いがあるのだが、その説明には、メディア論だけでは不十分だからだ。

いずれにしても、印刷機というのは、もともとはかなりアナログ的技術の蓄積の上になりたっていて、版を重ねれば、インクは品切れになるし、すこしずつ版は曲がってくる。活字にも寿命はあるし・・・

そういうアナログ的問題は今でもまったく同じだそうで、印刷の素材が変わり、超薄膜印刷の技術が進歩してもベテラン職人の技術は重要だそうだ。

bf9982a0.jpgそして、この博物館の一角にガラス張りの印刷工房がある。要するに、古典的な活版印刷機で鉛製(スズとアンチモンを若干混合した合金)の活字を組んで、自分の名刺や多色刷りのパンフレットを作ろうという、勉強会やその発展系のサークルの方が利用しているスペースで、普通の人は入れない。以前、入館した際に、「どうやったら、そのガラスのエリアに入れるのだろうか」と思って、すぐに忘れていたのだが、当日はゲストなので、そのエリアに入ることができた。

20人ぐらいのグループの一人だったのだが、「印刷機に触れると、危ないし、汚れます」と係員の方からの注意に拘らず、手を汚す人が数人いて、怒られている。幼児以下だ。たまたま、サークルの方の途中完成品などがあったが、「やはり、素人には難しいのかもしれない」、と水をさしたくなるが、上達の秘訣は「年季」と「インクの匂いが好きか?」といったことかもしれない。それと若干の「器用さ」と「デザインの能力」。


bf9982a0.jpgそして、博物館という過去の歴史を離れ、同じフロアにある「VRシアター」も特別に見せてもらった。VRは「vertual Reality」の略で、一つの特徴は「三次元的映像」。そしてもう一つの特徴は「筋書きなきストーリー性」ということになる。三次元映像は、既に多くのテーマパークやエキスポ会場などで実用化されているが、ここのシアターでは、「赤緑メガネ」など使わずに湾曲したスクリーンを前にすれば裸眼で鑑賞できる。

現在、本物は補修工事中の奈良の唐招提寺の映像を見たのだが、4台のパソコンに収録された画像データで、画面上の好きなところへ移動すれば、滑らかな画像でどんどん視界が替わっていく。滑らか過ぎて違和感があるのは、人間の視界というのは、歩行という動作によって、目線が上下に揺れているのを脳の中で補正しているから、その揺れがない映像に「きれい過ぎる」という違和感が起こるのだろう。

このVRの世界も、世界的に規格がバラバラだったらしいのだが、最近、ハリウッド主導で「4KVR」という規格に統一される見込みだそうだ(解像度が4Kということ。よくわからないが)。もちろん、別の規格で突き進んでいたメーカーは、大損害ということだ。

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矢野玲子のコンサートへ

2007-08-06 00:00:01 | 音楽(クラシック音楽他)
4f236116.jpg矢野玲子(りょうこ)さんは、国際レベルの若手(25歳)ヴァイオリニストの一人だ。飯田橋のトッパンホールでのコンサートに行く。というか、このコンサートはランチタイムコンサートをいうことで、無料。さらに、このトッパンホールのコンサートに招待されたには、ある理由があるのだが、それは後日。

ランチタイムコンサートなので、本来、時間は短い。昼休みを利用して聴けるようにということで、プログラムでは、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ1番「雨の歌」とラヴェルの「ツィガーヌ」。12時15分から12時45分までの30分間ということだった。

そして、ブラームスのメロディは大河の流れのように、全体としてはゆっくり進んでいくのだが、一方で、細かな技巧的なメロディが繰り返されていく。こういうゆっくりと徐々に流れるような選曲だと、出足がもたもたすると、最後まで立ち直れないことがある。そして、実は、あまり快調には飛ばせない。ピアノはロシア人のセルゲイ・クズネツォフ君だが、付き合いがいいのか、なぜか演奏家二人の世界にはまってしまい、内向的な弾き方になっている。たぶん、ブラームスというのには、ある固定観念があって、どうしてもこういうことになりがちなのかもしれない。

しかし、ラヴェルでは、一転、個性的に変貌する。シベリウスかブルッフかと言うほど、劇的な弾き方に変わる。(ブルッフの協奏曲1番は、実際に以前のコンサートで弾いている)要するに、内向的なピアニストに気兼ねせずに、「自分の世界」で勝手に演奏することにしたようだ。たぶん、矢野さんは「低血圧」で、エンジンからの出力が出るまでに30分かかるのだろう。

最後に、まったく意外だったのが、アンコール。延々20分以上がアンコールタイム。チャイコフスキーの「懐かしい土地の想い出」。しかし、こういう大物が、無料コンサートなどに出演していいのだろうか。


実は、その日は朝から夕方まで、このホールのある凸版印刷ビルにお邪魔していたのだが、後で、聞いた話だが、このホールは「クラシック以外には使用しない」という条件が決まっているそうだ。したがって、凸版印刷の入社式にも使えないということだ。

しかし、単なる一企業である凸版のビルの中のホールの使用目途がクラシックだけに「条件が決まっている」というのは一体どういうことなのだろう。この世界にも大臣による認可制とかあるのだろうか。あるいは補助金。調べるとおもしろそうな臭いもする。

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「負けられない一戦」が消滅

2007-08-05 00:00:04 | しょうぎ
58e1f146.jpg神奈川県のアマ棋界で、大きな位置を占めるのが、毎年夏休みに開かれる「京急将棋まつり」。今年も、8月16日(木)から8月19日(日)の4日間にわたり、京浜急行(横浜市営地下鉄)の上大岡の京急デパートで開催が決まっている。

そして、1ヶ月ほど前に、内々に4日間のスケジュール表をもらっていた。当初、この大会のメインイベントとして予定されていたのは、最終19日午後に予定されていた女流同士の公開対局だった。中井女流六段対斉田倉敷藤花戦。女流独立派のトップと残留派のトップの対局ということだった。

ところが、最終決定されたパンフレットを見ると、この対局がなくなっていた。最終日には中井さんは来るが、斉田さんは前日の18日に登場。最終日の「そこには、負けられない一戦がある」というフレーズだけは残ったが、負けられない一戦は中井さんと小学校大会の優勝者との一戦に差し替えになっている。

実際には、この二人は7月18日の女流王位戦で対局し、その時は斉田さんが勝っている。両者の実力からいえば、年間数局は対戦するのだろうし、一々「負けられない!」と過剰に興奮するわけにはいかないのかもしれない。公開対局がどういう事情でなくなったかはよくわからない。

さらに、一時は名人位か、と言われた郷田九段は単なる九段として、単なる八段の先崎八段とフィナーレ対局だが、やはり肩書きが・・。

となると、この将棋祭りの目玉は、8月17日(金)に予定されている「羽生三冠登場!」ということになるのだろう。トークショーの他に対局も予定されている。公開対局では、羽生三冠対瀬川四段戦という危ない一戦がある。これこそ、「負けられない一戦」なのかもしれないが、逆に、瀬川四段も「勝つわけにはいかない一戦」ということかもしれない。というのも、羽生-瀬川戦の次に予定されている一戦は、最近男性プロにニ連勝中の石橋女流四段対瀬川四段戦だからだ。仮に瀬川四段が羽生三冠に勝ち、石橋女流が瀬川四段に勝つと、石橋さんが一番強いことになってしまう。

58e1f146.jpgそう考えると、本当はファンが観たいのは、羽生対石橋戦なのかもしれないが、7月28日に行われた日本女子プロ将棋協会の設立記念パーティの来賓として、「乾杯のスピーチ」を引き受けるほどのフェミニストである羽生さんのことだから、大きな花を持たせてくれたかもしれないわけだ。






58e1f146.jpgさて、7月22日出題作の解答。

▲5九金△3八玉▲3三飛(非限定)△2九玉▲3九飛成△1八玉▲2九銀△1九玉▲3八銀△1八玉▲2七銀△1七玉▲1九龍まで13手詰め

見てとおりの、形から創った作。途中1九桂の邪魔駒消去がテーマになるが、銀回転で解決。





58e1f146.jpg今週の出題は、詰将棋パラダイス7月(先月)号の裏表紙(デパート)に収録された双玉問題。どちらかと言うと、攻め方より玉方の方に好手が多い。最後の方も気を抜けない。

いつものように、コメント欄に最終手と手数と酷評いただければ、正誤判断。









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赤問題、青問題。「終わりのはじまり」の予感

2007-08-04 00:00:51 | 市民A
最近、赤問題青問題がある。

赤問題とは赤城元農相の問題。どうみても、容疑がますますクロくなったところで、官邸に呼び出され、その場で辞表を書かされた。

このまま行けば、「檻の中」か「犬のリードを首にまく」か「この場で辞表を書く」か、三択を迫られたのだろう。江戸時代なら、「切腹」ということだ。

もちろん、大臣をやめても、問題は議員としての事務所費なのだから、免責になるとも思えない。彼の行動をみていると、一から十まで「自分勝手」ということで、まず政治家としての、まったく初歩的な部分で勘違いしているとしか思えない。彼に対して、もっとも適切な助言は「ヴィジョンなきものは、去れ!」ということ。もちろん、常識にかけているとは思うが、それ以前の問題だろう。

そして、任命者の責任だが、総理の行動もよくわからない。選挙で負けても退陣しない、と言っていて、そのとおり退陣しないなら農相を解任する必要もなかったはず。まさか、小負けなら居直り、中負けなら農相更迭、大負けなら内閣改造程度に考えていたということだろうか。こちらの方は、ビジョンはあるものの、それは総理の頭の中だけでイメージされるもので、その具体的イメージはまったく説明不足なのである。

というか、彼の理想としている「美しい日本」は、彼の同世代ばかりでなく、少し上の団塊世代の中にもあまり同感をもつ国民は少ないのではないだろうか。そして、”時期を逸する”というのは戦中の日本の首脳部が、戦争に負け始めてから、停戦の機を逸し、大損害を出していった過程そのものなのではないだろうか。


そして、青問題とは朝青龍問題。ネット上で見ると、朝青龍に対しては、同情論(かわいそう)と批判論(まだ生ぬるい)が交錯している。というか、別に議論になっているわけではなく、両論があるというだけだが。

同情論の主な趣旨は、

1.外国人だから日本のルールを押し付けるのは行き過ぎ。
2.二場所出場禁止は罰が重過ぎる。
3.自宅、病院、稽古場の3箇所だけ外出許可というのは執行猶予の被告みたいだ。(憲法違反)
4.もともと嫌われ役(ヒール)を演じていて、代わり(白鵬)ができたからクビではかわいそう。

といったところ。

批判論としては、

1.郷に入れば郷に従えというので日本のルールに従うのが筋
2.罰が軽すぎる。仮病は許せない。
3.外出したら即刻クビだ。
4.もともと、態度が悪かったのだから、今までが甘すぎた。新横綱もいるのだから、もういらない。

といったところ。

その他、理事長や親方に対しても厳しい意見があり、

1.赤城問題と同じで、自らクビを切れないトップの能力。
2.弟子をまったくコントロールできない親方のだらしなさ。
3.相撲界の問題を批判しないNHK。
4.頼まれるとすぐに診断書を書く、病院。
5.自動車の運転を内規で禁止していて事故を起こした力士を一場所出場禁止にしたこととのバランス。

のような意見がある。

個人的には、本当に仮病なのか、病気を治さないつもりなのかはっきりしないのだが、少なくても、禁止事項とか処分の方法については、ルールを明文化したり、懲罰委員会で基準に基づいて行った方がいいと思う。それと、外人力士にとって、帰化しなければ、将来、協会に残れる可能性がない、という現在のルールも国際スポーツには似合わない。もし、引退後も、長く、協会の仕事をしようというなら、嫌なことでも少しはガマンできるものだ。


たとえば、今後、彼が強引に帰国して、協会が解雇通知を郵送したところ、「解雇処分取消し裁判」が始まって場所が開けなかったり、「八百長についての真相?暴露?」が始まった場合、どうなっていくのだろうか。

とりあえず、精神科医への通院治療が必要ということで、新たな外出先一ヶ所をゲットしたわけだ。

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「果てしなき渇き」ではミステリ渇きは潤わず

2007-08-03 00:09:28 | 書評
2e90b71c.jpgミステリにも様々なタイプがあるが、自分勝手に二分すると、コナン・ドイル型の「静的推理」とハメット型の「動的冒険」になる。さらに、探偵型、警察型、アウトロー型、スパイ型・・というように主人公の職業で分類することもある。そして、私の好みはどちらかというと冒険型ミステリー。

さらに、冒険型といっても、ハードボイルドかアドベンチャーか、とか分化していくのだろう。早い話が、複雑な話が苦手なわけだ。平塚5遺体事件なんかの人間関係図など、頭が痛くなる。

そういう意味で、この「果てしなき渇き・深町秋生/宝島社文庫」などは、適当な筋書きの難易度と、スピード感のある展開は、好みのはずだった。しかも文庫本の帯には、第3回『このミス』大賞受賞作、とハクがついているではないか。

ところが、ちょっと好みじゃなかった。主人公は元刑事の男だが、感情移入できない。失踪した娘の行方を追うように別れた妻から頼まれる。その辺の設定に無理がある。さらに、この男、犯罪行為を犯しすぎるわけだ。ニセ刑事を演じたり、自らシャブを使い、クルマで暴走したりあらん限りの乱暴を働く。ハリウッド映画でカーチェースの末、犯人を逮捕するまでに町に100億円の損害を与えるようなノリで無駄遣いする。

そして、その割りに犯人たちの行動は、常識的悪事で予想がつきやすい。

どうして、こう悪いバランスになるのか考えてみると、現代人の日常の中で、犯罪行為がそう多いわけでもない。しかし、たまに強烈な事件が起きる訳だ。そうなると、さらに事実よりも強烈なストーリーが必要となるが、そうすると、さらに荒唐無稽になる。要は、ミステリやアドベンチャーとか、書きにくい時代ということかもしれない。

「このミス」大賞というのも、そういう現状を打破し、より面白いストーリーを読者に提供しようという試みなのだろうが、個人的には、選ばれた作品に、あまり食指が動かないような気がする。

それに、ストーリーの中で、しつこく警察組織が登場するのだが、あまり警察頼みのミステリは、面白くないものなのだ。

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クッチーナ・フェリーチェで買ったもの

2007-08-02 00:00:30 | マーケティング
0eb93c36.jpg今、大繁盛のクッチーナ・フェリーチェ(La Cucina Felice AOYAMA)へ行く。別名、青山の合羽橋とでもいうべきか、かなりEU的な先進の調理用具が買える。この店で、何かコジャレな物を買ってプレゼントするというのが「交際中の女性の自宅に上がりこむ為の作戦の一つ」らしい(贈った包丁で、将来、刺されたりバラバラにされても知らないが)。

場所は、東京メトロの表参道駅から青山通り(国道246)を渋谷方面に向かい、青山学院正門の道路反対側にあるMUJIの店の脇を路地に入って数分歩くと、突き当たり感のある場所(突き当たりではない)に新しい白い中層ビルがあり、その1階である。

まず、店舗が広い。楽しい反面、探すのが大変だ。新しい調理器具というのは、覚えにくい妙な名前がついていて、店員さんに聞くのも難しい。第一、今まで見たこともないような器具は、店頭で発見するしか入手する方法はあり得ない。が、目的の商品は決まっていた。正確な商品名はよくわからないし、実は、入手したあとも、包装を直ちに捨てたのでわからないままになったので、私が勝手にリネームしてみた。

パイナップル・ドリル

つまり、パイナップルを買ってきた場合、普通は、それをバラして切り刻んでテーブルに載せるまでに、結構な格闘をしなければならないのだが、それを簡単に行うための器具である。

種を明かせば、テレビで観たわけだ。TBS傍系会社に所属するアズミアナとオセロ(二人とも)が出演していたのでTBS系と思うが、いとも簡単にパイナップルを解体していたのだが、TVでみても、どうにもよくわからないわけだ。普通考えれば、パイナップルをバラすなら、

1.ヘッドとボトムを切り取る

2.円筒型に繰り抜く、あるいは皮をむく

3.芯を繰り抜く

4.円筒を輪切りにする

という4段階(2と3は同時にできるかもしれないが)作業が必要と考えられるわけだ。

0eb93c36.jpgで、謎を解読するために、現物を入手に行く。→ところが、店頭品切れ。やむなく、発注することにする。手ぶらで帰るのは嫌なので、余計なことに、隣にあったアボガドカッターを購入してしまい、さらに、ポイントカードまで申し込んでしまう。

ところが、品切れ入庫待ちだったものが2日後に宅配される。店頭品切れはアボガドカッターを売るための戦術だったのだろうか。

そして、ついにパイナップルと対決の日がくる。しかし、パイナップルは工場生産品ではないので、個体差が激しい。一応、妥当なサイズのものを買ってくる。

作業1はパイナップルの葉のついた頭を落とす(おおた注:実際に生えているパイナップルは、葉の部分が下で、果実が上なので、「頭」という表現はまったく間違えなのだが、便宜的表現)。これは包丁で行う。

作業2は切り口にカッターのついたステンレスの円盤部分をあてがう。

作業3は取ってを持ち、右回しにグリグリと回転させる。すると、円盤部分がナナメに果実に食い込んでいき、10回転ほどして底に到達する。(底は固いので、ゴリゴリという感触に変わる。)作業はこれで終わり。

そのまま、えいっと取ってを引張ると、すっぽりと中身が現れる。

0eb93c36.jpgどういう状態かというと、中の芯は既に抜けていて、パイナップルが螺旋型に切り取られている。表現はかなり悪いが、「立体蚊取り線香」というか「ヘビのとぐろ」というか「腸詰ソーセージ」というか、実はバネのように一本なのだ。

取ってを抜いて、上から縦に包丁を入れれば、半切りドーナツ状のパイナップル片が一気に完成する。確かに、全作業が2分で終わる。


ところが、パイナップルを繰り抜いた後の容器状のボディだが、まだたっぷりと側面に果肉は残っている。当り前の話で、パイナップルは工業製品ではないから形は一つずつ違う。この残りのボディについた果肉の処理だが、一般的には3つの処理方法が考えられる。

1.そのまま捨てる

2.パイナップル容器を使ってフルーツバスケットを作る

3.容器をばらし、魚の三枚おろしのように、果肉を切取る

たぶん、米国人は1を選び、日本人は3を選ぶだろう。2を選ぶのはハワイの日本人向けレストランだけかな。


0eb93c36.jpgそして、ついでに買ったアボガドカッターは、いまだによく使い方がわからない。アボガドに対して器具が大きすぎる。


そして、この店で、次に売り切れそうな商品は、「手動ひき肉器具」かもしれない。もちろん、ミートホープ社の影響であって、バラバラ殺人事件発覚の影響ではない。

さらに、パイナップル・ドリルはステンレス製なのだが、実は中国製。錆びないはずのステンレスがパイナップルの強い酸で茶色になったりすることはないのだろうか。


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