ボタンダウンの立場は?

2007-08-15 00:00:26 | 市民A
暑い夏が続いている。電車に乗っても、スーツ姿はほとんどみかけない。男性の多くは、半袖シャツにノーネクタイ。いわゆるクールビズ。そして、先日、白い半袖のボタンダウンシャツを着て、ビジネス上の会食に行き、さらに小規模集団を再編成して、二軒目に水割りを飲みに行く。初めての店だったが、お客の数の数分の1の比率の女性従業員がいる。そして、初対面の女性から、席に座って10分ほどで、ある人物に似ている、と言われる。

”安倍総理”だそうだ。・・・不吉だ!「失脚か・・」と瞬時にコトバが出てしまった。

要するに、白の半袖ボタンダウンというイメージだそうだ。そういえば、選挙戦でも、そういうのが多かったような気がする。男がネクタイをはずすと、どうしてもそのクビの周りとかVゾーンの始末が問題になる。確かにボタンダウンというのは、ボタンがアクセントになっている。選挙戦を戦うのに、金のネックレイスというのではヤクザっぽいし、ファイテンのチタンネックレスでは、「どこか悪いんじゃないか」と誤解されそうだ。

ef5c597a.jpgところが、ボタンダウンというのは、ちょっと違うのだ。特に半袖のボタンダウンというのは、何か「いさぎよくない」感じが漂うわけだ。中国製のDVDみたいなもので、ニセモノ感である。

もともと、このボタンダウンというのは「アイビー・ルック」の定番である。アメリカ東海岸のアイビー・リーグの大学(ハーバードやコロンビアやエール・・、日本の六大学みたいなもの)の学生や教授たちが、ブレザーとボタンダウンシャツにスクールカラーのネクタイを組み合わせて、排他的優越感を味わう風習である。元々は、ニューヨークのアイビー御用達店であるブルックス・ブラザーズの創設者が20世紀の始め、英国でポロ競技を観戦中に、強い風でシャツの襟元が乱れてしまって邪魔になっていたのにヒントを得て、既に経営を任せていた4人の子供たちに「製品化」を指示。経営の老害になりそうなものだが、これが大当たりする。

つまり、ボタンダウンの「半袖シャツ」なんて”あり得ない”し、さらに「ノータイ」なんて、さらにあり得ない、ということなのだ。もっと細かく考えると、ボタンダウンでネクタイを締めるときは、まず、ボタンをはずしてからネクタイを締め、その後で、ボタンを留める。つまり、ボタンが留められていて、そこにネクタイがない状況というのは、帰宅して、ネクタイをはずそうと、ネクタイを緩めてから、するすると引っ張り出した後の状況なのである。つまり、服を脱ぐ途中の状態のわけだ。だらしなく感じるはずだ。

ところで、参議院の議院運営委員会委員長に就任した民主党の西岡武夫(70)氏だが、「参院はネクタイ着用」と発言し、批判され、すぐに前言を取り消した。どうも見学に来る小中学生が制服なのに、ノータイでは、ということだったらしい。一言で言えば老害。

地球温暖化と国会の品格とどちらを重く考えているのだろうか。ネクタイ一本の品格とは笑ってしまう。ネット上で読むと、「こんな民主党に投票したかと思うと自分が情けない」という趣旨の意見が多い。訪れる見学の学生に、ネクタイをはずすように要望し、その際、地球温暖化の問題を共有しようというように考えるべきなのではないだろうか。

さらに、小沢代表がテロ特措法の延長に難色を示しているのに前原前代表は延長賛成論を打ち出すとか・・

もちろん政治家は個人事業なのだから、何を考えてもいいのだが、一応、政党の方針もあるわけだ。チームプレーに慣れていないのだろう。


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