落花流水(山本文緒)は、パワー全開?

2007-08-14 00:00:18 | 書評
623a0bd8.jpg最近、山本文緒を読み始めた。今までまったく読んでいなかった作家を読み始め、はまることがあるが、そんな感じだ。今まで読まなかった理由だが、思うに、ペンネームが地味だからかな。本名ではないのだから、もっと華やかな名前がよかったのじゃないだろうか。だいたい、「山本」という作家は、既に何人かいて、イメージを引きづられる。文緒だって、文雄みたいだ。

そして、いきなり読んだのが集英社文庫の『落花流水』。『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞をとったのが1999年、そして直木賞を『プラナリア』で受賞したのが2001年なので、その頃の作品。

主人公は「手毬」という名の女性。しかし、この小説は、「手毬」を含む、この家族類縁の多数の登場人物の一生にわたる恋愛放浪を丹念に書く。手毬7歳、17歳、27歳、37歳、・・と10年刻みで彼女の周りに集まる男女、そして離れていく男女、さらに長い時間の末の再会、そして登場人物の大多数が亡くなっていくという一家の栄衰を大河小説的に描いている。日米混血、家出、家庭内暴力、駆け落ち、誘拐・・・まさに現代的テーマを書き込んでいる。


登場人物たちの多くは、人生の遍歴のあと、やっとつかんだ「つかのまの幸せの椅子」を、揃いも揃って、さっさと捨てて逃亡してしまう。「おっと・・」「おいおい・・」「またか・・」ということ。小説らしくてなかなかいい。しばらく探していた(恋愛小説+冒険小説)÷2にやっとめぐり合ったような感じだ。


ちょうど、読んでいる時に、DVDで『ショコラ』を観たのだが、チョコレートショップ経営の主人公の女性は風のように町に現れ、アメリカ大陸に伝わる秘伝のチョコレート作りをしながら、手ごろな男性をみつけ、なんとか女の子の子孫をつくり、頃合をみて、風のように別の町に消えていく。「プロット同じじゃん」と思ったが口にはしていない。先日、銀座のHOUSE OF SHISEIDOという企業美術館で開かれていた『口紅のとき』という展覧会に角田光代が出品していた、エッセイ『口紅のとき』とも「一部、同じじゃん」という気がする。


ところで、『落花流水』の描く10年毎の世界は、2007年を通り越し、2017年、そして2027年まで達するのだが、どうも残念ながら、20年たってもアルツハイマーは治らない病気のようだ。しかし、健康保険制度はまだ崩壊していないようだし、年金は、今より充実していて、さらに東京郊外には国営老人ホームが立ち並んでいるようである。東京西部へ車で1時間とは、多摩ニュータウンのあたりかな・・


623a0bd8.jpgこの後、山本文緒が30才そこそこで離婚し、無職で苦しんでいた頃から、直木賞作家になるまでの愛と苦闘のエッセイ集『日々是作文』と直木賞受賞作『プラナリア』を読んだ。個人的には、短編集『プラナリア』は少し人生を重く考え過ぎているようなところが感じられ、『落花流水』の派手な冒険主義の方が好みだ。なにしろノンフィクションではなく、小説なのだから。






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