七人の侍(1954年 映画)

2020-04-13 00:00:43 | 映画・演劇・Video
黒沢明監督。三船敏郎と志村喬がW主演。戦国時代の最終盤(1586年)。豊臣秀吉が九州征伐を行った年だ。つい最近、「太閤と百姓」という歴史書を読んだので、まさにその時代の荒廃した農村が舞台である。秀吉が天下統一を達成する過程で、多くの戦いがあり、当然ながら負けた方は、死者多数となるが、かなりの将兵は逃げ出している。山中にひそんだり、池にもぐって頭に水草をかぶり死に物狂いで生き延びる。



そうなると、大将のいなくなった武士は、ほとぼりが冷めるまで放浪の旅をするしかない。運がいいと、再就職の道が開けるが、腕が立たないと使ってもらえない。就職試験の代わりに腕試しを命じられて、殿の目の前で斬殺されることもある。当然ながら世渡り上手にならないと生き残れない。最悪は野武士というあいまいな山賊になり、旅人を追いはぎしたり、農家の収穫期を見計らって略奪をはたらく。

百姓は、正規の年貢のほかに野武士にも財を取り上げられる。歴史書に書いてある通りだ。

そして、ある村では、流れ者の武士を雇って、用心棒にしようということになる。現代的にいうと、何らかの理由で警察官をクビになった男たちを集めて、三食付き宿泊無料でホテルに泊まれる代わりに、暴力団関係者や政治家秘書からの圧力に対し、暴力を持って排除しようということだ。

そして、集まったのが七人の武士。大部分が剣の達人で、戦略にも詳しい。もっとも野武士は馬も持っているし、種子島と呼ばれる火縄銃も使う。百姓の自衛団は竹槍が主力の武器だ。この映画のように鉄砲に竹槍で対抗しようとしたのは360年も後なのだから、情けない。

結果、野武士を全滅させるために、多くの百姓と七人の侍の中で四人が戦死した。三船敏郎は最後に野武士団の首領と相打ちで戦いに終止符を打つ。


本作は、国内外で高い評価を得て、日本映画史の最高傑作とも言われたのだが、1954年頃には、日本には多くの農民がいて、相変わらず苦しい生活を送っていた。しかし、それから50年以上の歳月が過ぎ、日本から農民や農業が消滅し、元農地だけが残るということになってしまえば、この映画の見どころを理解することも難しくなるのだろうなと、心配になる。

余談であるが、本映画の出演者は、農家の子供たちを演じたエキストラの子役以外はすでに他界されているようだ。七人の侍のうち、映画の中では生き残った三人が、実は先に亡くなっている。映画の中で、最初に討ち死にした侍が、最後まで頑張ることになった。