雨の宮古墳群(中能登)

2020-04-09 00:00:21 | たび
雨の宮古墳は能登半島の比較的南の方にある。滋賀県には雨宮古墳というのがあって、間違いやすい。古墳群といっても堺にある天皇(大王)の古墳群という日本版王家の谷のように巨大ではない。コンパクトに36基の大小の古墳が揃っている。非常に珍しいのは、前方後円墳と前方後方墳の二つの墓がならんでいること。

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発掘は手前の方から行われたため、この二基は比較的新しい墓で、奥に行くと小さな古墳が並んでいる。二つの形の墓が存在しているということは、その頃の日本に何らかの文化的変革があったと思われるが、よくわからない。日本にとって3世紀から5世紀までは国家形成に重要な時期だったはずだがその詳細はわかっていない。

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わかると、困る人たちがいるわけで、天皇陵の可能性がある古墳が研究されないためだが、雨の宮古墳の場合、36基の古墳があるわけで、天皇陵ではなくても地方豪族だったことは間違いないだろう。さらにかなりの長い期間、土地を治めていたことが感じられる。土地が民間地であるということは調査には都合がいいが、とはいえ許可とおカネが必要ということらしい。

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縄文時代から弥生時代前期の研究は進んでいっても、その後の弥生時代後期から古墳時代の研究が進まないと、歴史に穴の開いた状態は、いつまでも「神話時代」のままということになる。

毎年、夏から秋にかけて「雨の宮古墳まつり」というのがあって盛り上がっているそうだが、昨年は台風で中止になったようだ。

古代のことはよくわからないが、現代人は、墓場で盛り上がっているわけだ。もしかしたら、埋葬された人物は、わたしたちの祖先なのかもしれないのだが。

たとえば1700年前から1世代25歳とすると現在は68世代目になる。仮に人口が同じで(2000万人と仮定)、外部流出入がないとすると、二人の子供に遺伝子の1/2が引き継がれるとして、625年後の西暦925年、25世代目は3355万分の1となり、全人口に遺伝子が行き届くことになる。(逆をいえば、現代人は誰でも西暦1400年頃より前の歴史上の人物の直属の末裔である可能性が高いわけだ。足利義満より前。知らない方がいい場合もあるだろう。)