太閤と百姓(松好貞夫著)

2020-04-08 00:00:40 | 歴史
1957年の岩波新書。かなり古い。コロナ禍により外出不自由で読む本の在庫はあまりなく、大きな書店も近くにないし、かといって予約だけ受け付けている図書館から借りる本はウイルスフリーかどうかも不明だし、宅配業者も忙しいだろうし、本の注文なんて不急不要もいいとこだ。ということで、父親が残した本を段ボールの上の方から探して読み始める。つい最近は「豊臣秀吉」という本を読んだので、成り行きだ。

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それで、内容だが、実は太閤秀吉の行った政策により、今まで戦国時代の間に徐々に崩壊していった農村経済が、武士階級による農民からの搾取構造という形で確立した、という内容で、農村がいかに武士によって荒らされて、好き勝手されたあげく、二公一民(所得税率67%)という高税に苦しむことになったか、という内容が、ずっと書き続けられるわけだ。

感じとしては「著者はマルクス・レーニン主義者なのだろう。ロシアの農奴制のような書き方だな」と思ったわけだ。実際1957年というと昭和32年。戦国時代の農村よりも戦前の小作制度のイメージがあったのではないだろうか。戦前の小作制度こそロシアの農奴制に近い仕組みで、中世から近世にかけての方が農民の自由はあったように思う(地方にもよると思う)が。

全編を通じて、「農民側が被害者であって、武士も商人もけしからない」という書きかたなのだが、実際に当時の人口の80%が農民世帯だったのだから、ある程度の社会を維持するためには、統治機構としての武士とか大名が必要だったはずで、致し方なかったような気もする。秀吉も家康もやっとの思いで中央集権と地方分権の中間的統一国家を作ったわけで、百姓に冷たいと一言で評価していいのかは考慮が必要だと思う。農村に必要なのは、作量増加のための技術開発と米作以外(たとえば東北地方では芋作などもしべきだった)の転作だったように思っている。

搾取という見方からいうと、まさに現代の現政権下において国民の80%が会社員で、結構高率の租税負担を担っていて、そのリターンが将軍のゴル友や夫人のノミ友に再配分されるサマと、相似とも思える。

著者は後で経歴を見ると、どうも大名の経済に詳しい方のようで、「歴史上の金持ち側の経済」と「百姓やアイヌ民族といった差別された人たちの経済」という二刀流で著書をなしていたようである。

ところで、著者の松好先生は、間違いなく「秀吉が嫌い」なのだろう。『彼(秀吉)自身がいわば中世史の集約的な表現なのだから』と書いている。実際は江戸時代の政策の多くは秀吉の作った社会構造の上に立っている。

好きな人と嫌いな人はどちらが多いのだろう。