雷電為右衛門、横綱ならずの真相は

2018-11-09 00:00:48 | スポーツ
史上最強の力士と言われるのが雷電為右衛門。1700年代後半から1800年代前半に活躍した怪力力士で、相撲界の誰に聞いても「史上最強」と言うはずだ。通算成績は254勝10敗14預かり5無勝負。

あまりに強いので、「張り手、かんぬき、さば折り」の三種の技は雷電だけは禁止になっていたとも伝えられる。

この「横綱にならなかったことの理由」と「三種の禁じ手の真偽」というのが長く相撲界の謎とされていた。もっとも、現代でも「封印された鳥取の夜の秘密」とか宴会場の壁に埋め込められたようなので、200年も前のことを解明するのは難しいのだろう。

最近になって、元公務員作家である童門冬二氏が、独自調査の結果、新しい解釈を与えたようだ。新潮社書評誌「波・10月号」に『相撲道の実践』として掲載されている。

童門氏は相撲好きで知られるが、今まで相撲を題材としたことはなかったようだが、貴乃花追放の第一幕である二段階降格の時、「上杉鷹山」を連想されたそうだ。改革派は一度は後退する、とのコメントを出されている。上杉鷹山は童門氏のお気に入りのモデルで、藩の建て直しに着手したことが、元都庁室長だった氏の共感を得たのだろう。

どうも、それから相撲の研究をされているようだ。もしかすると貴乃花ではなく、雷電を描く可能性もある。

童門氏によると、雷電は横綱になれなかったのではなく、自ら断ったのだ、ということだ。まず、雷電の愛読書だが「論語」だったそうだ。現代人の苦手な「礼節」とか「人の道」である。簡単に言うと「遠慮の塊(かたまり)」。

三種の禁じ手というのは、禁止されたのではなく、雷電が「自ら決めた禁じ手」だったということらしい。現代では、自ら研究の上、張り手やカチアゲを使う横綱もいるのだが。

あるとき、雷電が江戸の商家の店頭でお茶を飲んでいると、牛車が近づいてきた。商家の主人が、「関取、あの牛車を止められますか」と執拗に絡んできたそうだ。プロレスラーにトラックを引っ張らせるのと同様だ。困った雷電は、一考の後、なんと道路に横たわり、牛車の前に商売道具の右腕を無防備に置いたわけだ。皆がアッと声を上げ、牛車の引き手も驚き、そして、牛車は腕の前でピタリと静止したそうだ。

酔って、ビンやリモコンを振り回すのとは、ずいぶん異なっている。