碇星(吉村昭著 短編小説集)

2018-11-26 00:00:15 | 書評
毎年、吉村昭の本を数冊読んでいるが、今年は余裕がなく、やっと一冊の文庫本を手にした。1999年に発行されている。

ikari


緻密な構成の長編とは異なり、いささか淡色的に、一つのテーマを距離を離して傍観的に描いていき、結論には多くの余韻を残す書き方である。長編では有名な歴史的事件を扱うことが多いので、結論を漠然と書くわけにはいかないのだが、本短編での登場人物は多くの市井の人々である。実話から起こした題材もあるだろうが、小説の終わりから先の人生は調べない方が花ということだろう。

全八編だが、自分的に好きだったのは、『牛乳瓶』と『碇星』。

『牛乳瓶』では日中戦争が始まった頃に町に進出してきた働き者の牛乳屋の主人が、やっと生活に余裕ができた頃に徴兵され、そしてまもなく戦死。残された妻と幼児の困窮を助けるために市民が牛乳を買いにいく話。しかし、努力しても努力しても戦火が拡大するなかでは次々に困難が起きていき、ついに町のほとんどが米軍の都市爆撃により灰燼となる。この作品だけは、明るい続編を読まずにはいられない(無理だが)。

『碇星』とはカシオペア星座のこと。形がWというのは、碇(いかり)の形だ。ある高齢社員が定年延長の見返りとして、社葬などの会社の葬儀関係一式を取り仕切る役目を引き受ける。当然、毎日仕事があるわけではないが、続けているうちにスペシャリストになり、役員や社員の個人的葬儀のアドバイスもするようになる。愛人宅で亡くなった会長を何も知らない妻の家に運ぶ時の偽装工作も登場する(余計な話だが、愛人宅で亡くなった社長の息子を自宅に運んだ実話は知っている)。その中で、ある元役員から、死んだあとでも棺の中でカシオペアを見たい、という要望を受ける話である。

『花火』は吉村昭氏自身が戦後まもなく結核に感染したあと、一か八かの実験的大手術で生還した時の主治医が亡くなるときのたぶん実話である。実際、医師の方は義務感から手術するので、患者個人に感傷的になることはないだろうが、元患者の方からいつまでも感謝してもらうのは励みになるだろう。実際は、多くの患者は執刀医に感謝するのも1年位で、あとは徐々に忘却するのだろうなと思う。作家の強い思いを作品にするべきかどうかは別のような気もする。

そして作家は病院のベッドの上で。体に挿入された何本かのチューブを自ら引き抜いて亡くなる。