エイト・デイズ・ア・ウィーク(2016年 映画)

2018-11-14 00:00:09 | 映画・演劇・Video
ビートルズのエイト・デイズ・ア・ウィークは1964年に発表された楽曲であると同時に2016年に公開された、ビートルズの記録映画でもある。

8d


映画の話だが、1963年から約4年間にわたってビートルズは、作曲、演奏、ライブそして映画と爆発的に活動を続けていた。主に当時のライブコンサートの映像を使って彼らの実像を明らかにしている。といってもそのほとんどは世間に知れ渡っているのだが、例えば、全米公演が30日で25会場のライブとなれば、相当タフなツアーであっただろう。


その前に、何度も見たことがあるのだけど、最初にアメリカに行って出演したのがエド・サリバン・ショーで、第一曲目が「オール・マイ・ラヴィング」。この曲は、演奏ナシで、いきなり「Close your eyes and I’ll kiss you ・・・」と歌いだす奇策を使っている。その時のために準備していたのではないかと思うほど、記憶に残っている。

それで、この映画が何を言いたかったのかは、よくわからないのだが、自分的に思うと、なぜビートルズが終っていったのか、というのを必然性をつけて間接的に説明しているのかもしれない。リンゴが映画の中で今さら言い出したのは、レコード売り上げに対する契約に失敗して、レコードが売れても収入が大きくならないため、必然的にライブコンサートの連続になったそうだ。

一方、人気はどんどん高まっていき、数千人のホールから1万、2万と動員数が増え続け、最後は5万人規模になって、野球場でコンサートをすることになってしまう。そうなると、音響器具の限界を超えてしまい、球場の真ん中で演奏しても、観客の悲鳴の中でとても音楽ではなく、単なる見世物になっていたと彼らは回想している。しかも、危険防止のために囚人護送車に乗って移動しなければならなくなる。

そしてツアーの途中でジョージがブチ切れて、「やりたくない」と言い始めていた。永遠に「シー・ラヴズ・ユウ」を歌い続けるのは嫌だ、という気持ちだったそうだ。

8dw


そして、彼らはモデルチェンジのために休養を取り、再出発をする。契約形態を変えた話は映画にはないが、たぶんそうだろう。活動の場はライブからスタジオに変わっていく。

ところで、初期のビートルズが演奏する時には、前列にジョンとポールが立ち、ちょっと下がったところにジョージがいて、かなり後でリンゴがドラムを叩くのだが、ジョンとポールはしょっちゅう首を振り続けるのだが、単なる演出と思っていたが、本映画の中でリンゴの話を聞いて納得した。ライブ会場は終始、悲鳴と大音響が響いていて、ドラマーの位置では前の三人の音は聞こえなかったそうだ。逆に、前の三人はドラムが聞こえない。どうしたかというと、ジョンとポールの首振り運動や足のステップを見て、想像の中で、ドラムを合わせていたとのことだ。(言わなければ、わからなかったのに)

ところで、個人的に書くと、「ペニー・レイン」「ストロベリー・フィールド・フォーエヴァー」「オール・マイ・ラヴィング」あたりが好みである。歌うのは大変難しいが。