すみだ北斎美術館に

2018-11-18 00:00:14 | 美術館・博物館・工芸品
最近、日テレの人気番組「イッテQ」で、やらせ疑惑が浮上している。ラオスで伝統的に行われているとされる「橋まつり」の放送が、「真っ赤なウソ」であったらしい。橋と言っても泥水の上に板を浮かべて、その上を渡り、コケると泥水に浸かるという、至ってファニーな祭り。実際にはタイとラオスの国境を流れるメコン川という大河のタイ側の流域では、この「橋まつり」があるらしい。とはいえ、日本の感覚だと「橋」というのはメコン川を渡る橋という意味だが、板を浮かべるのとはずいぶん違う。

現代でも国際河川のメコン川の橋は橋桁が低く、貨物船が橋の下をくぐれない。主に日本の技術で橋桁の高い橋ができているが、既存の橋が一つでも残っていると、船は上流に上れない。

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日本の橋はメコンの様な大河ではないため、江戸時代から木造の大橋が作られるようになった。その各地の橋は構造的に美しく、葛飾北斎は実は富士山よりも橋を描いた数の方が多い。その橋に魅せられた北斎の画を中心とした「北斎の橋 すみだの橋」という展覧会が、両国のすみだ北斎美術館で開催されていた(現在は終了)。

いや、上手いものだ、と感嘆するしかない。

奇抜な趣向の橋が多く、その橋を生かすために、富士が書き添えられたり、旅人や川や船、そして雨と、まさに遊ぶが如くの腕前だ。しかも見ていない橋まで、目の前にあるように描き上げている。

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本展に出展されている作品の中で、「岡崎矢はきのはし」は矢作川にかかる「矢作大橋」のことだろう。当時、日本最長の橋だった。秀吉が蜂須賀小六と出会ったのが、この橋の上とされる。数年前、岡崎城に向かう道に迷ってこの橋を渡ろうかどうか思案した。

岩国の「きんたいはし」は錦帯橋のことだろう。実際に行ってみると、橋の湾曲や向こうに見える岩国城の建物など、ほぼ正確だ。今のようにカメラもない時代に、よく描けるものである。


常設展の方も見てきたが、世界中から愛好家が集まるのだから、もう少し展示作品を増やした方がいいのではないだろうか。デジタル化した作品集をモニターで見るという方式は、どこかに勘違いがあるような気もする。

思うに北斎の魅力は、「構図」にあると思う。何しろ奇抜だ。そして自由だ。たとえばゴーギャンやルノアールにしても、描いた絵を、画商を通じて売ってお金を得ることになっていた、ある意味で売れる絵を目指すということは、構図は絵画を買う人の趣味や奇想に大いに影響されるのだろう。浮世絵は印刷物として市井の市民に広く販売されていた。市民による粋の精神と美に対する熱狂があったからこそ、北斎が活躍できたのだろうと思う。

ところで、この美術館の建物だが、斬新風だが、あまり好きにならない。四角なビルが大地震で崩れかけて亀裂が走ったような感じだ。ここに美術館ができたのは、生涯に93回も転居した北斎だが、ほとんどこのあたりに住んでいたからだそうだ。転居の理由はよくわからない。家賃問題かな。