スペシャルオリンピックスにかけるナイトクラブ社長

2004-11-04 22:08:10 | 市民A
46d51a34.jpg10月31日弊ブログ「6421万対1500万って?」に書いた愛知博は人知れず進行しているのだが、来年2005年2月26日から長野で開かれる2005年冬季スペシャルオリンピックスもまた、一歩一歩開会式に近づいている。あまり騒ぐ人もいないので、実は私も、赤坂の”将棋の指せるナイトクラブ”「ク・・・・プ」のI社長に教えてもらうまで知らなかった。自分の無知と反社会性に少し反省することになった。

このお店、れっきとした赤坂のクラブであり、造りも普通でカラオケも完備している。しかし、なんといってもお客様の大部分は、アマチュア将棋指しである。なんと飲み放題3000円で、カンバンまで将棋が指せる。現代は、将棋道場の大部分がネット将棋に押され経営困難になりつつあるのだが、何軒かのこうした「低価格で飲みながら仲間内で指せる場所」が、かろうじて生き残っている。ネット将棋も「お気軽で」いいのだが、ネットのこちら側で一人で飲むのもつまらないし、酔いが回ると負けてしまう。店で飲んでいれば、みんな同じように酔っていくので、相対的な酩酊度は一定だ。

実は、どういう経緯か現在、私は将棋連盟の”普及指導員”なるお役目を頂戴している関係で、サークルをいくつか持っている。その中でこの赤坂のお店での最初の集まりを10月29日に開いた。世間では、あちこちに「生と死」が渦巻く1日だったのだが、まあ市井の自分に直接できることも少ないし、と割り切り、文化活動の方だが、今回のグループ5人と社長や女将などと楽しい時間を過ごしているうちに、社長の2枚目の名刺にある「スペシャルオリンピックス日本」のことを話してもらった。聖火リレーにあたる「トーチラン」の実行委員をされているそうだ。

知的発達障害者を対象とした大会の起源はケネディ家に至る。JFKの妹に障害者がいたわけだ。1963年にアメリカで開始されたスペシャルオリンピックスの歴史は、「スペシャルオリンピックス・遠藤雅子著・集英社新書」に詳しいが、想像される通り、市民権を得るまでは苦難の道であった。IOCから正式にオリンピックの名前を認可されたのは1988年だそうだ。今回は長野である。夏冬合計19回の大会の中で、アメリカ以外で開かれるのは4回目だ。2年後の2007年は夏季大会が上海で予定されている。そして長野はオリンピック、パラリンピック、スペシャルオリンピックスという3つの大会を開くことになる。80カ国2500人位の選手が参加する。詳しくは大会HPで確認してほしい。

実は知的発達障害者のボランティアというとほとんどが家族に障害を持った人になってしまうのが現実だ。確かに、日頃、障害者と接していなければ、難しいことも多いそうだし、もはや開催日間近で組織への参加ということを表明するには遅すぎるし、聖火のトーチランなどに参加するのも欺瞞的なので(それに冬季競技の手伝いなどとてもできるレベルでない)、個人的に、安い飲み代のおつりの気持ちで寄付金を払うにとどまることにした。次の将棋の例会の際は、会費に上乗せをして、全員から強制的に取り上げてしまおう。


余談であるが、この社長も私も、既に六段免状の資格を持っているのだが、二人とも免状発行の申請を保留している。免状には、時の名人と竜王という二大タイトル保持者の署名が入るのだが、羽生善治、谷川浩司の二人の巨頭が揃うまで待っているのである。ちなみに現在は、両方とも森内俊之が独占している。タイトルの移動は年1回だ。私にはまだまだ、その日を待つ時間は十分だが、社長はどう思っているのだろう。当日は社長の63回目の誕生日で、バースデーケーキのお裾分けまでいただいてしまった。  

1 ShotLog-1 名古屋港の一隅

2004-11-04 22:06:47 | PHOTO
c08bf6c8.jpgきょうから、新しくフォトログ風の企画を始めます。不定期で週1位を予定。1葉の写真に、数行のコメントというスタイルです。略して、1ショットログ。(もちろん普通ブログはそのままです)
普通ブログも、もともと短いつもりが、長くなってしまったのではありますが・・
被写体は、海・街・建物・動植物などが中心です。

第一回は”名古屋港の一隅”

運河にかかる、跳ね橋です。
橋が降りるのは数日に一回らしい。
地下鉄名古屋港駅より歩いて7分。