東京都港区あたりの環状2号線事情

2004-11-11 21:55:19 | 市民A
3e93ad6a.jpg少し、エリアの狭い話で恐縮至極なのだが、東京の道路事情の話を書いてみる。
というのも、愛読ブログである余丁町散人の隠居小屋blog11月8日号で「外堀通りでお城を一周」の紹介があったことから、外堀通り=環状2号線らしいという話題になり、ややコメントの盛り上がりがあり、”環状線の謎の解明シリーズ”に発展し、さらに”東京都の計画道路図”が発見され、ほとんどの環状線が、未完成のままの状態であることがわかってきたわけである。なにしろ環状線は1号から8号まであるのだが、ほぼ完成しているのは、1号(内堀通り)、5号(明治通り)、7号(環7)であって、本当の都心にある2号、3号、4号は未だに完成していない。街の中に計画線が引かれたままで、工事をぼちぼちとやっていることがわかっってきたのだ。バルセロナのサグラダファミリアのような気の長い話だ。

そのあと、散人氏には、環状3号の事情を調べていただくことになって、計画道路の周辺を含め、ほぼ完走されることになった。もちろん号線の数が増えると、同心円の外側になるので、距離が長くなり、クルマでの探索となる。

私もコメントに参加していた責任もあり、東京都の地図を眺めているうちに、港区虎ノ門の会社の近くでなにやら工事をしている現場に「環状2号」という文字があったことと符合した。地図にあたると、幅40メートルの巨大道路が予定されていることがわかった。2号線は外堀通りと思っていたのだが、溜池から外堀通りを離れ、虎ノ門の裏のほうを通り、一気に汐留を抜け、晴海から海を越え有明のコロシアム付近を通り、東京湾にぶち当たったところまで計画されている。虎ノ門から先は、環状線ではなく「直線2号線」だ。そして虎ノ門、新橋のあたりは住宅や商店街やビルが立ち並ぶ場所をなぎ倒して道路を作る図になっている、さらにその先はレインボーブリッジと並行に巨大な橋を架けなければならない。

私は、とりあえず2号線虎ノ門-新橋間を探索してみた。道路予定地は、街中を通る予定で、住居が建ち並んでいるので、歩いて見るしかないのだが、なるほど着々と進んでいる。いったん線を引かれると、新規に恒久的建築物を建てることは困難になるため、古い木造の家が多いのだが、中層のビルも多い。そして、すでに40%程度が空地になっていた。駐車場がやたらに多いと思っっていたのだが、結構この計画線上の土地である。

図面を見比べながら歩くと、新築の日本たばこのビルの前の空地がやたらに広い訳や、虎ノ門病院の前の駐車場が広すぎる理由がわかる。またコンビニや牛丼屋が入っている2階建ての建物は最後まで粘るのだろう。現代自動車のショールームはすぐに壊せるし、その後ろの高層ビルが斜めに三角形になっている理由もわかる。しかし、中にはどうもビルを壊さなければならない場所もある。汐留まで大変だ。

そして、何箇所かで遺跡発掘調査が行われていて掘り出された土器の写真が掲示されていたりする。この辺が海岸だったはずなので、集落があったのだろう。どうせ二千年位眠っていた遺跡なのだから、上に道路を作っても、東京が廃墟となる数百年ほど先に掘りなおせばいいのにと思うが、今、徹底的に発掘調査するようだ。

話がつながってきたのは、今年の夏の猛暑の時、汐留の新築の日本テレビのビルなどが海風の都内への浸入をはばんだため、ヒートアイランド現象が起きたという説が紹介され、そのついでに「環状2号線ができれば都心に海風が吹き込んでくる」という言い訳が報じられていた。たしかに浜離宮の上から、海からまっすぐ潮風が吹き込みそうである。冬は木枯らしが吹き込み、さぞかし寒いことであるのだろう。さらに言えば、夏は汐留のビルの根元には熱気の吹き溜まりができそうな構造だ。「日テレがアツい!」とかいうのだろうか。

しかし、これらの計画線が引かれたのは、数十年前のはずである。その後、80年代末期のバブル期には都内の道路は完全にフリーズ状態になり、昼間は銀行員や不動産屋の金儲けのための社用車が動き回り、夜は六本木や銀座には二重駐車の列ができ、深夜は役人を乗せた長距離タクシーが走り回り、「東京に必要なものは、道路と駐車場だ」と皆が思っていたのだが、当然ながらその時の地価では、土地収用は不可能。遅ればせながら、工事が動き出した現在では、少子化やビジネスのネット化、交際費縮小による繁華街の衰退などの理由でもう道路問題は深刻ではない状態になってしまった。やはりここでもマーフィーの法則が有効だ。
「最も必要なものは、最も必要な時には存在しない。」

ところで環状線は8号までで終わる(その外に多摩川の土手に多摩堤通りはあるが)。この環八も世田谷区、大田区の方はやっと完成したのだが、東名高速の始発である環八東京インターがある。都心から来るクルマは、首都高速3号線のまま走っていけば東名に入っていくので、この東京インターの利用者は周辺の高級住宅街の住民ということになる。
先日、所用で出身地の千葉市の千葉北インターから入り、一旦都内で所用を済まして、横浜方面に行くため、乗り直すため環八東京インターへ向かったのだが、周辺で感じたのだが、本当に高級車ばかりだ。そして相当のクルマの量だ。利用する車体の時価総額で言えば世界で一番高額なインターかもしれない。ここだけは、バブル期と同じだ。私のクルマも千葉北インターでは前頭3枚目くらいの格かもしれないが、東名東京インターでは幕下扱いだ。