昭和45年の『歴史と人物』11月号に福田恆存は「乃木将軍は軍神か愚将か」(のちに「乃木将軍と旅順攻略戦」と改題)を載せた。もちろん、それは司馬遼太郎の『殉死』と福岡徹の『軍神』を批判したものである。
福田はかう書いてゐる。
「なるほど歴史には因果関係がある。が、人間がその因果の全貌を捉へる事は出来ない。歴史に附合へば附合ふほど、首尾一貫した因果の直線は曖昧薄弱になり、遂には崩壊し去る。そして吾々の目の前に残されたのは点の連続であり、その間を結び附ける線を設定する事が不可能になる。しかも、点と点とは互ひに孤立し矛盾して相容れぬものとなるのであらう。が、歴史家はこの殆ど無意味な点の羅列にまで迫らなければならぬ。その時、時間はづしりと音を立てて流れ、運命の重味が吾々に感じられるであらう。合鍵を以て矛盾を解決した歴史といふものにほとほと愛想を尽かしてゐる私が、戦史には全くの素人の身でありながら、司馬、福岡両氏の餘りにも筋道だつた旅順攻略戦史に一言文句を附けざるを得なくなつた所以である。」
ここまで書いてゐた福田恆存が、実は翌年の『諸君!』1月号に、司馬遼太郎、林健太郎、そして山崎正和と座談会を行つてゐたのである。司馬遼太郎の度量の大きさも言ふべきことであり、当時の知識人といふものの質の高さを示すエピソードであらう。1月号とは12月中に発売されるものであるから、先の『歴史と人物』11月号の発売と座談会の時期とはほぼ同時期であつたに違ひない。
話題は、「日本人にとって天皇とは何か」である。鍔迫り合ひといふほどではないが、結構スリリングな議論である。
二つを別々に読んできたが、今日書棚の本を整理してゐて、この二つがこれほどに接近した時期に掲載されてゐることを知り、驚いてしまつた。
この一事をとつても、現代知識人の劣化は明確である。