言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

御禮――アクセス9萬件突破

2009年04月03日 08時08分46秒 | 告知

 今朝、累計アクセス件數を見てみたら、昨日9萬件を越えてゐた。ありがたいことです。文學と時代といふことをこれからどこまで書けるか分からないけれども續けられるだけ續けようと思ふ。

 今朝、アマゾンから屆けられた箱から新刊本を取り出し、ざつと見た。西部邁氏の『サンチョ・キホーテの旅』はなかなか面白さうだ。冒頭から福田恆存とのやり取りである。最晩年、福田恆存から電話があつて、「西部君、きみの論文を讀んだよ。それはいいものだと思つたんだが、僕の文章を引用するのをやめてくれないかね」と言はれたといふ。これだけでは、どういふ意圖で言はれたのか分からないが、かういふことを平氣で書ける西部氏といふ人の心性が興味深い。福田恆存も福田恆存で、かういふことを直接話すといふのも不思議な人である。知識人といふ人達には、われわれにはなかなか分からない、言葉のやりとり、心情のやりとりがあるのだらう。言葉の表面と裏面とを探りながら、それぞれの自尊心を保ちつつ相手の自尊心を傷つける、あるいは自分を傷つける覺悟で相手を突き刺す、さういふ姿が思ひ浮ぶ。

サンチョ・キホーテの旅
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2009-03

 今朝は温かい。花見は、もう少しだ。

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搜し物は見つからない

2009年04月02日 12時38分39秒 | 日記・エッセイ・コラム

だいぶん以前「マーフィーの法則」といふことばが流行つたことがあつた。もう二十年ぐらゐ前だつたか。書庫のどこかに眠つてゐると思ふが、その中に「物は搜してゐるときには見つからずに、何の氣なしに出て來るものだ」といふ文があつた。まつたくその通りだと思つてこのことばをよく思ひ出す。

サラリーマンが職場で書類などを搜してゐる時間は、じつに年間150時間あると聞いたことがある。一日8時間勞働だとして、じつに年間のうち20日間も搜し物をしてゐるといふことになる。經濟不況で殘業手當が出ないといふことを嘆く前に、自分の勤務状況を點檢したはうがいい。御給料の分ちゃんと働いてゐないのですから――コンサルタントの人ならさういふことを言ふのだらうが、私もよく物を搜すから、そんなことは言へない。年間どれぐらゐの時間を浪費してゐるのだらうか!

整理整頓が巧い人がゐる。さういふ人は概して捨てるのが巧い人である。これまた有名になつた本で「捨てる技術」といふのがあつた。何でもすぐに捨てるのはやはり才能だらうか。以前、福田恆存の家の書庫を覗かせていただいたことがある。古い『中央公論』にもグラビアで書齋や書庫が掲載されてゐたが、そのグラビア同樣、藏書家といふ印象はなかつた。本を讀まない人といふ意味ではなく、物への執着がないといふ感じがしたのである。それに引き換へ、こちらは執着心の塊で、その他のものはさうでもないが本は捨てられない。だから、「マーフィーの法則」が身に沁みる。同じ本を二度三度と買つたこともあるし、さういふとき大概買つてすぐに見つかるから嫌になる。

東大阪に司馬遼太郎記念館がある。窓越しに書齋を覗いて圖書館ふうの記念館に入る。中は吹拔けで地下から天井まで本が整然と竝んでゐる。情報量がすべての歴史小説家と文體と論理とを驅使した批評家とは、本といふ物質への應じ方も違つてゐるやうに感じた。どちらがいいといふのではない。情報も文體もどちらも桁違ひに貧相な市井人は、ただ捨てられない本に圍まれて、物を搜してゐるばかりである。

新年度に當たり、職場の大掃除をしながら、そんなことを考へた。

21世紀版 マーフィーの法則 21世紀版 マーフィーの法則
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2007-07-12

「捨てる!」技術 (宝島社新書) 「捨てる!」技術 (宝島社新書)
価格:¥ 735(税込)
発売日:2005-12

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