言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語210

2007年10月21日 10時38分03秒 | 福田恆存

(承前)

  話が大分大きくなりすぎたが、金田一の文章を讀んでゐて、こちらに沸き起る苛立ちはなぜなのかを考へてゐたら、彼には前囘見たやうな「言葉とは何か」といふ本質論がないといふことに思ひ至つた。なるほどさうだと感じることがあつたので、まとめてみたのである。

  では、福田恆存は何と言つてゐるのだらうか。「表音的假名遣は假名遣にあらず」――これは、國語學の眞の權威橋本進吉の論文のタイトルであるが、福田恆存は、その文章を引用しつつ、このタイトルを小見出しに使つてゐる。ここでもそれを引くことにする。

「元來文字は、知らない言語を教へる爲のものではなく、知つてゐる言語を想ひ出させる爲のものである、さうして言語の音の形は、我々の腦中に、或意味を示し或意味に伴ふ一つづきの音として記憶せられてゐるのが常であるから、文字言語に於ける文字の形が、何等かの手懸で、その意味に伴ふ音の形を想ひ起させる事が出來れば、我々は之をたよりとしてその意味を理解し得るのであつて、必ずしも一ゝの文字が正確に一つづきの音の一つ一つの部分を示さなくてもよいのである。」

  これを引きながら、福田は「私たちは音どほりに字を書くことはできないし、その必要はないのです。『表音式かなづかい』といふものはありえないといふことになります。」(「金田一老のかなづかひ論を憐れむ」)と言ふ。つまり、文字は音を表すものではなく、語を表すものであるといふのだ。「讀者の耳に音を聽かせるためのものか、その眼に意味を讀みとらせるものかといふ問題」なのである。

もちろん、ここで福田が意圖したものは、言葉の本質は音か意味かといふ一元論を迫ることにあるのではない。「すべては二元論」と言つてきた福田は、ここでも言葉は意味であるといふ單純な一元論を主張するはずはない。ただ、音を寫すものだとする「表音式かなづかい」といふものは文字表記にはふさはしくないとしてゐるだけである。まつたく理の當然のことであう。ところが、さうはならないのがいつもながら不思議なことである。

「まるで日本語を知らない外國人に教へることを念頭においてゐるかのやう」といふのは、まつたく適切な表現であらう。「私は」と書いて「ワタクシハ」と讀む人はゐないが、「私は」を「私わ」と書く日本人はゐない。これは矛楯ではない。しかし、外國人から見て何と思はれるか心配であるし、これが「後進性の根據であるから、私わと書くやうにしよう」と考へるのが「表音式かなづかい」論者なのだらう。

  福田は、こうした外國人を異常に氣にする人人を「國際派」と呼んでゐる。この國際派とやらは、今も脈脈と生き續けてゐて、私は山崎正和氏もじつはその一派であらうと思つてゐる。以前は、歴史的假名遣ひで表現してゐたが、近年、それをぱたりとやめてしまつたのは、やはりその正體が國際派であつたからであらう。

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言葉の救はれ――宿命の國語209

2007年10月18日 08時22分44秒 | 福田恆存

(承前)

考える人を育てる言語教育―情緒志向の「国語」教育との決別

考える人を育てる言語教育―情緒志向の「国語」教育との決別
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2005-07

『考える人を育てる言語教育』(平成十七年・新評論)の著者高島敦子氏は、次のやうに書いてゐる。少少長いが引用する。

「家族的構成を持ったわが国の身分社会では、歴史的に、《言挙げ》すなわち、集団内の上位のものに対してはっきりものを言うことは禁じられてきた。《以心伝心》《長いものには巻かれろ》《出る杭は打たれる》そして《上意下達》などの成句は、そのような社会習慣から生まれた。わが国の集団内の秩序は、話し合いによってではなく、命令と服従によって保たれてきたのである。そして、それを可能にしたのは、《控え目》や《謙虚》や《無口》などに代表される、日本人の文化的特性であった。しかしそれらは、集団内のすべての者にではなく、原則として下位の者だけに求められた特性だったと言える。言い換えればそれらは文化的特性ではなくて、身分社会の人間関係を円滑にするための政治的方便だったのである。」

 まあずゐぶん單純な言ひ方であるし、嫌な書き方であるけれども、かうした傾向が私たちの中にあるといふ認識は同じである(ありていに言へば、權威主義的で威張りちらす上司といふのはどこにもゐるといふことだ。特に帝國陸軍の體たらくは、やはりこの性格を素直に示したものだらう)。

しかしながら、企業の創業時や外部から危機が訪れた時にははなるのである、かうした傾向を打ち破るほどの活氣と對話とがなされてゐたといふのも事實であらう。ダイエーの中内氏や幕末の志士の活躍を想起すればあきらかである。「權威」と鬪ふ氣概が新しい道を切り開いてゐる。それがいつしかエネルギーを放出しつくし組織は停滞して、その秩序を維持するためだけの氣力と命令とだけが必要とされるやうになつてしまふのだ。集團は秩序を、個人は保身を、それが兩者にとつては一番居心地が良いのであるが、それらをよすがに生きてゆくやうになる。安定と言へば聞こえは良いが、長い目で見れば停滯状況そのものなのである。

  言葉を驅使して、自他の存在や關係を築き上げてゆく過程にこそ、人格の陶冶や集團の發展がある。そのことを忘れたら、言葉自體も死んでしまふ。

 言葉は本來、自他の差異を確認し、それを克服すべく不斷に自他に放射され、反省を強いるなかで、少しづつ磨かれてゆくものである。それを通じて幾層にも意味が堆積し、自他の中に沈潛してゆくのである。そして、次の段階で新たな他者を發見し、再び同じ作業を繰り返しながら、更に深く自他の精神に根づいてゆくものである。

  大工が道具を大事にするやうに、その日一日の終はつた後、白い布に包んで、神棚に備へるやうな精神と、枝の多い扱ひにくい材木を使ひながらも見事に仕上げてゆくやうな手さばきとが、言葉の扱ひにも必要であらう。そこでは、言葉は人間主體の手段としての道具であるとも言へるが、言葉の力によつて私たちは一人前の人間になれるのとも言へるのであるから、私たちが手段(媒體)であるとも言へる。道具は確かに私たち人間が作り出したものである。言葉もさうだ。しかし、道具や言葉の使用の上手下手によつて人も一人前になれるかどうかが決まつてくるとも言へるだらう。言葉が人間を創るとはさういふ意味である。

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言葉の救はれ――宿命の國語208

2007年10月16日 09時06分27秒 | 福田恆存

(承前)

  西洋での論戰といふものがどういふものであるか、私は詳しくないので比較することはできないが、たぶん言葉自體を取上げれば、下品な物言ひも多くあるのかもしれない。チェスタートンの著述を見ると、その言葉の烈しさには思はず苦笑してしまふものもある。

  カラリとした言論風土にあつては、言葉のやり取りをユーモアとして互ひに笑ひとばせるものなのに、私たちの國にあつては、直ぐに人格と結びつけ、言葉を言葉として轉がし樂しむ餘裕がない。言葉とそれを使ふ人間との理想的な關係を「言行一致」に求め、その實現を自他に要求し、人間を言語に近づけようとすることに性急になりすぎるのである。

  下品な言葉遣ひは直ちに「馬鹿にされた」だとか「品性下劣」などととらへられてしまふ。もちろん私も下品な言葉遣ひがいつでも最善の言葉であるとは言はない。しかしながら、搦手から攻める(福田恆存の言説が搦手とは思はないが)といふのも、文章表現としては十分に有效なものであるといふことに思ひを致す餘裕はなけれなるまい。それが忌避されるといふのは、少少神經質過ぎる。

いやさうではないのかもしれない。じつはその神經質の裏面には怨念めいた情念が潛んでゐるのではないか。それほどにウエットなのである。陰濕な空氣は日の當らない日陰に廣がつてゐるごとく、ウエットな空氣の中では、惡口は陰で平氣で言はれるのである。どちらが品性下劣なのかは、日にかざしてみれば明らかである。

  ウラナリよろしく、ひ弱であると思ひたがる私たち日本人は、強者にはへりくだり、より弱者には尊大に振る舞ふ。その掟を破る者には陰濕に陰で陰口を言ふ。それほどに言葉の魂を腐らせてしまふのである。

強者へのへつらひや弱者への尊大ぶりとは、つまるところ「無爲」を決め込む怠惰の精神の表れなのであつて、ただ現状に流されてゐれば良いといふ氣分の造形なのである。その態度は、言葉を驅使して自己を統御し理想へと高めてゆくものでも、他者を理解し説得して環境を改良していかうといふものでもない。

  そこでの言葉は、共通の感情を分かち合ふだけの記號に貶しめられ、仲間内の熱い思ひをべつたりと塗り込み相手に投げつける時、その言葉は相手を傷つけるための道具にしかなつてゐない。そしてなほ、その言葉は「皆さう言つてゐる」といふ多數の意見として語られるから、まつたく責任意識とも無縁である。自己と他者との違ひを明らかにしたり、自己の誤りや他者の誤りを指摘、矯正したりするのではなく、ただその「場」に投込まれるだけである。仲間内や、御しやすい相手にのみ通じる道具としての言葉なら、言葉は單なる記號である。

 そこでは、論爭は生まれないし、關係そのものが固定化し、精神は停滯してゆく。突飛な話だが、企業の壽命は三十年であるといふことも、言葉の視點でみれば、言語の物質化に伴ふ關係の固定化といふことであらう。部下は上司の主張を唯唯諾諾と聞入れることにおいて仕事が成立し出す時に、創業の精神も社員の士氣も失はれ始めるのである。

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言葉の救はれ――宿命の國語207

2007年10月13日 11時00分23秒 | 福田恆存

(承前)

  福田を卑怯者呼ばはりするが、私にはどう見ても金田一の方が卑怯だと見える。ちなみに「卑怯」とは『新潮現代國語辭典』によれば、「正しいことをやり通そうとする意志や勇氣がなく、道義に外れた方法で對處すること」とある。學會的權威を藉りるといふ「道義に外れた方法で」、威しといふ「對處」をしたのである。自らの誤りを決して認めず、それどころか自分の姿を福田に映し、それを卑怯者と呼ぶのであるから、度し難い。

  さて、福田恆存の三たびの反論は「金田一老のかなづかひ論を憐れむ」であり、「知性」に昭和三十一年、七月八月號に掲載された(『福田恆存全集』では、第三卷に輯録されてゐる)。

  一讀しての感想は、なるほどといふ説得力である。その論旨には一點の疑問もない。精緻でかつ透明な論理の展開の中に、國語に對する強い愛着と保守する精神の熱情を感じるのである。下品な言ひ方をすれば、金田一の論點外しや屁理窟が暴露されてゐて痛快である。金田一論文を讀んで齒痒い思ひをしてゐたが、それが見事に拂拭されたのである。溜飮を下げるとはこのことだらう。

  それにしても、福田の喧嘩の作法は手嚴しい。金田一が福田を“若造”呼ばはりすれば、福田も「老」と言ひ返す。「揶揄の意味よりも、そのはうが三字名前よりは手つとり早いから」とは、いかにもきつい。「利便性」「能率性」を大義名分に「現代かなづかい」を押付ける御仁に、その精神がいかに卑しいものであるかを見せつけるためだらう。

  また、こんなことも書いてゐる。

「同音ならどんな字を用ゐてもいいといふ萬葉精神を現代に適用すると、『金田一京助さん』など『睾大痴狂助慘』でもいいことになる」。

  これなどは、冗談がきつすぎると思はれるが、かうした譬喩が使はれる背景にも、現代の發音にあはせて文字を使ふべきだとの「現代かなづかい」の精神への批評があることは事實である。しかしながら、かうした「揶揄」が(あへて揶揄と言ふが)、果して歴史的假名遣ひにとつて良かつたかどうか、いづれ考へてみたい問題である。相撲に勝つて勝負に負けるといふ言葉があるが、無用な讀者(なかんづく國語學會の金田一シンパの人人)の反感を買つたであらうことは想像に難くない。無論、感情的な反撥であるが、情の支配する私たちの國にあつて、この種の「下品」な物言ひは、論理的には正當でも結果的に「現代かなづかい」論への同情を呼んだかもしれない。もちろん、そんな上品で配慮の行き屆いた精神は、劇的なる精神の持ち主には似合はない。といふよりも、劇的なる精神の持ち主だから、かうした正面衝突の議論が可能になつたのである。

あるいは、かうも言へる。これは福田恆存の遊び心でもある。この種の遊び心こそ、福田の眞骨頂であるし、相手の論を逆手に取つて燕返しをするといふのは、むしろ醍醐味である。さういふ遊び心を樂しめない日本人の言論風土を悲しむべきである。

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言葉の救はれ――宿命の國語

2007年10月12日 11時17分50秒 | 福田恆存

(承前)

前囘の最後のところで、金田一が主張するやうな「現代かなづかい」でも、現代日本語を表音的には表記することはできないといふことを述べた。

例へば、「子牛」も「格子」も、ひらがなで書けば「こうし」としかか書き表せない。しかしながら、これらの二つの言葉を同じやうに發音してゐる人はゐない。このことを、どう説明するのだらうか(歴史的假名遣ひなら、「格子」は「かうし」である)。といふことは、音にしたがつて表記するといふ觀念自體が日本語の「かな」文字にはあつてゐないといふことである。「語にしたがへ」――これが福田の國語觀、なかんづく文字觀である。

  ところが、金田一の反論は、これ以降も、またぞろ福田の擧げた例についての揶揄であり、本質論を避けてゐる。

  日本語も、古代語では「き、けり、つ、ぬ、たり」が、現代語では「た」一つになり、「古代英語の屈折が、今脱落しているのと、よく似ているではありませんか」と言ふ。「そうかと思うと、古代は、尊敬の語形が多いが、丁寧形の使用がその割に少かった。近世は、後に下るほど丁寧系が発達する」と言ふ。これらを論證して、日本語も英語も、古代語と近世語とでは差が大きくある、だから書き方に變化を與へても良いといふことを言ひたいのである。

  しかし、さう言つて置きながら都合が惡くなると、「古代語と近世語の開きは、日本におけるよりも英語の方が大きかろうと言うことは、認めていいのです。ただ、私の認めるのと、あなたの認めるのとの間には大きな開きがあることを附加しておきます」と言ひ換へるのである。いつたい何を言ひたいのか不明である。

  これでは、言がかりとしか思へない。喧嘩を賣つてゐるとしか言へない書き方である。二人が同じ山を見て、同じやうに「美しい」と言つた時に、一人が「君の『美しい』といふ言葉と、私の『美しい』といふ言葉とでは、言葉は同じであるが、大きな開きがある」と言つてゐるのと同じである。單に年長者が年少者を恫喝してゐるやうにしか見えない。

  今擧げた美の判斷なら多少の違ひもあるだらうが、論爭においてなら、論が同じであれば「大きな開き」などあるはずはない。英語の方が變化が大きいといふことが事實なら、論爭のきつかかけになつた小泉信三への反論「現代仮名遣論」において、「国語の歴史的観念の欠如」と言つたことを取り消すべきであらう。

 金田一の説を要約すれば、氏(だけ)には歴史的觀念といふものがあつて、その上で日本語の方が英語より變化の差が小さいといふことを言つたのであり、歴史的假名遣ひを使ふ人人は、ただそれに「慣れ」てしまつてゐるだけで、歴史の變化によつて、表記は變はるといふことを忘れてゐる。その意味で歴史的觀念が缺如してゐると言つたのだといふことになる。

  全く度し難い厚顏無恥である。都合が惡くなると、自己の主張を平氣で變へる。おまけに「私を威してもだめです」といふ言葉を金田一は好んで用ゐるが、「威す」などといふ言葉をそもそもこのやうな論文で多用すること自體が、いかにも權威主義的集團の中で生きてゐるといふことを暗示してしまふ。つまり、金田一は、その學會的權威で福田恆存を「威さ」うとしてゐるのである。

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