言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語212

2007年10月25日 22時58分31秒 | 福田恆存

(承前)

  金田一は福田に、「男らしく、白状したまえ。『仮名遣論』の根本精神には反対ではありません。ただ現代のかなづかいの例外の説明がゴタゴタして、わからないから、いやになっちゃって、いやがらせや、憎まれ口を叩いた。自分も、名作を残したいから、文体や表記法には一方ならず心を持って、文部省案も全部、かなりに研究したが、残念ながら従えないんだ。その辺が、実際の真相ではないんですか。如何」と『福田恆存氏のかなづかい論を笑う』の最後に記してゐる。

まことに卑しい表現である。「男らしく」などといふ文言が、論文の中に出て來るのもをかしいし、自分の主張する「現代かなづかい」の「例外の説明がゴタゴタして」ゐることを「白状」してゐるのは滑稽である。語るに落ちるとはこのことを言ふ。また、「実際の真相」などといふ言葉も國語學者としては、かなり不用意な發言と言つて良いだらう。その言語感覺を疑はれても仕方ない。「眞っ白な純白」「最も最惡」といふのと同じで、小學生が作文の添削で注意される類である。

  それはともかく、根本精神などといふものは、ここにはまつたくない。ないはずなのにあるかのやうに言ひ募る金田一の言ひ方は、何か言葉の問題とは別の次元で問題があるやうに思はれる。

  一つ靈を擧げよう。金田一京助全集の第四卷には、「語原論」といふ論文がある。その中の「語原論の方法」は、昭和十七年一月に發表されたものであるが、そこにはかうある。

「旧時の語原説は、ナイーブな、科学以前の態度であること、例えば、古事記に説いてあるのはそのままそれに従い、例えば、古事記が、あづまの起原を武尊の『吾妻はや』に基づくと伝えると、その通り、それから起こったと為し、古語拾遺が天の岩戸開きのときに、諸神が、『あはれ、あな面白、あなさやけ』と言われた、それから面白しという語が出来たと伝えると、そのままそれを面白しの語原と受け取ったのである。」

(第四巻四六一頁)

 かうして、故事による語源説を「民衆語原」として否定しておきながら、「バリカン」の語源についてはかう書いてゐる。

「髪刈器械のバリカンの語原がちょっとわからなくなると、バリバリ刈るから、そして、カンカン音がする金属だからと、バリバリ、カンカンの意味に取ってしまう。豈図らんや、明治二十年代、初めてそれが横浜に来た時には、フランスのバリカンBariquand会社製のもので、函にも歯にも、その刻印があったから、ついバリカン会社製の髪刈器械と長々しく言う代りに、バリカン、バリカンと呼び馴らしてしまったものであることが判った。」

(第四巻四六三頁)

 これが「民衆語原」とどう違ふのか、私には分からない。バリカンの意味が「フランスのバリカンBariquand会社製」のものであつたからといふのは、確かに語源であることに間違ひはない。しかし、今日、複寫機のことをゼロックスと言つたり、インスタントカメラのことをポラロイドカメラと言つたり、あるいは化學調味料のことを味の素と言つたりするのとまつたく變らない。

コメント
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