金田一は、「現代仮名遣論」といふ小泉信三批判の文章の中で「世界一むずかしかった国語教育」などと書いてゐるが、戰前の國語教育が「世界一むずかしかった」といふことにはまつたく根據はない。
さうであるにもかかはらず、「思ふ」を「思う」と強制的に改めさせられ、今までの假名遣ひを遲れたものとしてレッテルを貼られることに困難や苦痛を感じる人のことはどうするのか。國家權力が、個人の假名遣ひにまで介入するといふことは、まつたく非民主的なことである。ましてや何の根據もない「世界むずかしい」言語であるといふ言がかりに基づいて強要されるといふことは、それの方が封建的ではあるまいか。ところが、そのことに丸山眞男や桑原武夫などの革新主義者は何も異を唱へなかつたのである。かうしたところにも、戰後民主主義者のうさん臭さを嗅ぎつけてしまふ。が、それは別の問題であるので、ここでは止める。いづれにせよ、大衆にすり寄る形で、全體主義的國語政策が行はれたといふのが「戰後民主主義の成果」なのである。このことは、いつまでも記憶されなければならない。そしてその指導者が金田一京助なのである。
福田恆存は、人工的に「變へる」ことに反對してゐるのであつて、「變はる」こと自體を問題にしてゐるのではない。なぜなら、「變はる」流れをせき止めることはできないからである。それはまさに「自然」なことである。
「私は『歴史的かなづかひ』が現状のままで、合理的であるといふのではありません。絶對に變へるなともいひません。しかし、それは『現代かなづかい』より合理的でせう。また『現代かなづかい』ほどむづかしくもない」。
「いかに私が注意ぶかくしてゐても、『歴史的かなづかひ』を、ひとつのまちがひもなしに書くとは斷言できません。ですから、私は國語改良案などに手はださない。さういふことは、自然にまかせるのが最上だとおもふのです」。
「癇癪を起さないで、何十年かかつてもいいから、少しづつ『使ひよい』ことばにしていかうではありませんか。金田一さん、實藤さん、大久保さん、その他の國語問題研究家が、さういふ落ちついた立場から、具體的にひとつづつ問題を解決していくやう協力して働いてくださることを望みます」。
これらにたいして、金田一はまだ反論を止めない。昭和三十一年の『中央公論』五月號に掲載された「福田恆存氏のかなづかい論を笑う」がそれである。
「私の文辞にまで介入して苦言をたまわるから、えらい大家だろうと謹んで敬意を表したが、聞けばまだ私の倅ほどの人だそうな」といふ「前書き」で始まる、相變らず嫌味な文章である。かなり長文の反論であるが、その内容はまつたく福田の主張に答へてゐるものではなく、自分の言辭に醉つてゐる姿が思ひ浮ぶ體のものである。