言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

来年に望みも無しに暦買ひ

2017年11月01日 21時41分19秒 | 日記

 寒くなつてきた。昨日は今秋初めてストーブに火を入れた。

 何の望みを抱いてゐるわけでもない。手帳には決まりきつた予定しか入つてゐない。

 来年に何かをかけてゐるのでもない。

 それなのに今日、カレンダーを買つた。

 未来に何かを期待してゐるのだらう。努力もなしに。

 

 

 日曜日、古本屋に本を売つた。段ボール三箱である。大事な全集を売つたが、「値が付きません」と一言。どうでもいいやうに思へる本が30冊ほど、2000円で売れた。

 本を選ぶのにかなりの時間を要した。その値段は妥当かどうかは分からないが、見合はない作業である。

 書架の本のうちの大半は読まれないままどこかに行くのであらう。そんなことを考へる。大事な本であるが、本の運命はその人と共にある。だから、古本を買ふとはその本の延命といふことである。作者と読者と、そして読者からまた別の読者へ。作者との語らひが複数になるといふことか。

 さういふ経験はまだしたことはないが。

 古書重し疲労ばかりの野分あと

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