言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

行く春や憎まれながら三百年

2014年12月16日 20時55分22秒 | 日記
絵の話 (1983年)
伊藤 廉
美術出版社
 激しい雨が降つてゐる中、今日はお世話になつてゐる先生を予定してゐた通り、西三河をご案内した。

 まづは、碧南市の藤井達吉現代美術館に行つた。近代画壇の重鎮でもあつた伊藤廉展を見た。セザンヌについての著作もある画家だけに静物画には特にその影響を感じた。長女を生まれてすぐに失つてから人物画を描かなくなつたといふことを知り、画家としてといふより絵の教師として生きたといふことが頷けた。個人蔵の絵画が多く出品されてゐるといふことも、人間としてのつながりを重んじてゐたといふことをうかがはせるエピソードかもしれない。

 筆致といふことがとてもよく分かる絵を描かかれてゐるやうにも感じ、考へながら描いてゐるといふ印象を受けた。

 ザクロの絵が良かつた。




 その後、西尾市に移り、吉良上野介の墓のある華蔵寺(けぞうじ)に行つた。12月14日は討ち入りの日である。当日は、かなりの観光客が来てゐたさうだが、雨の中の今日の華蔵寺は誰もゐなかつた。それどころかお寺の方もいらつしやらず、ただ境内を散策して帰つたのであるが、その時に見つけたのが、標題の俳句である。村上鬼城の作である。説明の必要もないほどのじつにあつさりとそれでゐて心にずしりと入り込む句である。なるほど元禄から三百年以上、吉良家は日本中から嫌はれてゐたのである。地元では名君と言はれ、今でも「赤馬」(吉良の殿様は赤馬に乗つて領内を見回つてゐたといふ言ひ伝へから)といふ名のお菓子が売られるほどの人気である。



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