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言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

小林秀雄より太宰治――か!

2009年06月08日 22時17分27秒 | 日記・エッセイ・コラム

 先日の土曜日、六月六日に神戸女子大で第35囘北村透谷研究會の全國大會が行はれた。豫想を上まはる盛況で、主催者もほつと胸をなで下ろしたやうだつた。

 研究發表一本、講演二本はいつもどほりだつたが、いつになく大きな構への研究成果に聽いてゐてワクワクするやうな感じがした。

 いちばん面白かつたのは、北川透先生のもので、「日本浪曼派の透谷像をめぐつて――保田與重郎、佐藤春夫の視點を中心に――」がテーマであつた。保田與重郎のことなど北川先生、學生時代には知らなかつたと告白されてゐた。それほどに「隱された存在」であつたといふ。確かに大東亞戰爭に加擔した思想家はことごとく戰後否定されてきた。その最も先頭にゐた與重郎が歴史から隱されたといふことはあるだらう。

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 そして、今、透谷が平成の御世から消され隱されてしまつたといふのだ。與重郎といふ存在がその文學的價値の消滅によつて隱されたのではないのと同樣に、透谷の文學的價値が消滅したから現代社會から隱されてしまつたのではない。誰かが隱してゐるのである。それを柄谷行人、三浦雅士らの「批評空間」グループなどの現代思想かぶれの文藝批評家であると北川先生は仰つたが、桶谷秀昭先生がゐらしたら、それは透谷の買ひかぶりだと言はれただらう。私はまだよく解らないが、二十代で死んだ思想家を過大評價するなといふ桶谷先生の發言も重視したい。

 北川先生の「透谷」稱揚の理由は、彼が近代を解體し(現代思想好きが言つてゐるやうな)次の時代のものを示したからではなく、近代にあるものを使つて近代を克服しようとしたところにある。その中心は何か。それは「他界の觀念」であると言ふ。このあたりの指摘は本當に面白かつた。小林秀雄や志賀直哉は近代文學である。透谷、宮澤賢治、太宰治にはそれらを越えたものがあるといふ。

 私にはずゐぶん違和感があるが、興味深い御話だつた( 懇親會で北川先生にも御傳したが、村上春樹にも他界の觀念がある。しかし、彼には「罪」といふ觀念がない。透谷にはある。そこが決定的に違ふ、そして、北川先生が透谷の系譜におく宮澤賢治や太宰治にもないやうに思ふ。これは研究したいテーマだ)。

 話は、ここで時間切れ。いづれ本にでもしていただければと思ふ。

 會誌で藪禎子先生が亡くなられたことを知つた。御冥福を祈る。私には一度しか御見掛けしたことがないが、非常に上品で物腰は柔かいが、研究發表にはぴしりとしかも正確に批評をされる御姿が印象的であつた。

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次囘は11月21日。東京町田である。

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