言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『職業としての学問』を読む。

2017年10月04日 14時38分40秒 | 日記
職業としての学問 (岩波文庫)
Max Weber,尾高 邦雄
岩波書店

 

新装版 [現代訳]職業としての学問―格差が身近になった現代に「働く意味」をいかに見出すのか
三浦 展
プレジデント社

 何度読んでも頭に入つてこない。それでゐて気になるからまた手にしてしまふ。本書はさういふ本である。

 今回何度目だらうか。10年前に初めて読んだといふのは分かる。なぜならさう本にメモしてあつたからである。丁寧に、シャープペンで感想まで書いてある。しかし、何も記憶にない。不思議な本だ。

 マックス・ウェーバーといふ社会学者は有名であるが、それを読んでゐるといふ人には滅多に会はない。もちろん研究者なら読んでゐるであらうし、相当のインテリなら読んでもゐよう。しかし市井の人は読まない。

 それでゐて、本書の結論は「日々の仕事(ザッヘ)」に帰れといふのであるから、そのギャップがたいへん興味深い。学者の卵たちに語つた講演なのだからご本人としてはそれでいいのかもしれないが、岩波文庫に入つて一般の人に読まれることになつたのであるから、「日々の仕事」には「日々の学問」以外の「仕事」も入るわけで(非学問従事者の方が多いのではないか)、それを思ふと、単に勤勉の勧めになつてしまひはしないかと感じるのである。

 それでもこの尾高邦男の訳の分かりにくさ(ご本人の言葉によると、マックス・ウェーバー自身の文体が分かりにくいらしい)は、非学問従事者を寄せ付けない力があつて、意味の読み取りがたいへに難しい。何度読んでも記憶に残らないのもそのせいだらう。

 学問をやる心構へとして、これぐらゐのものは読んでおけよ、といふ試金石には丁度よいのであらう。

 

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