恍惚の人 (新潮文庫) 価格:¥ 724(税込) 発売日:1972-05-27 |
妻として、夫の父親の痴呆にどう対処していくのか、その過程が小説として描かれてゐる。書かれたのが、昭和47年だから1972年のこと。今から42年前。言葉は、老人性痴呆症が認知症に変はつたけれども、内容はまつたく変はつてゐない。身体の変化は時代によつて変はるはずもなく、むしろ変はらないで驚きなのは、さういふ身体の変化に家族がどう対処すべきなのかといふことについて一向に変化がないことである。
夫は仕事に出て行き、その妻が家で舅や姑の介護をする、さういふ事態の深刻さを受け止めるのはその妻一人であるといふ家族がたぶん世間には今も多いのだらうと思ふ(あるいは、今では老老介護といふことがあるから、老父が老母を、老母が老父をといふこともあるだらう)。小説の中にも書かれてゐたが、不老長寿を祈願してゐたら長寿だけが実現してしまふと「老い」だけが残つてしまふ。祈りの果ての悲劇は、願つたものであるがゆゑに遠ざけることはできない。幸福な社会にもまた苦難はあるといふことだ。
妻の名前は「昭子」。この夫人の名前は決して忘れられない。最後に、かういふ描写があつて、この小説は終はる。
「昭子は鳥籠をかかえたままぺたんと坐り、すると昭子の胸でホオジロが羽をばたつかせ、ちょっとうめいた。その拍子に涙が眼から噴きこぼれたが、自分が泣いていることに気がついたのはそれから随分後のことだった。昭子は鳥籠を抱きしめ、いつまでもそうして坐っていた。」
義父・茂造の介護に尽くしてきた姿である。しばらくは涙も出なかつたが、ふとしたことで涙が噴きこぼれた。凄絶と言つてよい昭子の奮闘振りであつた。
讀後、武田友寿氏の解説を讀むと、有吉佐和子はカトリックの信者であつたと言ふ。なるほどと思へた。凄絶な格闘を一人引き受けることができた昭子の姿に、他者非難の気配がほとんどないことに驚いてゐたが、さういふ覚悟はまさに信仰的人生観があるのかと知らされた。いつでも昭子は、他者を受容してゐるのである。それは義父にたいしてだけではない。かういふ箇所があつた。昭子の家の離れに住んでゐる学生運動をしてゐる若い夫婦にたいしてのものである。
「今どきの若い者っていうが、君の話を訊くと、離れの二人は親父には親切らしいじゃないか」
「そうなのよ。頼みもしないのに、おむつまで取替えてくれるんですもの。でも理由は親切からじゃなくて、自分たちが臭いのを我慢できないからなんですって。私が恐縮したら、別に感謝されるようなことじゃないって言うの。社交辞令でもないみたい」
「それが新しい倫理の基本になるのかな」
昭子の夫、つまり義父茂造の息子の言葉として語られる「新しい倫理の基本」など本当は倫理なのではないが、それでも若い夫婦の一過性の気分を肯定的に見ようとしてゐる有吉の思ひを感じるのである。さう言へば、こんな言葉もあつた。これも夫・信利の言葉である。
「人間は人間を無限に超越すると言ったのは誰だったかな」
「パスカルだろ」
「ほう、敏は知ってたか」
敏とは、昭子と信利との一人息子である。
タイトルの「恍惚の人」とは、もちろん茂造のことである。
「茂造はといえば、昭子が何をしているのかも分からぬように、とろーッとした眼を半ば閉じ、半ば開け、夢と現実の境界にある恍惚の世界に魂を浮かばせているようだった」。
小説の中に、かういふ言葉があつた。「昭和八十年には六十歳以上の人口が三千万人を超え、日本は超老人国になる運命をもっている」。今年は、昭和八十九年である。もう「超老人国」である。そして私もすぐにその仲間入りである。さういふ時代とは恍惚の人の時代といふことなのであらうか。敏は、「パパも、ママも、こんなになるまで長生きしないでね」と語るが、さう記した有吉は、幸か不幸か、これを書いた十二年後53歳の若さで亡くなつてゐる。
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