言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

京都ふたばの豆餅

2022年08月06日 09時29分55秒 | 日記

 今日は軽口。

 昨日、夕食の買ひ物に出かけた帰りにふと人だかりに気づき、近づくと「豆餅」が売られてゐた。百貨店の即売会である。豆餅といふと、餅の中に豆が入つてゐるのかと思つたが、聞けば五つ入りだと言ふので、大福のことであつた。

 出町ふたばの豆餅、十年ぐらゐ前に食べた気がするが、どんな味かすつかり忘れてゐる。有名なことは知つてゐる。五つ入りで1,100円。このセットしかないと言ふ。一度ためらつて買ひ物をしてやつぱり買つていかうと思つて5分後に立ち寄ると「残り二つですよ」と言はれ、決断してよかつたと思ふ。何だか得をしたやうな気がする。

 家に戻つて早速一ついただく。塩味のえんどう豆が利いてゐて美味しい。消費期限は当日中。近所に知り合ひでもゐればおすそ分けもできるが、それもできない。家内も一つ食べたが、結局冷蔵庫行き。さて今日食べたら、どんな味がするだらうか。いや、食べてはいけないのかな。消費期限つて何だらう。勝手にさせろよ。

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