言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

祝日には、旗を掲げよう

2007年11月23日 12時13分20秒 | 日記・エッセイ・コラム

今日は、勤勞感謝の日で祝日である。私はマンションに住んでゐるので、大きな旗は掲げられないが、メールボックスに小旗を差してゐる。廊下は共用スペースであるから、下に旗立てを置く式のものであると、すぐに管理人さんが飛んで來て「取り除け」と言つてくるので、メールボックスに差して空間を利用させてもらふことにしてゐる。嚴密に言ふとどうなのか分からないが、未だ言つて來ない。

  一軒家に住んでゐた子供の頃(もちろん借家である)は、母親が祭日には玄關先に旗を掲げてゐた。そして「旗日(ハタビ)」といふ言葉を使つてゐた。だから私は今でも「旗日」と言ふ。貧しかつた子供の頃、電話もなかつたし、もちろん子供部屋などない。子供を食べさせるためだけに働いてゐた兩親であるが、「お客さんは大事にすること」とこの國旗の掲揚だけは、きちんと教へてくれた。

  後年、勤勞感謝の日とは、新嘗祭のことでると知つた。インターネットの百科事典を見れば、かう書いてある。

勤労感謝の日(きんろうかんしゃのひ)は、国民の祝日の一つ。日付は11月23日国民の祝日に関する法律祝日法)では「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」ことを趣旨としている。1948年公布・施行の祝日法で制定された。

前の新嘗祭(にいなめさい; しんじょうさい)の日付をそのまま「勤労感謝の日」に改めたものである。新嘗祭は1872年までは旧暦11月の2回目のの日に行われていた。1873年太陽暦グレゴリオ暦)が導入されたが、そのままでは新嘗祭が翌年1月になって都合が悪いということで、新暦11月の2回目のの日に行うこととした。それが1873年では11月23日だった。しかし、翌1874年からは11月23日に固定して行われるようになった。11月23日という日付自体に深い意味はなく、たまたま日本太陽暦を導入した年(1873年)の11月の2回目のの日が11月23日だっただけのことである。

  戰後の祝日法は、ずゐぶんといい加減なものであるが、この「勤勞感謝の日」といふ言ひ換へも醜い。體育の日など一部の祝日を月曜日にしたことと共に、歴史からの隔絶を國家が進んで行ふといふのは、文化へのあまりの背信である。それは無知に基づいてされてゐるのか、知つてて故意に何かのイデオロギーのためにしてゐるのか詳らかではないが、國民から歴史感覺を失ふことを助長してゐることは確かである。ありていに言へば、國旗を掲げる家の何と少ないことか!

   しかし、そんな國家の政策にたいしても抵抗はできる。それが祝日祭日に國旗を掲揚することである。レジスタンスに旗はつきものである。私は、日本の政府なんて信じてゐない。假名遣ひにしても、教育行政にしても、税制にしても、外交にしても、まつたくなんたることかと思つてゐる。知識がないから書けないけれども、さう思つてゐる。もつとも、政府とは信用するかしないかの對象ですらない。手段である。ただ、ずゐぶん不便でやつかいな手段である。

   話がだんだん横にいきさうなのでやめる。言ひたいのは、國旗を掲げませうといふこと。國との繋がりを確認する儀式として、祝日の朝、國旗を掲げる。私は啓蒙は苦手だが、これだけは皆さんに、お勸めしたい。

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