言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『さして重要でない一日』を読む

2018年08月20日 11時51分57秒 | 本と雑誌

 6月の地震で崩れた書棚の本を整理すべく、ここのところ本の分別をしてゐる。事前に本を段ボール6箱取りに来てもらふことになつてゐたので、期日までにいるもの、いらないものに分ける。それが昨日終はつたので今日は朝から少し落ち着いた気分で本を読んでゐる。

 整理してゐる途中で目に入つたのがこの『さして重要でない一日』であつた。何だか今の気分にぴつたりに感じたからかもしれない。作者の伊井直行といふ人もよく知らない。小説読み巧者ではない私は、現代作家の贔屓はほとんどゐない。この本もたぶん誰かの書評で知つたのか、古本屋でタイトルに惹かれたかで購入したものだらう。購入日は2003年7月12日となつてゐる。本の発行日はそれより10年前の1993年7月15日である。今から30年ほどの前の新人作家の書き方とはかういふものだつたんだな、といふのが第一印象であつた。

 話の中心は、ある会社の営業部門で働く青年の話。会議に出す資料がコピー機の調子が悪くて乱丁があり、それに気づいて回収に回るが、どうもすべてを見つけることができない。慌てていろいろなところを訪ね歩く。その途中でいろいろな話に巻き込まれていく。中心的な話題もミステリアスな終はり方で結論は見えない。途中の話にも結論はない。迷宮を歩きながら行き止まりにぶつかり、それで道を戻るが、結果的に出られなかつた。そんな物語である。

 何かの事を成し遂げるわけでもないが、それでも一日中仕事をしてゐる。それこそ「さして重要でない一日」なのであらう。その気分はとてもよく伝へてくれる。だが、決して心地よくはない。この本の初版は1989年に出てゐるが、バブル崩壊の直後の日本の気分はかういふもやもやした気分に似てゐたのか、と思はれた。が、私の1989年を思ひ出しても何も思ひ出せない。

 今の日常も「さして重要でない一日」である。さういふ日常しかない私には、かういふ小説は心の解放にはつながらない。嫌な時間ではなかつたが、結論も出ず、そして手応へも感じず、それでゐて時間だけが過ぎていく生活を小説にすると、かういふ物語になるのかと考へても一向に見えてくるものはなかつた。

 伊井直行といふ人は、かういふ生活をどう過ごしてゐたのか、それだけに関心がある。

さして重要でない一日 (講談社文芸文庫)
伊井 直行
講談社

 

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