言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

戦争を「太平洋戦争」だけで語るな。

2018年08月16日 11時06分07秒 | 国際・政治

 昨日、テレビを見てゐて、ヤフージャパンが戦争についての取り組みをしてゐることを知つた。

 元NHKのディレクターだつた人を招き、戦争の記憶を未来に残すといふプロジェクトを始めた。昨日のテレビでは、高校生数人がヤフー本社を訪れ、くだんのディレクターが展示物を案内するシーンが流れた。高校生は制服、ディレクターはラフな格好である。そして、次のシーンでは、戦争体験者にインタヴューに行くそのディレクターと同僚一人が映し出された。相手は80歳を過ぎた老婦人である。酷暑の夏に上着を着、胸にはネックレスをしてゐた。いかにもお待ちしてをりましたといふ姿である。しかし、向かつたその二人はポロシャツである。

 私は、その姿が嫌だつた。戦争の悲惨を集めに来たのである。そして、語る人とその語りを聴く人との差、展示を観る人とその展示をする人との差、前者は正装で後者は非正装。服装で何を語らせるな、それはいちゃもんだと言ふかもしれない。しかし、さういふところにその人の思想が出てくると考へるのが私の批評のスタイルなので、お許し願ひたい。ディレクター氏が大事にしてゐるのはコンテンツなのである。だから、ホームページを見ても、コンテンツの収集に余念がない。だから、ポロシャツであつても数多く人に会ひ、数多くの資料を集めた方がよいのであらう。もちろん、それも大事である。しかし、語る内容よりも語り方の方が大事ではないか。

 一つだけ言へば、ディレクター氏も戦争の悲惨さを言ふテレビ番組も、その戦争はいづれも「太平洋戦争」でしかない(しかも「大東亜戦争」ではなく)。それはなぜか。そのことが「語り方」を決めてゐるのではないか。あの戦争は負けた戦争である。だから、戦時中の国民も戦後の私たちも、等しく「被害者」として語れる。断罪一辺倒。悪いのは国家であり、政府である。国民は被害者だから、その声は正義である。さういふスタンスで語り口が決まつてゐる。気楽なものだ。全く緊張感がない。だからラフな格好になつてしまふ。しかし、それは本当か。この夏、私は宮崎県の飫肥(おび)にある小村寿太郎記念館を訪ねた。もちろん、日露戦争の終結に尽力した人物を記念したところだ。そこには戦争の悲惨さを述べたものは見つからない。戦争を賛美したものもないが、日本の近代化に必要だつた悲劇を最小にしようと尽力した人物の偉功をささやかに顕彰したものだつた。

 あの戦争に勝つてゐたら、今日のやうなお気楽な気分で戦争を断罪できるだらうか。私が問題にしたいのは、そのことである。戦争の悲惨者を言ひ募るその姿勢にまつたく緊張感がない。つまりは今の時代に生きてゐる難しさを当時の人も同じやうに持つてゐたといふ当たり前の当事者意識がないといふことである。さういふ人が作る「戦争の記憶」も「物語」も、事前に準備されてゐたものの塗り絵でしかない。決められてゐるパーツに色を塗つてゐるにすぎない。だから彼らの行動は、まだ塗られてゐない部分に色を載せるだけだ。コンテンツ収集作業に熱心なのは塗り終はつてゐない部分があるからである。

 私の言葉は厳しいだらう。しかし、あの正装した婦人の前にポロシャツ姿で堂々と出てきた二人の非礼がどうしても許せないのである。戦争に勝つてゐたら、ディレクター氏はそれでもこの婦人を訪ねただらうか。その疑念が拭えない。彼らの姿勢は二重に非礼である。

 戦争を語るなら、せめて近代の戦争すべてについて語れ。戦争の悲劇を言ふなら、せめて日清戦争から語れ。私はそれを感じてゐる。

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