言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『カエルの楽園』を読む。

2017年09月24日 19時23分36秒 | 日記
カエルの楽園 (新潮文庫)
百田 尚樹
新潮社

 

 

 文庫になつたら読まうと思つてゐたら、想像以上に早く文庫になり、直ちに読んだ。三時間ほどで読める。内容は、まさに現代日本を戯画化したものである。安全保障を巡る私たちの国の言論状況のお粗末ぶりを真剣に的確に書いてゐる。

 しかし、百田尚樹氏は楽しくはなかつたであらう。笑ひながら書いてゐたかもしれないが、平和主義者の主張の方をたくさん書かなければならないのであるから、内心は愉快であるはずはない。

 憲法九条があるから平和が保たれてゐる、こんなウソ話が真実だと「信」じられてゐるのであるから、恐ろしい。それはまさに信仰の境地であらう。憲法は経典であり、教祖はマッカーサーか。その名は「平和信教」である。

 カエルでしかない私達。それでもこの国に生まれた私達には、逃げる場所もない。言論でたたかふしかないが、極めて疲れることである。信者から信仰を奪ふことはたいへん難儀なことだからである。「ゲロゲロ」と「ケロケロ」とを合唱しあつてゐるのであれば、まさに徒労とならう。さうしてそんなことをしてゐるうちに、ミサイルが飛んでくるのではないか。最近ではそんなことさへ危惧される状況である。

 

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