言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

本との別れ

2016年05月05日 13時10分15秒 | 文学

 書庫の整理の最終回。大型連休は、毎日ちょこちょとと本の整理。

 昨日、段ボールで二個、古書店に運んだ。

『新渡戸稲造全集』 もう読み切れないだらうと思ひ、決断。内村鑑三全集と並べて、私は鑑三を取つた。

『亀井勝一郎人生論集』 全集を購入したので、こちらはお別れした。たぶん重なつたものは少ないと思ふが、仕方ない。それにしても亀井は多筆家である。高校時代に出会ひ、大学時代に愛読した。

『加藤秀俊著作集』+単行本 中学受験の教材を作つたり模擬試験を作つたりした時には、よく読んだ。講演に行つた折に「ピースミールエンジニアリング」といふ言葉を知り、社会学者の発想を面白く聞いた(その言葉の意味は、「小さな問題をひとつひとつ解決してゆくことによって,ある目的を達成しようとする社会科学の方法。イギリスの哲学者ポパーが,歴史主義に代わる方法として提唱。漸次的社会技術。」)。が、たぶんもう読むことはないだらう。

『安岡章太郎随筆集』 「サアカスの馬」一篇に出会つた。それで十分である。「海辺の光景」の作者は、さらに身近な作家になつた。

『井上ひさし全芝居』 戯曲を読む習慣はないが、井上ひさしは読むべきだと十年前にふと感じ、買つてはみたがやはり読まなかつた。「國語元年」「人間合格」だけは単行本を置いてある。

 その他、新聞記事の切り抜きが紙袋に三つあり、それを3分の1にした。これは思ひのほか手間取つた。一つに、手にしたものが全文であるから、やはり読んでからどうするかを決めてしまふことがある。二つには、やはり切り抜いただけのことはあつて、私の関心事がコンパクトにまとめられてゐるから、読み終はつた後に、捨てる気が起きないのである。だいぶ神経が疲れた。微熱が出て、午前中休んだり、夜中に氷枕で寝たりした。「断捨離」などといふことは、とても簡単にできることがらではない。読まずに捨てるとは、自分に詰め腹を切らされることのやうに感じた。

 その他この他の「整理」で書棚に隙間ができ、床の面積も広がつた。しばらくは本を買ふ気はしない。所持してゐる本の面白さがよみがえつてきたからである。そして、まだ未読の本の多さに驚いたからでもあるが、いちばんの理由は、捨てることの難しさが本を買ひたいといふ思ひよりも勝つたからである。

 

 さて、古書は近所の古書店に持つていつた。最初は、引き取りをお願ひしたが、200冊以上ないと引き取らない、そして高価なものでないとあまり……といふことであつたので、直接持つていつた。近所の古書店と言つても車で15分ほど。たいへん立派な古書店である。大阪にゐた時には、しばしば出向いたので、本の趣味は分かつてゐる。店内も本もきれいで、本も揃つてもゐる。天牛書店(http://www.tengyu-syoten.co.jp/)といふが、一度ホームページを見てもらへればと思ふ。少し多めの小遣ひが入り、そのあと友人と会ふ約束をしてゐたので、おいしい食事をとることができた。

 

 大型連休は、最初から最後まで本との格闘である。少し心が軽くなつたはずだが、今はまだ疲れが残つてゐる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする