言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

舟忠さんへのコメント

2007年05月06日 16時39分04秒 | 日記・エッセイ・コラム

 舟忠さんへ

   コメントありがたうございます。歴史教育の必要性についてですが、舟忠さんが自己の來歴に深く思ひを致したのは、どなたからか教育されたからでせうか。御書きになられたやうに、きつかけは御尊父や御尊祖父からの御話であつたとしても、御自身で調べたことが大きく影響したのだと思ひます。本を讀み、自己との繋がりを見出すことによつて、確かな「血」の流れを感じたのではなからうか、と勝手に推測をしてをります。

  歴史學といふ學問への憧れや、歴史を探りたいといふ慾求は、いづれも私たちが本來的に持つものである以上、それは今後ともになくならないでせう。そして、自己の興味や關心に基づいて歴史を探れば良いのだと考へます。歴史はいつでも「私」の歴史として語れと言ふのは、さういふことです。もちろん、學問の世界においては科學的でありたい、實證的でありたいとそれぞれの學者が考へるのは自由でせう。しかし、學校教育の場では、どんな歴史教育も、あのスタイル(教科書と講義)で行はれるならば、百害あつて一利無しと私は思ひます。再び、舟忠さんのことについて書けば、近江商人の末裔であることを誇りに思はれたのは、御自身で調べ、御自身でそこに繋がりを明確に感じたからではないでせうか。小林秀雄を我田引水に持ち出せば、「歴史はつまるところ思ひ出だ」と言ふのは、さういふ意味だらうと思ひます。思ひ出すといふ作業は、各自がするものであり、教室で教科書片手に教師が力説する場面でするものではないやうに思ひます。

   また、自己の來歴を感じるのには、國民の歴史は少少大き過ぎるやうにも思ひます。文學の世界で、情緒を分かち合ふことは可能ですが(萬葉集の防人の歌などは、十二分に理解できます)、大化改新や元寇に、自己のアイデンティティを假託するのは、觀念操作として行ふとしてもかなり高度なものだと思ひます。それらは、もつと興味本位で良いと思ひますし、英雄(ヒーロー)を求める人間の性に結びつけた方が、もつとのびやかな歴史像を作り出すことができると思ひますが、いかがでせうか。

  歴史教育は(「歴史は」ではなく)、如何なるプロパガンダの道具にもしてはならない――私の結論です。

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言葉の救はれ――宿命の國語156

2007年05月06日 11時38分47秒 | 福田恆存

もちろん、田中氏は言葉が變化することと言葉が生きてゐることとが同じである筈がない。そのことを考へたうへで、言葉が「生きていくためには変化しなければならない」と言つてゐるのではない。單に不用意に出た發言にしか過ぎない。

「ものを考へてゐない」といふことが無邪氣であるとされるのは子どもだけなのであつて、まつたく恥かしいことである。私たち日本人はこのことが大の苦手であるが、思考怠惰は學者にとつては、命取りになる。ところが、日本の知識界ではどうやら命取りにならないのらしい。知的怠惰の病弊は深いところに及んでゐる。まさに病膏肓に入るである。

  言葉が自然の流れにしたがつて亂れていくといふことを「生きている」と評價する田中氏の姿勢は、とんでもない誤謬に基づくものであらう。しかし、今も大學の教授を勤めてゐられる。これが不思議なのだ。

もつとも、このこと自體は氏を教官として選んだ大學の問題であるから、これ以上立入らない。問題は氏の言語觀である。田中氏が、「言語は生きていくためには變化しなければならない」と考へることの誤りを、もし承知で書いてゐるのなら、詐術と言つてよい。そんな言語觀で『ことばと国家』を論じられては、私たちの國語は、そんな御仁に眞實を示しはしない。

私たちでもさうではないか、人が人に對する時、「この人には話しても理解してもらへさうもないな」と感じれば、その人に話すのはやめてしまふだらう。それと同じやうに、こんな粗雜な言語觀を持つてゐる學者には、國語は「死んだ振り」をしてしまふものであらう。もし變化してゐるだけで生きてゐると考へるならば、體温がどんどん上つて今にも倒れさうな患者に對して醫者が「正常です、心配ゐりません」と考へなければならない。熱を下げたり體調を恢復させてあげたりすることに熱心になるべき時に、「生きてゐるから安心して下さい」などと言ふ醫者であれば、その病院はすぐに潰れるだらう。問題は、その變化が通常のものなのか、異常のものであるのかである。その峻別をするのが專門家の專門家たるゆゑんであらう。

冒頭からずゐぶんと毒づくなとお感じの讀者もをられるかと思ふが、こんな簡單な理屈も分らないで、社會言語學などといふものを先導する田中氏の言説は看過できないと思つたからである。

「死んだ振り」を見せる國語は、ただ全うな醫師の出現を待つてゐるのである。

  さてさう言へば、本居宣長が醫師であつたことは何か象徴的である。さらに言へば、近代にあつて、國語にたいして正常な感覺を持ちえたのが森鴎外であつたが、彼も醫者であつた。

  時枝誠記や柳田國男や福田恆存なども、國語政策に對する論じ方のあり樣をを醫師としてみれば、その意味がよく分かるだらう。生きた言葉を見た人人である。

  具體的に見ていかう。

「地球にやさしい車」といふのが、二十一世紀の自動車の主流になるといふ。環境問題を考へるといふ姿勢は良いだらう。環境保全といふことが地球に生きる私たち人類の共通の課題であるといふこともしかたないだらう。

  がしかし、「地球にやさしい車」とは何事か。かうした言葉遣ひを田中氏は、正常と見るのであらう。

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