言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

假名遣ひの復活

2005年10月25日 10時01分26秒 | 国語問題
 歴史的假名遣ひの復活は難しいだらう。なぜなら、多くの人が、假名遣ひなどどうでも良いと思つてゐるからである。しかし、それを續ける人が一人でもゐる限り、消えることもまたない。その際に、重要な役割を擔ふのが作家や批評家であると思ふ。歴史的假名遣ひを使ふ作家や批評家が増えれば、ひとすじの燈明もやがて少しづつ太いものになつてゆくだらう。その意味で諦める氣持ちにはならない。
 あるいはかうも言へる。幸ひなことに古典のすべては、歴史的假名遣ひで書かれてゐる。言葉の榮養が傳統からしか吸收できないとすれば、歴史的假名遣ひを學ばずして、日本語はあり得ない。歴史的假名遣ひが求められるゆゑんである。

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言葉の救はれ――宿命の國語35

2005年10月16日 17時55分20秒 | 国語問題
「百円札をもやして靴をさがさせた」といふ繪を、中學生の時代に教科書で見たことがある讀者も多からう。そんな大正時代の成金は一部の人々だけの醜態であつたが、戰後の成金は大衆すべてである。今日の状況は、醜態の再生産である。したがつて、生活から切り離されて空虚になつた言葉をもう一度正し、しらじらしいばかりの倫理や道徳といふ言葉を私たちの心に取り戻すことは、さう簡單に解決はできまい。さう思つてゐる。
 そして深刻なことに、保守派の言論でさへ、その處方箋についての主張が眞つ二つに分裂してゐるのである。
 世界の歴史に通曉し文明論を獨自の視點で描き出す、貴重な著者である山崎正和氏は、西尾幹二氏や西部邁氏が取り組む傳統を礎にした教育改革に眞つ向から異を唱へてゐる。それどころか、學校教育のなかから「歴史教育を外せ」とまで言ふのである。
 山崎氏の現状理解は、次のやうである。

 現代は何であれ一元的な原理が力を失い、全体を包むただ一つの社会秩序という観念が無効になりつつある時代なのかもしれない。秩序化の原理そのものをも多様に組み合わせ、同時に複数の秩序ある小さな共同体を連携させることのほかに、救済の途のない時代なのかもしれない。このような現実主義にたったうえで、いいかえれば可能性の限度を見限ったうえで、社交にそのための一つの役割を期待することはたぶん荒唐無稽ではないだろう。
                    「アステイオン」二〇〇〇年五四号

 歴史的假名遣ひで著作集を出版してゐたこの著者が、近年書き下ろしの原稿まで現代仮名遣ひにしてゐる。そのことが端的に示してゐるやうに、歴史といふものから距離をおき、個人と個人のむすびつきに期待しようといふのがその主旨である。「かもしれない」といふ推量の文末表現が、現状認識變更の可能性を殘してゐるが、これはいつもの山崎氏のやり方である。確信をもつて歴史性の喪失を見てゐるに違ひない。
 そこで現状克服の手がかりとしたいのが「社交」である。この言葉が近年の山崎氏のキーワードであるが、このことについては、引用文は連載第一囘目であるので、完結したをりにまた觸れることにしたい。
 ただし結論ははつきりしてゐる。「一元的な原理が力を失つ」たから、歴史教育がゐらない、必要なのはまつたうな社交の復活であるといふのは、あまりに「高等」すぎる。知識人のサロンにゐすぎて、現實が見えてゐないのらしい。社交の精神の復活を非難するものでもないが、それがどうして歴史教育の復活と同時に進めて行くことができないのか、大いに疑問である。つまり、「社交にそのための一つの役割」以上のものを山崎氏は「期待」してゐるのは明らかである。
 簡單に今日の醜態を改善することは難しい。だからこそ、その醜惡を矯正するために言葉を正していくといふことが必要だと考へるのが、私の立場である。
 山崎氏については、縷々觸れていく。が、ここでは「醜態」の話に戻すことにする。


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言葉の救はれ――宿命の國語33

2005年10月02日 22時16分25秒 | 国語問題
 國語問題がどうして「どうでもよい問題」として扱はれるかといふことの理由の底には、和語のなかに觀念を育てる言葉が育つ前に漢語が移入し、觀念語が漢語によつてしか表現できなくなり、なかなか私たちに身に附かないといふことがある。このことも論じなければならないが、それを考へてはいよいよ本論の主題は不明になつてしまふので、ここでは保留しておくことにしたい。ただ一言すれば、漢字が入つてきて一千五百年以上もたつてゐるのに、「身に附かない」などと言つてゐるのは、完全な思考怠惰である。身に附いてゐないのなら、身に附ければ良い。觀念を育てる努力をすることが大事である。
 とは言へ、觀念を尊重しない私たちには、言葉の正確性も假名遣ひの正統性もどうでもよいものであつた。食べられれば良い。それが戰後の生き方になつてしまつた。
 國が無くなつたまま二千年を經て、國を再建したイスラエルの民を、羨ましく思ふ。私たちに、そんな精神があるだらうか。
 貧して鈍した人間は、衣食足りても禮節を知らないのである。なぜなら、貧から脱出するために禮節を捨ててしまつたからである。仕方なく、禮節の看板を降して押入にしまつて置くのなら、いつの日か出してくることも可能だらう。しかし、捨ててしまつたものはどうしやうもない。
 戰後社會に蔓延した言葉は奇麗である。民主、平和、人權、平等、個性、自由、あげればきりがない。しかし、その内實はそれらで覆ひ隱さなければならないほど、内面が汚れてゐるといふことだらう。さうであるからこそ、それらの言葉の意味を深めることはできず、スカスカで輕い記號のやうな言葉になつてしまつた。
 民主、平和、人權などと叫ぶ人達が、暴力的にその思想を主張するといふ矛楯した行動が、なによりも雄辯にそれらの言葉の輕さを表してゐる。政治の世界で言へば、共産黨から自民黨までが民主主義を主張するといふ時、民主主義とは御都合主義の代名詞でしかない。政治の理念がその程度の輕さしかないのだとしたら、戰後の國語がその重みを保ち續けることができるはずはない。
 もちろん、生活世界において營まれる國語の正確な使ひ方が政治の言葉を支へるのが本當の姿である。が、何のことはない、その政治が生活世界の國語をまづ破壞して戰後を始めたのであるから、政治は言はばその養分の補給源をみづから絶やしてしまつたのである。それでは、政治の言葉がよくなるはずはない。もちろん、このことは政治に限つたことではない。今、世の中のどんな言葉が私たちの精神に記憶されてゐるだらうか。「癒し」などといふ微温的な言葉が音樂や文學を批評する言葉として使はれるが、慰めでしかない癒しなどといふものは、救ひをもたらすものではない。文藝の世界もまた言葉の力を失つてゐるのだ。
 舊聞に屬すが、森前首相の神の國發言にしたも、その「神」が「GOD」を意味してゐるなどと考へてゐる人などどこにもゐないのに、わざわざ戰後民主主義への挑戰であるかのやうな理屈を立てて、言葉狩りをしようとする。それがマスコミだけなら、ああまたかですむが、こんどばかりは大部分の人人も、それを問題視した。
 國民の言語感覺が痲痺してゐる。



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「國語國字」最新號は福田恆存特輯

2005年05月09日 23時37分47秒 | 国語問題
 最新號の「國語國字」(國語問題協議會機關誌・第183號)は、福田恆存特輯號です。昨年行はれた講演會の内容を輯録。その他、16名の方方の追悼文などが掲載。充實した内容になつてゐる。

  講演會の演題・演者は次のとほり。


   「四十五周年を迎へて」 宇野精一

   「福田恆存と國語問題」 小堀桂一郎

   「福田恆存の思ひ出」 松原正


 御問ひ合せは、國語問題協議會 事務局 03-5908-9356
           0359089356@mail.keikaibox.com

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言葉の救はれ――宿命の國語8

2004年12月19日 12時49分52秒 | 国語問題
 いささか横道にそれてしまつた。
 話題は、國語問題である。參考文獻としては、福田恆存と土屋道雄氏の實質的共著『國語問題論爭史』があげられる(聞くところによると、この書近近、土屋先生が加筆した増補版が出るとのこと)。
 これを御讀いただければ、明治以降の「國語國字問題」が明瞭になる。しかしながら、それはなかなか手に入れにくい。私の學生時代、卒論に使ふために古書あさりをしてゐた今から約二十年ほど前、早稻田の古書店でそれを見つけた。店主の横の棚にいかにも高價な本として置かれてゐた本を、名稱だけは知つてゐたが、未だ見たことのない私は嬉しくなりいさんで手にしたが、賣り値五千圓となつてゐたので、仕方なく棚に戻した。餘分なお金を持ち合せてをらず、卒論は日本近代思想史、なかんづく内村鑑三を主題に選んでゐたので、斷念せざるを得なかつた。早稻田界隈を一巡したあと、もう一度その店に立ち寄り、思案したが、やはり諦めた。食費を節約しても足りる額ではなかつた。
 今『國語問題論爭史』は、私の手元にある。十五年の後、入手したものである。當時の賣り値より高かつたが、今はそれを買ふことができた。いろいろと古書店をまはりながら、一向に見つからなかつたその本が、近隣縣にも古書店が滿足にない地方に引越して、インターネットで見つかつた。まことに味氣ないことではあるが、技術の進歩の恩惠であるといふことはまぎれもないことであつた(またまた寄り道)。
 より入手しやすいものとしては平成十一年に出た中公文庫の『國語改革を批判する』がある。そこに収められてゐる大野晋氏の「國語改革の歴史(戰前)」を參照するとよい。ローマ字化への動き、かな表記への試みは、戰前からあつたことが記されてゐる。有名なものとしては、前島密の「漢字御廢止之儀」(慶應二年、最後の將軍徳川慶喜に建白)、福澤諭吉の「第一文字之教」(明治六年・ここには端的に「漢字をまつたく排するの説は願ふ可くして」と書かれてゐる)、原敬の「漢字減少論」(明治三三年)、田丸卓郎の『ローマ字國字論』(大正三年)、また「カナモジカイ」(大正十一年)などがある。それらは、いづれも漢字を使つてゐるから日本は發展しないのだ、當時の先進國ヨーロッパの文字で國語を表現することが正しいことだと信ずるところから生まれた暴論であつた。さてさうであれば、戰後進駐軍たちがローマ字を話題に出した時、彼らは色めきだつたことは想像できる。この期を逃すまいとして「國語改革」に邁進したのである。また、注意しなければならないのは、「國語改革」を躍起になつて推し進めたのは、前述のローマ字會やカナモジカイばかりでなく、文部省の官僚たちでもあつたといふことだ。彼らもこれを歡迎したのだつた。
 官僚は國益を考へるといふ神話は、ここでも裏切られてゐるわけで、「文部官僚は戦時中に日本語を南方に普及させようと躍起になっていたところで敗戦を迎えて、仕事がなくなってしまった。それで役人たちが首を切られては困ると考えた」(大野晋「日本語の将来」「一冊の本」平成十二年二月号)結果、進んで「仕事」を作つたといふのだ。


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