三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

文字・絵・音・声・映像 13

2008年07月03日 | ドキュメンタリー
 1869年8月にアイヌモシリの一部を植民地としてから70年後、1939年2月に日本軍が海南島に奇襲上陸してから1945年8月までの6年半、日本政府、日本軍、日本企業は、残酷な侵略犯罪を実行しました。
 日本政府・日本軍は、海南島で、住民虐殺、村落破壊、放火、暴行、性的暴行、略奪をおこないました。
 日本政府・日本軍・日本企業(三井物産、日本窒素、石原産業、西松組、浅野セメント、王子製紙、武田薬品、資生堂、三越、トヨタ自動車……)は、港湾・道路・橋梁・鉄道・飛行場などを農地・住宅などを破壊して建設するとともに、鉱山資源、森林資源、漁業資源、農産資源を略奪し、その過程で、海南島・香港・広東・台湾・朝鮮……から民衆を強制連行し労働を強制しました。おおくの人が事故や病気や飢えや暴行で死にました。 
 日本政府・日本軍は、海南島の金融を支配し、「軍票」を乱発ました。
 日本政府・日本軍は、行政機関を設置(三省〈外務省、海軍省、陸軍省〉連絡会議)するとともに傀儡政府を造成し、「治安維持会」を設置して「良民証」などによって住民を管理しようとしました。
 日本政府・日本軍は、海南島民衆に「ヒノマル」・「キミガヨ」おしつけ、天皇賛美を強制しました。
 毒ガス大量使用、組織的生体解剖以外の犯罪のほとんどを、日本政府・日本軍は海南島でもおこないました。

 これらの侵略犯罪の実態は、日本では、隠されつづけていました。
 わたしたちは、1998年6月から、国民国家日本の海南島侵略と中国民衆の海南島における抗日反日闘争の歴史を探求してきました。
 その過程で、わたしたちは、2001年1月から、証言をビデオカメラで記録し始めました。
 それは、侵略と抵抗の史実を探求するとともに、その史実の史料を創出することでした。
                                   佐藤正人
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