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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

海南島で日本は何をしたのか  住民虐殺・略奪・労働強制・性奴隷化、抗日反日闘争

2019年01月27日 | 海南島近現代史研究会
 以下は、日本軍の海南島奇襲攻撃(1939年2月10日)80年後のきのう(2019年1月26日)開催された設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会主催研究会での、海南島近現代史研究会の佐藤正人の報告要旨です。
     
■海南島で日本は何をしたのか  住民虐殺・略奪・労働強制・性奴隷化、抗日反日闘争■
                                      
はじめに 加害と被害
1、被害者がいるということは加害者がいるということ
 日本国家がアジア太平洋でおこなった加害犯罪の加害者は、 天皇、日本政府、日本軍、日本企業、日本民衆。
 国民国家日本が日本民衆におこなった加害犯罪の加害者は、天皇、日本政府高級官僚、日本軍高級将校、日本企業幹部……。
 日本民衆は、日本民衆への加害者である天皇、日本政府、日本軍、日本企業を糾弾し、謝罪させ、賠償させなければならない。
    ガダルカナル島やインパール地域などで餓死した日本兵、中国東北部・モンゴル東部で
   死んだ「満蒙開拓団」や「満蒙開拓青少年義勇軍」の少年や子どもたちの加害者は、天皇  
   ヒロヒト、牟田口廉也、辻 政信、加藤 完治……など。
    「東京大空襲訴訟」(2007年3月第1次提訴・2008年3月第2次提訴、2013年5月敗訴)
    「大阪大空襲訴訟」(2008年12月提訴、2014年9月敗訴)
    「沖縄戦被害国家賠償訴訟」(2012年8月住民・遺族ら36人が提訴、2018年9月敗訴)
         「沖縄戦」は、「国体」(天皇制)を維持しようとした戦争。
   侵略戦争の加害者 ⇔ 侵略戰爭の犠牲者
2、歴史的事実の展示
■りばてぃ大阪問題(2004年5月顕在化)とピースおおさか問題(2013年4月顕在化)
■韓国で特別展『海南島で日本はなにをしたのか  侵略・虐殺・略奪・性奴隷化』
   西大門刑務所歴史館(ソウル,2004年10月)、韓国独立紀念館(天安、2004年10月~11月)
■日本で展示会『海南島で日本はなにをしたのか  侵略・虐殺・略奪・性奴隷化』
   丹波マンガン記念館(京都、2005年9月~12月),高麗博物館(東京、2006年5月~7月)
■沖縄県平和祈念資料館、ひめゆり平和祈念資料館、対馬丸記念館
■女たちの戦争と平和資料館(東京)、立命館大学国際平和ミュージアム(京都)、佐賀県立名護屋博物館(唐津市)、在日韓人歴史資料館(東京)、アウシュヴィッツ平和博物館(福島県白河市)、三重県人権センター(津市)、大阪産業労働資料館(大阪)
■日帝強制動員歴史館(釜山)、戦争と女性の人権博物館(ソウル)、植民地歴史博物館(ソウル)、済州抗日記念館
■侵華日軍南京大遭難同胞紀念館、九・一八歴史博物館(瀋陽)、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館(ハルビン)、中国人民抗日戦争紀念館(北京盧溝橋)
■国際奴隷制博物館(International Slavery Museum。リバプール)、オーストラリアの囚人遺跡群、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館(Państwowe Muzeum Auschwitz-Birkenau w Oświęcimiu)、戦争証跡博物館(ホーチミン市)
3、追悼碑
   犠牲者の名。 海南島で何人が殺害されたか。
             台湾、朝鮮、中国、ホンコン、シンガポール、マラヤ、インドネシア、フィリピ
            ン、オキナワ……で何人が殺害されたか。
   日本の侵略犯罪の犠牲者を追悼する碑のある場所は、アイヌモシリ侵略、琉球王国侵略
  いらいの国民国家日本の侵略犯罪の歴史を明らかにし、その歴史的責任を追究していく民
  衆運動のひとつの根拠地。

(一)日本の海南島侵略と抗日反日闘争の歴史
 1939年2月から6年半(日本軍の海南島奇襲上陸から敗戦まで)=海南島戦争(侵略と抵抗)の時代
 日本政府・日本軍は、海南島を植民地とし、東南アジア・太平洋侵略基地としようとした。
 1939年2月10日の日本陸海軍の海南島奇襲上陸直後から、日本のマスメディア、「従軍作家」などは事実を隠蔽して海南島侵略を美化、宣伝、扇動。日本民衆は領土拡大を喜び、支持(兵士……となった日本民衆は直接、犯罪を実行)。
 日本政府・日本軍が海南島侵略を開始する以前に、日本国民のほとんどが、他地域・他国侵略に反対する思想・感性・倫理を喪失していた。
※Ⅰ、日本政府・日本軍は、なぜ海南島を占領したのか
    1、国民国家後の日本の植民地・領土・占領地拡大
         アイヌモシリ・ウルマネシア、台湾・朝鮮・「関東州」・「南洋諸島」・「満洲」(中国東
        北部・モンゴル東南部)・華北・華中・華南・海南島……
    2、資源略奪
    3、アジア太平洋侵略基地
※Ⅱ、日本はいつから海南島侵略を準備していたか
※Ⅲ、国民国家日本の中国侵略史・中国民衆抗日反日闘争史における海南島侵略史・海南島抗日反日闘争史
 日本の侵略に抗して、海南島の民衆は、戦いつづけた。
 アジア太平洋の民衆にとって、日本の侵略の時代は、抗日反日闘争の時代。
 その時代は、全世界的規模で、終わっていない。

海南島民衆の抗日反日闘争にかんする文書 (抄)
 海南抗戦卅週年紀念会編印『海南抗戦紀要』上、下、文海出版社〈台北〉、 1980年2月(?)。
 陳永階編『瓊崖革命先駆者文集(海南島党史資料)』瓊島星光編集部出版、1985年9月(内部発行)。
 瓊崖武装闘争史辧公室編『瓊崖縦隊史』広東人民出版社、1986年9月。
 中共広東省委党史資料征集委員会・中共広東省海南行政区委員会党史辧公室編『瓊崖抗日闘争史料専編』広東省内部刊行物、1986年10月。
 星火燎原編輯部編『星火燎原3 海南島革命闘争専輯』解放軍出版社、1987年5月。
 中共文昌県委党史辧公室編『文昌人民革命史』海南人民出版社、1988年9月。
 中共昌江黎族自治県委党史辧公室編『昌江英烈傳』1989年5月。
 中共海南省委党史研究室・海南省民政庁編『瓊崖英烈伝』第一輯~第四輯、三環出版社、1989年8月、1990年3月、1991年6月、1992年8月。
 中共瓊海県委党史辧公室編『瓊海革命闘争史』三環出版社、1990年5月。
 「海南島各族人民的抗日闘争和抗日根拠地」、『中国少数民族革命運動史』四川民族出版社、1990年。
 南陽革命史話編写組編『南陽革命史話』瓊島星光編輯部出版、1991年。
 昌江黎族自治県地方志編纂委員会編『昌江二千年事記』南海出版公司、1992年1月。
 中共昌江県委党史研究室著『昌江革命史』海南出版社、1994年7月。
 中共海南省委党史研究室・海南省中共党史学会編『瓊崖革命研究論文選』中共党史出版社、1994年10月。
 雷鐸・曹柯・謝岳雄『南粤之剣 ――粤海抗戦実録』(中国抗日戦争紀実叢書)解放軍文芸出版社、1995年7月。
 中共海南省委党史研究室編『瓊崖抗日英雄譜』海南出版社、1995年8月。
 黄玉梅「瓊崖女性熱血豊碑――浅析抗日戦争時期瓊崖婦女運動的歴史地位」、『海南史志』1995年第3期、1995年8月。
 王善功・班石「石山抗日闘争与日軍暴行」、『海南史志』1995年第3期。
 中共海南省委宣伝部・海南省社会科学界聯合会・中共海南省委党史研究室編『不朽的豊碑――紀念抗日戦争勝利50周年論文選』中共党史出版社、1996年12月。
 邢益森「抗日戦争時期日寇的経済侵略和瓊崖人民的反経済掠奪闘争」、『海南史志』1997年第2期、1997年3月。
 中国抗日戦争史学会・中国人民抗日戦争記念館編『少数民族与抗日戦争』北京出版社、1997年6月。
 呉淑貞「抗日戦争時期瓊崖婦女文化工作記略」、『海南史志』1997年第4期、1997年11月。
 程昭星・邢詒孔著、中共海南省委党史研究室編『黎族人民闘争史』民族出版社、1999年3月。
 中共瓊山市委党史研究室編『瓊山革命豊碑』東西文化事業公司(香港)、1999年7月。
 中共海南省委党史研究室編『海南英烈譜』海南出版社、2000年12月。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会『海南島で日本は何をしたのか 虐殺・略奪・性奴隷化、抗日反日闘争』写真の会パトローネ、2005年5月。
 中共万寧市委党史研究室編『二十三年紅旗不倒――六連嶺革命闘争紀実』2005年7月。
 中共万寧市委党史研究室編『万寧革命闘争史研究』2006年3月。
 海南革命史研究会編『瓊崖風雲』海南出版社、2006年12月。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会『《写真集》日本の海南島侵略と抗日反日闘争』写真の会パトローネ、2007年2月。
 李昌妥『白石嶺槍声』2007年、自費出版。
 中共文昌市委党史研究室・中共文昌市東閣鎮宝芳辦事処委委員会編(執筆、符積錫)『宝芳革命史話』2008年4月。
 張一平・程暁華『海南抗日戦争史稿』(海南歴史文化体系 歴史巻)、南方出版社・海南出版社、2008年4月。
 李徳芳『琼崖革命史』(海南历史文化大系. 历史卷)、南方出版社;・海南出版社、2008年4月。
 海南革命史研究会編『瓊崖風雷』海南出版社、2010年4月。
 符悦龍主編『瓊崖紅色記憶』上下、南海出版公司、2011 年6月。
 中共昌江黎族自治県党史研究室編刊『昌江県革命遺址縦覧』2012年6月(前言・後記)。
 李徳芳主編『琼崖革命简史』中国社会科学出版社、2013年8月。
    
防衛研究所戦史研究センター史料室(前防衛研究所図書館)蔵『海南警備府戦時日誌』・『海南警備府戦闘詳報』(30冊)、『海南海軍警備府引渡目録』(33冊)、『海南島ニ於ケル中国共産党』、『海南島敵匪情況』。 毎月作成されていた『海南警備府戦時日誌』には、各号に、「海南島敵勢力分布状況一覧表」が添付されている。

※Ⅳ、日本政府・日本軍・日本企業の海南島における犯罪
        毒ガス大量使用、組織的生体解剖以外の犯罪のほとんどを、日本軍は
       海南島でおこなった。
■軍事:
★住民虐殺、「処刑」、村落破壊、放火、暴行、略奪。
     「朝鮮村」虐殺、月塘村虐殺、后石村虐殺、咸来虐殺、長仙聯村虐殺、文池村・龍興
    村虐殺、楽羅村虐殺、古橋村・東寨村虐殺、大坡村虐殺、北岸郷虐殺、秀田村虐殺、
    昌文村虐殺、白石嶺村虐殺、排田村虐殺、賜第村虐殺、黄竹镇大河村・后田村・牛耕坡
    村・周公村虐殺、老欧村虐殺、南北溝村虐殺、林村村虐殺、石馬村虐殺、金牛流坑村虐
    殺、鳌頭村虐殺、旦場村虐殺、土卜村虐殺、南文村虐殺、光田村虐殺、下市尾村虐殺、
    昌美村虐殺、調楼村虐殺、排坑村虐殺、八所虐殺、沙土虐殺、共建村(元、牙寒村)虐
    殺、港坡村虐殺、礼亭村虐殺、三十笠村虐殺、三竈島虐殺……
        「海南部隊命令」第19号、「1941年海南島緊急米穀対策要綱」。
★港湾、道路、橋梁、鉄道、軍事施設(飛行場、司令部、兵舎、要塞、望楼、砲台、トーチカ、火薬庫、給水塔、軍用倉庫、軍用洞窟)などを整備・新設。 農地・住宅などを破壊して建設。
 日本軍飛行場跡;加来飛行場跡、潭牛飛行場跡、掃水飛行場跡、三亜飛行場跡、英州飛行場跡、黄流飛行場跡
★軍用洞窟跡 雷虎嶺日本軍用洞窟跡、中村日本軍用洞窟跡、南林日本軍用洞窟跡、「特攻艇震洋」格納用新村洞窟跡、「特攻艇震洋」格納用三亜洞窟跡
■軍事・社会: 
★性暴行(強姦、日本軍隊性奴隷化(「慰安所」設置・監禁室設置)。
 2001年7月16日、林亜金さんら8人の女性が、日本国に謝罪と賠償を求める「海南島戦時性暴力被害訴訟」をおこした。
 海南島における日本軍性奴隷は、「慰安所」に入れられた女性もいたが、各地の村落に侵入した日本軍の小隊が、「駐屯所」に独自につくった監禁所に拘禁された女性もいた。裁判の原告の8人は、すべてそのような村の少女だった。張応勇さんは、海南島で少女たちは「戦地服務隊」(あるいは「戦地后勤服務隊」)に入れられたと言っていた。
      ◆参照:朴来順口述、張応勇整理「不堪回首的往事 一個“慰安婦”的自述」、政
         協海南省保亭黎族苗族自治県委員会文史資料工作委員会編『保亭文史』9(紀
         念抗日戦争勝利50周年)、1995年8月。張応勇「日軍“戦地服務隊”中的黎
         族婦女」、『保亭文史』9。
 2001年11月の東京地方裁判所での第1回裁判のとき、原告のひとり黄有良さんが証言し、2005年3月に、林亜金さんと張応勇さんが証言し、2006年3月に、陳亜扁さんが証言した。 
 8人の原告のうち、譚玉蓮さんは2003年12月に、黄玉鳳さんは2004年9月に亡くなり、2016年4月現在ご健在なのは陳亜扁さん黄有良さんだけになったが、2017年5月に陳亜扁さんが、2017年8月に黄有良さんが亡くなった。   
 一審判決は、2006年8月30日。東京地方裁判所民事24部(矢尾渉裁判長)は、日本軍の犯罪事実を具体的に明確に認定しながら、原告の名誉回復と日本政府の謝罪と国家賠償請求を棄却した。裁判長は、日本国の不法行為性を認定しながら、司法の正義を守ろうとしないで、原告の請求をすべて棄却した。
 林亜金さんと張応勇さんが、東京地方裁判所で証言した2日後、2005年3月18日に、東京高等裁判所で、中国人「慰安婦」裁判第2次訴訟の控訴審判決が出された。この判決を、林亜金さんと張応勇さんは傍聴した。郭喜翠さんと侯巧蓮さんは、1996年2月に、被害事実の認定と、日本政府の公式謝罪と賠償を求めて提訴したが、侯巧蓮さんは、1999年5月に、亡くなった。
 控訴審判決は、原告が1949年から中華人民共和国政府のもとに生活しているにもかかわらず、1952年に蒋介石政権との間に締結された「日華平和条約」にもとづいて、原告の損害賠償請求権の放棄を認定する不当判決だった。
◆参照:中国人戦争被害賠償請求事件弁護団『返してください、私の名誉を、尊厳を!!(海南島謝罪文交付等請求事件)』中国人戦争被害者の要求を支える会、2001年11月28日。
「海南島戦時性暴力被害訴訟」弁護団杉浦ひとみ「10年かかって、私たちは彼女たちに何をしてきたのか」(海南島近現代史研究会『会報』第2号、2009年2月)、杉浦ひとみ「最高裁判決をまえにして」、杉浦ひとみ「判決直後の思い」、杉浦ひとみ「戦いはまだ終わっていない」、東京高等裁判所の判決に対する弁護団声明、最高裁判所の判決に対する弁護団声明(海南島近現代史研究会会誌『海南島近現代史研究』第2号・第3号、2011年2月)。
 余靖・何怡欣・吴雪・魏灵玲『控诉:采访九位海南“慰安妇”实录』南海出版公司、2016年4月。
■軍事・経済: 
★金融支配。「軍票」乱発。 
★新都市建設、鉱山開発、電源開発。 
★強制連行・労働強制。 暴行死・事故死・病死・餓死。 
★漁業資源・森林資源収奪・砂糖、ゴム、薬草……収奪。海南島農林開発委員会設置(日本企業30数社)。 
★土地収奪 → 熱帯産農産物事業会社が綿花、ゴム、サトウキビなど栽培・日本人「農業移民」。 
★アヘン生産。
■軍事・政治:
★行政機関設置(三省〈外務省、海軍省、陸軍省〉連絡会議)。傀儡政府創作。
★「治安維持会」・「良民証」による住民相互監視・管理。
■軍事・文化: 
★「ヒノマル」・「キミガヨ」おしつけ、天皇賛美強制、日本語使用奨励(日本語学校設置)。

※Ⅴ、1998年から20年間、海南島で
 1998年から20年あまり、海南島のおおくの村や都市を訪ね、日本政府・日本軍・日本企業がおこなった侵略犯罪の犠牲者、遺族、目撃者から証言を聞かせてもらうとともに、侵略犯罪の現場を「調査」。同時に、海南島民衆の抗日反日闘争の歴史をたどってきた。
 歴史研究を職業としていないが、丹念に持続的に日本の侵略犯罪の歴史を追究し、自らが住んでいる地域の犠牲者の名を明らかにし、被害の実態を記録している人たちと出会い、おおくのことを学ばせてもらってきた。
 万寧市月塘村で、澄邁県沙土(聖眼村、欽帝村、福留村……)で、瓊海市長仙聯村で、文昌市秀田村で、文昌市昌文村で、文昌市白石嶺村で、文昌市排田村で、文昌市石馬村で、文昌市林林村で、文昌市昌美村で、瓊海市北岸村で、定安県大河村で、陵水黎族自治県后石村で、陵水黎族自治県九尾村で、東方市八所村で、東方市旦場村で、東方市新街村で…………。

【連鎖】 木本トンネル → 紀州鉱山の坑道 → 海南島の日本軍洞窟 → 太平洋の島々の日本軍洞窟 → 硫黄島の数百本のべ18キロの地下坑道(「横穴陣地」)を朝鮮人も掘らされた。
海南島・ウルマネシア 1945年

【証言】
楊必森さん(1922年生)  文昌市東閣鎮鳌頭村で、2014年10月30日
 「(1943年)3月6日の朝、日本軍は村の入り口を封鎖した。このころはサツマイモの収穫時期で、母はその日の朝、サツマイモを薄く切ったものを乾燥させるために村の外にでて、日本兵と出会った。日本兵は母のはらを突き刺した。母は銃剣を両手でつかんで手も切られ、その場で死んだ。
 家の地下に穴を掘ってあった。日本兵が来たので兄と自分はそこに隠れた。日本兵は家に火をつけたが、煙がひどくて隠れていられず出ていった。兄と自分はつかまった。えりくびをつかまれ、ガソリンをかけられ尻を蹴られ火のなかに放り込まれた。兄は足をやけどし、わたしは火の中に手をついたので、両手をやけどした。腕の皮膚が焼け落ちた。日本軍がいなくなって火から逃げ出した。日本兵は4、5人だった。母は、邢氏。兄の名前は、楊必雄。兄はやけどがひどくて、1948年に死んだ。わたしより4歳上。わたしは孤児となってあちこち放浪して暮らした」。

【海南島 侵略と植民地支配の調査から】
 田独鉱山の「日寇時期受迫害死亡工友紀念碑」(1958年4月建立)
 東方市八所港に建てられていた「日軍侵瓊八所死難劳工紀念碑」(1998.6.27.)
 石碌鉱山を「開発」するために日本窒素がつくった東方発電所跡
 石碌・三亜間鉄道(三亜の近く、2003.8.4.)
 日本窒素がつくった東方発電所跡(2002.3.29.)
 英州鎭大坡村の碑「英州日軍殺害八千同胞遺址」(2012年建立)と「受難同胞永垂不朽」の碑(中国人民解放軍駐海南島部隊87分隊が1967年4月に建立)(2015.11.21.)
 英州鎭大坡村の飛行場跡を歩く胡京宏さん(1927年生)(2003.3.25.)
 日本軍に虐殺された人たちが埋められている現場(白沙黎族自治県邦溪鎮南北溝村)。近くに日本海軍横須賀鎮守府第4特別陸戦隊の基地があった(2015.1.19.)
 楽会県北岸郷の「五百人碑」(2002.10.12.)
 文昌市秀田村の日本軍に破壊された家の跡(2003.3.27.)
 秀田村の碑の前で、左から、陳明宏さん、陳胎僑さん、陳胎芳さん
 文昌市東閣鎮林村村の「抗日戦争遇難郷親紀念碑」(1995年仲秋建立、2015年4月4日にはじめての追悼集会、2011.11.5.)
 文昌市東閣鎮鳌頭村で証言する楊必森さん(1922年生)
 文昌県重光鎮昌文村で李重発さん(1931年生)に話を聞く(2002.10.8.)、2003年3月25日(2回目)、2014年11月3日(3回目)
文昌県重光鎮昌文村の追悼碑(2002.10.8.)
文昌県重光鎮白石嶺村の追悼碑(2002.10.8.)
文昌市重興鎮排田村の追悼碑(2003.3.25.)
定安県黄竹鎮の追悼碑(2002.10.9.)
長仙聯村(2011.10.31.)
「“三・一”被難公塚」「楽会県互助郷坡村長仙三古南橋雅昌佳文風嶺吉嶺官園等村抗戦死難民衆公墓」(2007.10.18.)
南渡江鉄橋跡(2003.8.1.)
三亜飛行場滑走路跡(1998.6.26.)
掃水飛行場の滑走路跡(楽東黎族自治県向陽村・多建村・克界村、2014.3.24.)
黄流飛行場滑走路跡。黄流飛行場跡に残る日本軍施設建物とトーチカ群
共建村‹元、牙寒村›(瓊中黎族苗族自治県。2016.4.28.)
特攻艇震洋格納用新村洞窟跡(2002.4.4.)
趙向盈さん(1918年生)の案内で新村鎮石頭村の特攻艇基地跡に行く(2000.3.26.)
旦場抗日遇難同胞紀念碑除幕(2015年3月19日)
田独鎮紅沙の「慰安所」があった敷地(楡林港、田独鉱山が近い。1998.6.25.)
紅沙「慰安所」の建物の屋根瓦(1998.6.25.)
石碌の「慰安所」跡(1998.6.28.)
新盈の「慰安所」跡(2002.3.31.)
保亭黎族苗族自治県保亭にある朴来順さんの墓(2006.4.3.)。朝鮮から広州を経て海南島に連行されて来た朴来順さんは、解放後も故郷に戻ることなく、1995年、海南島で亡くなった。故郷は、慶尚南道咸安。
海口市中山路の「慰安所」として接収された建物(2002.10.16.)
陵水黎族自治県陵水の「慰安所」として接収された家(2002.10.21.)
王亜交さん:陵水の「慰安所」で、食事のしたくや水運びなど、女性たちのせわをした(2002.10.21.)
韓国挺身隊研究所とともに(2002年10月):陳金玉さんの家の前で、鄧玉民さんを囲んで、陳亜扁さんに話を聞く
林亜金さんと張応勇さん:2005年3月18日、東京高等裁判所前で
2006年8月30日、東京地裁での「海南島戦時性暴力被害裁判」判決日。中央が、陳亜扁さん
保亭黎族苗族自治県新政鎮番雅村の虐殺現場の碑(番雅侵琼日军兵营旧址 2018.10.23)
海口市甲子鎮文池村・龍興村の近くの虐殺現場:黄土坡(2018.10.29)
   海口市咸来鎮木石村(現、福沢村)で(2018.10.30)
   海口市秀英区永興鎮の雷虎嶺日本軍用洞窟跡
保亭黎族苗族自治県南林の日本軍用洞窟跡
横須賀鎮守府第四特別陸戦隊「横鎮四特戦闘詳報第五号」につけられている「龍衛新村戦闘圖」
東方市新龍鎮新村で夫が爆死した場所を指さす張亜香さん(2011.3.2)
儋州市海頭鎮南港村の旧市街にある民家。日本軍学校として接収された
   儋州市和慶鎮美霊村の日本軍がアヘン栽培をしていた場所

■海南島での出会いと別れ
 張応勇さん(1940年~2005年) 保亭黎族苗族自治県保城鎮
 朱学平さん(1933年~2011年) 万寧市万城鎮月塘村
 周学勤さん(1936年~2014年) 「朝鮮村」(三亜市田独鎮荔枝溝郷南丁)
 呉育新さん(1933年~2014年) 海口市美兰区三江镇上雲村(旧、海口市咸来鎮上雲村)
 林亜金さん(1926年~2013年) 保亭黎族苗族自治県南林郷什号村
 陳亜扁さん(1927年~2017年) 陵水黎族自治县本号敬老院宿舍
 王鎮寧さん(1932年~2017年) 海口市永興鎮儒東村

(二) 海南島近現代史のなかの世界近現代史   海南島の世界史
 1869年9月のアイヌモシリ植民地化から150年、1939年2月から80年
 海南島戦争: アジア太平洋全域における抗日反日闘争の一環
 世界近現代史のなかの海南島近現代史 ⇔ 海南島近現代史のなかの世界近現代史
 海南島近現代史・アジア近現代史・世界近現代史
■侵略者の世界史は、被侵略者の抵抗の世界史
 世界近現代史は、帝国主義諸国の他地域他国侵略と被侵略諸地域諸国の民衆の反撃の歴史。
     2015年に中国で:纪念中国人民抗日战争暨世界反法西斯战争胜利70周年活動(中
    国人民抗日戦争ならびに世界反ファシズム戦争勝利70周年記念行事)。
     中国抗日戦争:「満洲事変」(1931年9月~ )→「北支事変」(1937年7月~9月3日)→
    「支那事変」(1937年9月3日~41年12月12日)→「大東亜戦争」(1941年12月8日、「米
    國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」。1941年12月12日閣議決定~ 。12月9日、中国政府、
    日本に宣戦布告。1942年1月12に日本政府オランダに宣戦布告)→太平洋戦争(1945
    年末~ )→アジア太平洋戦争
■日本の近現代史は、他地域他国侵略の歴史
 アイヌモシリ侵略、琉球王国侵略、台湾侵略、朝鮮侵略、南洋侵略、中国東北部侵略、モンゴル東南部侵略、中国本土侵略、海南島侵略、アジア太平洋侵略。
 1945年8月以前も以後も、1868年からの国民国家日本の他地域他国侵略の構造は同じ。
■国民国家日本の侵略犯罪の社会的軍事的思想的構造
◆国家と社会と個人
 維新クーデタ→天皇の軍隊(臣民の軍隊)の創設
◆天皇の軍隊による住民虐殺、性暴力、略奪(略奪による補給)
◆民権・国権・愛国心
■戰後? 日本国家の他地域他国侵略の歴史は終わっていない。ゼロからの出発という虚偽
 1945年8月以後、天皇制を前提とした「平和憲法」下の日本国家・日本軍の他地域・他国侵略。
 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争に実質参戦。
 アジア太平洋侵略戦争は誰がおこなったのか。
 日本民衆は侵略戦争の加害者として戦争に反対しているか。
 秘密保護法・戦争法反対運動、護憲運動、憲法9条改悪阻止運動において:「戦争はいやだ」とは言うが、 「侵略はいやだ」とは言わない日本人が少なくない。 
 なぜか:1、日本国家の他地域他国侵略の歴史を学んでいない、学ぼうとしていない。
      2、侵略の実体を知らない、知ろうとしない。
      3、加害者であるという自覚がない。したがって、真の加害者を認識できない。
 侵略。戦争。占領。領土化。植民地化。併合。不等価交換。
 侵略と開発、ポストコロニアリズム
 ※現在の侵略 天皇制を前提とした「平和憲法」下の日本国家・日本軍の他地域・他国侵略。
      朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争に実質参戦。
      1979年6月12日 「元号法」公布・施行。
      1999年8月13日、侵略の旗「ヒノマル」を国旗に、天皇賛歌「キミガヨ」を国歌に。
           8月25日、他地域・他国軍事侵略のための「周辺事態法」を施行。
      2001年12月2日、日本海軍軍艦が、アラビア海で作戦行動中のアメリカ合州国軍艦
            に燃料を洋上補給。アフガニスタン侵略戦争・アフガニスタン民衆殺
            戮に直接荷担。このとき、アジア太平洋戦争後はじめて、日本正規軍
            が侵略戦争に参戦。
      2004年1月から日本政府は日本軍を、アメリカ合州国のイラク侵略戦争に参戦させた
            (2004年1月、日本軍サマワに侵入)。日本は、ファルージャやバスラ
            などイラク各地でのアメリカ合州国軍の民衆虐殺に間接的に荷担。
      2011年11月から日本軍南スーダンに侵入(2015年12月から「第9次要員(基幹:第10
            師団)が侵入。2017年5月撤退開始)。
      2013年12月6日 秘密保護法成立。2014年12月10日施行。
      2015年9月30日、戦争法(「平和安全法制整備法」+「国際平和支援法」)公布。「周辺
            事態法」を「重要影響事態法(重要影響事態に際して我が国の平和及び
            安全を確保するための措置に関する法律)」に改名・改悪 
      2016年3月29日、戦争法施行。
      2017年7月11日、「共謀罪法(改正組織犯罪処罰法)」施行。
■他地域他国侵略をゆるさない民衆の歴史認識
  琉球王国、台湾民主国、マダガスカル(メリナ王国)、ハワイ王国。
   アヘン戦争、義和団戦争、マジマジ戦争、義兵戦争、シベリア戦争、台湾戦争、海南戦争。
   シオニストのパレスティナ侵略・「イスラエル国」の歴史は、USA……日本国……の歴史。

(三) 歴史認識の方法・意味
 アジア太平洋への国民国家日本の侵略犯罪の歴史的事実を示す証拠のおおくは犯罪者によって抹消・隠蔽されているが、史料(文書・写真、遺物、遺跡)」を証拠とする民衆の実証的な歴史研究によって明らかにすることができる。
Ⅰ、歴史認識の手段
■証言・記録(史料〈報告書・手記・日誌・新聞……〉)・映像・録音・遺物・遺跡・歴史地図・年表……。
   証言:被害者・目撃者からの聞きとり。死者からは、聞きとりできない。
      加害者(日本人)による聞きとり。加害者からの聞きとり。犯罪の「記憶」。
          旧日本軍兵士、朝鮮総督府行刑関係者の沈黙・証言(告白)拒否。
         沈黙のままの自然死。数人が広東裁判で死刑。ほとんどが「帰還」。
※「日本人がなぜあのように残酷なことをやれたのか、理解できない」李琳。
       証言を聞く者のありかたが、証言の質を決定する。
   証言の真実性を検証しなければならないのは当然のこと。問題は、その方法。
   史料の収集とその批判的分析は、歴史的事実を知る作業の基礎。
   記録(ことば。文書。映像):被害の記録、加害の記録。
■モノ・「場」
 アジア太平洋戦争の「場」。 犯罪現場・抗日根拠地。交錯する「場」。
 住民虐殺はほとんど「遺跡」として残されていない。「戦争遺跡」というコトバには、侵略犯罪の証拠という意味が薄い。侵略犯罪の巨大さを隠してしまう。
■「現地調査」・必然的な偶然の出会い。
■さまざまな人生・体験   被害者の人生  犠牲者の生と死。  加害者の人生。
 国民国家日本の国民(1947年5月2日までは「大日本帝国臣民」)は、異族からものを奪い、異族を殺害してきた。殺された人たちの名前は、ほとんど記録されていない。名前が記録されていないということは、その人たちの生涯をたどることが極めて難しくなっているということ。
■国民国家日本の国家犯罪を、総体として認識し伝達する方法。
 国民国家日本の国家犯罪にかかわる諸事実を詳細に具体的に探索し記録することが重要。
■今後の「証言、史料(文書・写真、遺物、遺跡)」の「把握」の展望。
 証言者が少なくなっていくとともに、証言者の記憶が鮮明でなくなっていくという問題。
 日本軍が海南島侵略を開始した1939年に10歳だった人は、2019年には90歳。1945年に10歳だった人は、2019年には84歳。
 記憶違いや曖昧な記憶に基づく証言の信憑性を確かめること。
 証言の客観性・真実性を保証する証言者と聞きとりしり者との関係。
 聞きとりを記録する者の歴史研究・歴史認識の方法。

Ⅱ、聞きとって、どうするのか
 日本政府・日本軍の侵略犯罪の解明 → 責任追及(犯罪の責任・犯罪を隠しつづけてきた責任)→ 国家謝罪・国家賠償、責任者処罰(侵略犯罪の最悪の責任者は、ヒロヒト)。
 海南島に侵入した日本企業(三井物産、日本窒素、石原産業、西松組〈現、西松建設〉、浅野セメント、王子製紙、武田薬品、資生堂、三越、トヨタ自動車、明治製糖、……)の過去と現在の侵略犯罪解明・責任追及。
     「こんなことをやった日本人を銃で殺せなかったのがくやしかった」(陳胎芳さん、海
    南島文昌市秀田村)。

(四)日本民衆が解放のインターナショナリズムを実現する前提
■グローバリズム=ナショナリズム ⇔ 解放のインターナショナリズム
 1、日本国家の他地域他国侵略の歴史(侵略の原因、動機、経過、実体)を知り、
 2、過去と現在と未来の侵略の歴史を克服し、
 3、日本ナショナリズムと対決する。 
■日本ナショナリズムとの対決  日本ナショナリズムの根源:天皇制
 日本民衆(労働者、農民、会社員、漁民、商人、官吏、医者、看護師、店員、教師、主婦……)は、なぜ天皇制を支持し、他地域他国侵略を実行したのか。しているのか。
■友好、親善、和解
 日本政府が国民国家日本の侵略犯罪事実を認め、謝罪し、賠償し、責任者を処罰することなしに、日本国とアジア太平洋諸国との友好、親善、和解は成立しない。
 日本民衆が、日本政府に国民国家日本の侵略犯罪事実を認めさせ、謝罪させ、賠償させ、責任者を処罰させることなしに、日本民衆とアジア太平洋諸国の民衆との友好、親善、和解は成立しない。
 タスマニア虐殺・ヘレロ虐殺・マジマジ虐殺…………、世界近現代史におけるジェノサイド・エスノサイドの総括は、世界史研究の領域においてもほとんどなされていない。
■連帯・共同闘争
 アジア太平洋民衆と日本民衆の連帯は、アジア太平洋民衆と日本民衆の共同闘争。

(五)おわりに 個人史のなかの世界史・地域史のなかの世界史
   歴史認識 想像力(すべては、現在・昨日のこと) 事実認識 時間・場。
   現在の、日常のなかの世界史。 侵略の世界史 ⇔ 抵抗の世界史。
   民衆運動としての歴史認識・民衆運動のなかでの歴史認識・民衆運動の深化のための
  歴史認識。
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