三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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やりきれなさの先に、救いがある 1

2008年02月12日 | ドキュメンタリー『海南島月塘村虐殺』
         足立正生さんが、海南島近現代史研究会『会報』創刊号に寄せてくれた
        「ドキュメンタリー『海南島月塘村虐殺』を見る  やりきれなさの先に、
        救いがある」を2回にわけて連載します。    海南島近現代史研究会


 この記録映像は、これまで日本政府が隠蔽してきた旧日本軍の集団虐殺事件を告発する証言集である。その新たに調査された厳粛な史実の前では、旧日本軍の過去の残虐な行為に対して今やどうしようもないという、ある種のやりきれなさが限りなく募ってくる。
 この運動体が製作した前作の『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』と同じく、今回も戦争犯罪の史実を暴いていくのだが、今回の記録が凄いのは、全編、虐殺をまぬがれた村人たちが生き証人として生々しい体験告白を続けることである。
 一九四五年、沖縄戦が行われている最中に、東南アジアを植民地支配するための戦略基地を作る予定だった海南島の全域で抗日ゲリラ隊の反撃に手を焼いた旧日本軍佐世保鎮守府第八特別陸戦隊が、全域で八千人を超える住民を虐殺して回ったという。そして、五月、抗日ゲリラの支援部落という理由でユェタン村が襲撃され、二〇〇人に近い住民が未明の短時間に銃剣で殺戮される。その、平和な小村落を襲った未明の厄災の全貌が、一人一人の証言の連なりの中で、ぐんぐんと明らかになっていく。
 この、今や老人となって証言する村人たちは、幼少時に体験した未曾有の惨劇、旧日本軍による集団殺戮の光景を身振り手振りで、初めは訥々と語り始めるのである。いや、その証言は言葉で語られる生々しさだけではない。語る人々の身体には必ず、腹部や背中や上腕や大腿部に銃剣で刺され斬られた傷跡が抉られたように残っている。
 その証言者たちは、家族9人の惨殺現場で失神して生き残った者、家族全員が惨殺された時にたまたま柱の陰に倒れて生き残った者、銃剣で刺殺される父親を庇ったためにわが身を刺し貫かれて失神したために生存出来た者、母親と兄二人と姉を刺殺され、腹部を裂かれた妹を抱えて逃げ延びたが妹は途中で絶命した者、一人一人の苦衷の記憶となった旧日本軍の虐殺部隊が村落の各家を順次襲って惨殺して廻る全体像が、手に取るように浮き彫りにされていく。

■正確な体験報告
 そのように、噂や記憶の寄せ集めでは無く、人々が体の各部位にある傷跡を擦りながら語り続ける正確な体験報告なのだ。それだけに、この証言集は、限りなく重たいものともなるのである。
 何故なら、彼らは、旧日本軍が敗北撤退した後も数年は恐くて村落にもどれず、山裾や藪の中に野宿して隠れ住んでいた人々でもある。また、抗日ゲリラに参加して二〇〇戦以上も旧日本軍と闘った勇士は戦闘に忙しく、自分の村が虐殺されたことを戦後まで知らなかった。そんな彼らの声は、初めは穏やかだが、やがて記憶の中に累積している怒りで声が震え始める。遂には語る手振り身振りが激しくなるのは、あまりにも当然だと思う。

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