三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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『海南島月塘村虐殺』新シナリオ4

2008年01月05日 | ドキュメンタリー『海南島月塘村虐殺』
Ⅱ、証言 3
影像:朱深根さん
テロップ:朱深根さん(1935年生)
影像:傷跡を示す朱深根さん
テロップ:この私の家で
      日本軍は9人を刺した
テロップ:ここで刺された
テロップ:母、私……家族9人

影像:朱五弟さん
テロップ:朱五弟さん(1937年生)
テロップ:当時私も  ここで刺された
テロップ:銃剣が  腕を突き抜けた
テロップ:ここを刺されて  腸がとび出した
テロップ:ここを5回刺された
テロップ:台所の壁に押しつけられ
      刺された
影像:朱深根さんと朱五弟さん
テロップ:ふたりは幼友達

影像:李玉菊さん
テロップ:李玉菊さん(1933年生)
テロップ:あの家の中で、父と母が殺された
      父の李家勝は56歳、母は55歳だった
影像:傷跡を示す李玉菊さん
影像:当時の家の敷居
テロップ:当時の家の敷居

影像:李全治さん
テロップ:李全治さん(1938年生)
影像:傷跡を示す李全治さん
テロップ:胸を狙ったが  腕でかばった
テロップ:すぐに倒れた

影像:李建栄さん
テロップ:李建栄さん(1938年生)
ナレーション:李建栄(リ・ジェンロン Li-Jianrong)さんは、当時6歳でしたが、父親を日本刀で切り殺した日本兵の顔を覚えているといいます。
 その日本兵は唇のうえに毛をはやしていたそうです。「お父さんを殺すな」と叫んだ小さな李建栄さんは、日本兵に切りつけられ、父親のそばに倒れこんで気を失ったそうです。
 4日後、重傷を負わされた父親の李家昌(リ・ジァチャンLi-Jiachang)さんは亡くなりました。
影像:傷跡を示す李建栄さん

影像:虐殺現場で語る朱学孔(ジュ・シュェコン Zhu-Xuekong)さん
テロップ:朱学孔さん(1934年生)
テロップ:昔の家の壁です
テロップ:ここで4人死んでいた
テロップ:5人 6人 7人 8人
テロップ:ここでは 鴻勝が銃で撃たれて  死んでいた
テロップ:日本刀ではなくて 銃です
テロップ:この家で殺されたのは9人
テロップ:母は 私を寝台の下に隠し  自分は戸板の陰に隠れた
テロップ:日本兵は 母を何回も刺した
テロップ:母は気を失った
テロップ:目覚めた母は 水のところに行った
テロップ:当時の壁は竹で編んでいた
テロップ:日本兵は後ろの壁を焼いた
テロップ:母は そこから ここまで  這ってきて
テロップ:水を飲んだ母は すぐに死んだ

映像:崔金蘭さん
テロップ:崔金蘭さん(1923年生)
ナレーション:崔金蘭(ツォェィ・ジンラン Cui-Jinlan)さんは、
 「朝、9時ころだった。わたしは家の入り口にいた。日本軍は、わたしを見つけ、すぐに銃で撃った。
 左足のももと、下腹部と、左肩の3か所撃たれた。わたしは気を失った。
 わたしを殺そうとした日本兵(日本鬼子)は、見つけたら、復讐したい」
と話しました。

映像:朱東四さん
テロップ:朱東四さん(1938年生)
ナレーション:朱東四(ジュ・ドンス Zhu-Dongsi)さんは、
 「父は銃で撃たれても死ななかったが、銃剣で刺し殺された。
  わたしは、隠れて見ていた。
  父を殺した日本兵は、背がとても高かった。
  母と兄は、畑に芋の見張りに行っていたので殺されなかった」
と話しました。

影像:李家和さん
テロップ:李家和さん(1930年生)
影像:傷跡を示す李家和さん
ナレーション:李家和(リ・ジァホ Li-Jiahe)さんは、家に侵入してきた日本兵に、10か所あまり刺され気を失ったそうです。
 気がついたら、お母さん、お父さん、隣の家の李家鐘(リ・ジァチョンLi-Jiazhong)さんの3人が殺されていたそうです。
影像:「日本兵は、この道から来た」と指さす李家和さん
テロップ:日本兵は、この道から来た
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