青木説にみる「石の宝殿」②
大石は、仏教侵入をふせぐためにつくられたのか?
『風土記』は、蘇我と物部の争いを語る
「石の宝殿」のつくられた時期の日本社会のようすを中学歴史教科書にみてみます・
6世紀の日本では、地方の豪族が反乱を起こし、大和王権でも豪族同士の争いが続くなかで、豪族の蘇我氏が渡来人と強い結びつきを持ち、力を伸ばしました。
外国の宗教である仏教を取り入れようとして、これに反対する物部氏を滅ぼし、大きな勢力をふるいました。・・・・(中学歴史教科書:大阪書籍より)
つまり、聖徳太子の時代外国の勢力と結んだ蘇我氏と物部氏の勢力が激しい争いをしていました。
蘇我氏は、仏教を取り入れ百済の力を借りようとしました。
それに対して、物部氏は「仏教は、我が国を亡ぼす邪教である」として反対しました。
結論は、蘇我氏を中心とする勢力がこの戦いに勝利しています。
この争いの前から物部氏は、大石(石の宝殿)を作り始めたようです。
でも、この大石が完成する直前の頃、物部が敗れ。ほとんど完成していた大石の工事は中止になり、そのままに打ち捨てられた状態になってしまったようです。
大石は、何のために
それでは、物部氏は、何のためにこの大石を作ろうとしたのでしょうか。
青木氏は、次のように説明しておられます。
・・・・物部氏は、大石が持つ神聖を信じていました。
日本古来の信仰は大きな岩などに霊力があるとする自然信仰です。
物部氏は、「大きな石を置くことにより、その霊力で仏教が日本に入ることを防ぐことができる」と考えたようです。
とにかく、「この東播磨の地で大石をつくり、その霊力で仏教の侵入を防ごうとしたのではないか」と想像されるのです。
つまり、大和に仏教が入る手前の東播磨の地でこの大石をつくろうとしたのではないでしょうか。
いかがですか。(no4770)
*写真:石の宝殿頭頂部