石の宝殿は、『風土記』編纂の1世紀前
石の宝殿は、宮城県塩竈神社の塩竈や宮崎県霧島の天の逆鉾と並んで、日本の三大奇岩と言われています。
そして、「石の宝殿」は文献と考古学遺跡が一致する珍しい例です。
造営年代は7世紀ごろだろうといわれていますが、伝承でいう物部守屋がつくったものであるなら6世紀後半となります。
・・・・『風土記』は、日本で最も古い書物の一つで、今から1300年ほど前の713年に大和朝廷から各国の①郡や里の名のいわれ、②産物、③地力、④山や川の地名、⑤伝承を書いて報告するように、と命令が出ました。その報告書が『風土記』となりました。・・・
つまり、『風土記』が制作されたのは700年代(8世紀)です。
石の宝殿(大石)が造られてかららすでに100年ほどが経過しており、その時すでにこの大石はどのような目的で作られたのか分からなくなっていたようです。
石の宝殿は、石棺か?
『風土記』にはこんな記述があります。一部を書き下して紹介します。
・・・石の宝殿の近くの山に、伊保山(いほやま)という山があります。
その名のおこりは、仲哀天皇が亡くなられた時、奥様の神功皇后が石棺(廬:いほ)づくりの職人を率いて、讃岐(香川県)で、石棺用の羽若石(はわかいし)を探されました。
大来(おおく)という石づくりが、羽若石を石の宝殿の近くの山でみつけました。そのためこの山を美保山(伊保山)いいます。・・・
以上の『風土記』の記述をもって「石の宝殿は石棺である」とする説は、やや強引すぎます。(no4765)
*写真:謎の巨石、石の宝殿