石の宝殿は、移動させるにはデカすぎる!
石の宝殿(大石)は、「高さ5.7㍍、幅6.5メール、奥行きは屋根形の突起をいれて7㍍、重さが500トン」ととてつもない大きな石造物です。
巨石という以外に表現がありません。
この大石を完成後他の場所に移動するという考えは無理があるのではないでしょうか。ましてや、山の中腹につくられています。
ど素人(私)ですが、「松本清張や歴史学者の真壁氏ご夫妻の考えの完成後大和に移動予定であった」とする説に同意できかねます。
そんなことを考えていた時、『兵庫史の謎(青木一夫著)』(神戸新聞総合出版センター)で「石の宝殿は石棺にあらず‐仏教の東進はばむ境界に‐」の記述を読みました。
青木氏は、石の宝殿の移動させる予定であったという説はとっておられません。
青木説を紹介しましょう。結論は次回になります。
青木説にみる「石の宝殿」①
『風土記』の記述を引用して、次のような説明をしておられます。
〈大石〉
・・・原の南に作り石があります。形は家のようです。
長さは二丈(約6㍍)、広さは一丈5尺、高さもそれぐらいです。
名は大石といいます。
伝えられていることは、聖徳太子の時代に弓削大連(ゆげのおおむらじ・物部の守屋)作らせた石です。・・・・
青木氏は、上記の風土記の「聖徳太子の時代に弓削大連(ゆげのおおむらじ・物部の守屋)作らせた石です」の記述に注目されています。
次回を楽しみにしてください。(no4769)
*図:石の宝殿付近の地図(『石の宝殿』:真壁ご夫妻著より)