ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大河・かこがわ(61) 古墳時代(28) 天の磐船(あまのいわぶね) 

2019-10-02 06:41:03 | 大河・かこがわ

       天の磐船(あまのいわぶね)

 「天の磐船(石棺の蓋)」は、高砂市阿弥陀町伊保山の南面、頂上から20㍍の地点で、半ば埋もれていました。

 この大きな石棺の「縄掛け」は、円盤状です。

 天の磐船は、ひっくり返っていると、ちょうど船のように見えたのでしょう。加古川下流城の家形石棺の中で「縄掛け」が円盤状のものは珍しく、これが唯一の例です。

 古い形式の長持ち形石棺の伝硫を受け継いでいるようです。

 大きさは、加古川下流で一番大きく、全長3メートル、幅1.3メートル 、厚さ60センチ、推定重量は4㌧もあるといいます。

 近辺で、この石棺にふさわしい大きな古墳は知られていません。古墳は、完全に破壊されてしまったのかもしれません。

 石棺のあった伊保山は有名な「竜山石」を産する竜山のとなりにあり、伊保山も山全体が「竜山石」でできています。

 この石棺は、山頂付近で加工されたと考えられます。

 平地で加工して標高100㍍の高さまで運搬したとは考えられません。

 近年、伊保山は、石材を採るため山が削られて、「磐船」の際までガケが接近してきました。 危険な状態になったので、昭和38年に山から降ろされ、旧高砂市教膏センター(曽根町)の庭に置か例ましたが、現在教育センター移転に伴い生石(おうしこ)の同センターの庭で展示さています。(no4760)

 *写真:天の磐船(石棺の蓋)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする