ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大河・かこがわ(64) 古墳時代(31) 聖陵山古墳(加古川市野口町)

2019-10-05 08:16:37 | 大河・かこがわ

     聖陵山古墳(加古川市野口町)

 写真は、野口町長砂の円長寺(昭和40年代の撮影か)です。

 この写真の右隅に少し高まった丘が半分写っていますが、これが聖陵山古墳(せいりょうざんこふん)です。

 もともと、前方後円墳であったのですが、明治7年に前方部を平らにし、寺をここに移したため、現在の墳丘は円墳のようにみえます。

 また、寺伝は、天文12 年(1544)に、この古墳から鏃(やじり)12本が出土した(今は7本が残っている)ことを伝えています。

 この鏃などから判断して、この古墳は4世紀後半の古墳と考えられています。

 また地形から、海とのかかわりを持つ豪族の墓と考えられます。

 ともかく、考古学では注目されている古墳です。

 この古墳は、少なくとも2回の破壊を経験していますが、受難はさらにつづきました。

 第二次世界大戦の末期、この古墳に横穴が掘られました。

 そこで、加古川飛行場の通信部隊が通信業務をおこなっていたといいます。

 なお、「加古川飛行場の飛行機が、この壕にかくされていた」という説があるのですが、これは間違いです。

 いくらなんでも、この古墳の内部に飛行機は入りません。(no4763)

 *写真:昭和40年当時の円長寺(現在のお寺でありません)

コメント
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