愛宕塚古墳へ出かけました。
古墳の周囲は、住宅が密集して、古墳時代を想像する雰囲気はありません。
この古墳が、「愛宕塚古墳」と呼ばれるのは、写真にあるように古墳の頂には、愛宕大権現が祀られているためです。
愛宕塚古墳(あたごづかこふん)
播磨町の大中遺跡は、弥生時代前期から古墳時代中期まで続く複合遺跡です。
そのため、同地に居住する人々の墓や支配者の墓が近隣に存在していたと考えられますが、大中遺跡の住人と愛宕塚古墳の関係は分かりません。
大中遺跡人の墓地は、大中遺跡の発掘調中に大中台地西側で墓らしきものが確認されています。
潰目池等溜池、田畑の開墾等により破壊された可能性も考えられます。
いまのところ、大中遺跡の東約2キロメートル、標高22メートル(大中遺跡も標高13メートル)に位置する播磨町唯一の愛宕塚古墳が、大中遺跡と何らかの関連があると結論づけることできません。
愛宕塚古墳は、墳径約22メートル、高さ約2.2メートルートルの円墳で、周囲に約4.5メートルの堀があり、きわめてよく保存されている古墳時代中期の古墳と考えられています。
堀の南部は、北部と比較して馬蹄形になっており、もともとの墳形は、円形でなく、「帆立貝式の古墳」ではないかとも考えられています。(愛宕塚古墳の実測図は、町史『阿閇の里』(60p)をご覧ください)
近年まで、愛宕塚古墳の南西50メートルのところと、東約80メートルの地点に培塚(ばいちょう)かありました。
しかし、明治に入って、田畑開墾、土取りのため破壊され、今はなくなっています。(no4761)
*『阿閇の里』参照、*写真:愛宕塚古墳