私がコピーライターという仕事を始めたのは30年ほど前。今はパソコンで文章を書きますが、当時は鉛筆で原稿用紙に書いていました。
独立した頃、仕事の道具だからいいものをそろえようと、当時最も高価だった(と言っても1本100円くらい)三菱鉛筆のユニをたくさん買いました。消しゴムはドイツのステドラー社製、原稿用紙も先輩と一緒にオリジナルのものを作りました。
(現在は鉛筆は下書きに使う程度です)
その鉛筆には木が使われています。みなさんもナイフや鉛筆削りで削ったことがあると思いますが、木のいい匂いがしたでしょう?
現在の鉛筆はインセンスシダーというアメリカのヒノキで作られています。「インセンス(incense)」は「香りのある」という意味で、削った後の匂いはヒノキ系のものです。別名は「ペンシルシダー」。
鉛筆を日本で初めて工業化したのは眞崎仁六という人物で、明治10年のパリ万博で鉛筆を見て感心し、帰国後に鉛筆づくりに挑戦しました。当初はヒノキやヒバ、コウヤマキで試作しましたが、硬くて削りにくいので失敗。最終的にイチイにたどりつきました。飛騨の一刀彫などに使われるイチイです。
(イチイの材と飛騨の一刀彫・京大木材研究室で撮影)
北海道にイチイが豊富にあるので、道東に鉛筆工場が建てられました。この眞崎仁六が三菱鉛筆の創業者で、社名は「三菱」でマークもスリーダイヤですが三菱グループとは無関係です。
その後、イチイの入手が難しくなって、先日トーテムポールでご紹介した米国産のイースタンレッドシダー(別名エンピツビャクシン)が使われるようになり、さらに現在は前述のインセンスシダーが90%のシェアを占めるようになりました。
軽いこと、年輪とそうでない部分の硬さに差がなく削りやすいことが鉛筆の木に求められる条件。北海道で鉛筆を生産していた頃の名残りか、知床博物館では現在もイチイの鉛筆を販売しています。
独立した頃、仕事の道具だからいいものをそろえようと、当時最も高価だった(と言っても1本100円くらい)三菱鉛筆のユニをたくさん買いました。消しゴムはドイツのステドラー社製、原稿用紙も先輩と一緒にオリジナルのものを作りました。
(現在は鉛筆は下書きに使う程度です)
その鉛筆には木が使われています。みなさんもナイフや鉛筆削りで削ったことがあると思いますが、木のいい匂いがしたでしょう?
現在の鉛筆はインセンスシダーというアメリカのヒノキで作られています。「インセンス(incense)」は「香りのある」という意味で、削った後の匂いはヒノキ系のものです。別名は「ペンシルシダー」。
鉛筆を日本で初めて工業化したのは眞崎仁六という人物で、明治10年のパリ万博で鉛筆を見て感心し、帰国後に鉛筆づくりに挑戦しました。当初はヒノキやヒバ、コウヤマキで試作しましたが、硬くて削りにくいので失敗。最終的にイチイにたどりつきました。飛騨の一刀彫などに使われるイチイです。
(イチイの材と飛騨の一刀彫・京大木材研究室で撮影)
北海道にイチイが豊富にあるので、道東に鉛筆工場が建てられました。この眞崎仁六が三菱鉛筆の創業者で、社名は「三菱」でマークもスリーダイヤですが三菱グループとは無関係です。
その後、イチイの入手が難しくなって、先日トーテムポールでご紹介した米国産のイースタンレッドシダー(別名エンピツビャクシン)が使われるようになり、さらに現在は前述のインセンスシダーが90%のシェアを占めるようになりました。
軽いこと、年輪とそうでない部分の硬さに差がなく削りやすいことが鉛筆の木に求められる条件。北海道で鉛筆を生産していた頃の名残りか、知床博物館では現在もイチイの鉛筆を販売しています。