樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

花と柳

2006年10月10日 | 木と文化
日本舞踊には「花柳(はなやぎ)流」という流派があります。また、色街のことを「花柳(かりゅう)界」と言いました。
「花柳」は赤い花と緑の柳を並べて美しいことの例えに使う言葉で、中国の詩にも美しい風景の描写に「花柳」がよく登場するそうです。花柳→美しい→美女→芸者・遊女と転化して、いつしか色街を意味するようになったのでしょう。
日本初の公認の遊廓は京都の島原にありました。現在は西本願寺の西にありますが、最初は二条柳馬場(京都市街のほぼ真ん中)に置かれて「柳町」と呼ばれました。その後、六条三筋町(東本願寺の北側)に移され、さらに現在の場所に移されたのです。
その移転が九州の島原の乱の直後だったので、その騒動になぞらえて「島原」と呼ぶようになったそうです。

         
          (島原の「出口の柳」)

以前から、「島原」という地名は京都の他の地名と匂いが違うなあと思っていましたが、そういう事情があったんですね。
島原遊廓の正門にあたる大門には、現在も「出口の柳」が植えてあります。これは、二条柳馬場にあった頃からの遺風で、何度か植え替えられながら現在も立っています。
江戸の吉原にも「見返り柳」があり、それは島原の「出口の柳」を模したものだそうです。また、大阪には柳小路という遊廓が、九州の博多にも柳町という色街があったそうですが、多分、京都の二条柳馬場の「柳町」がルーツになっているのでしょう。

コメント (2)
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