「木の名のガセビア」シリーズで由来を疑ってばかりいたので、その罪滅ぼしに、木の名前に関する面白いトリビア(無用の知識)をご紹介します。
エノキはあちこちに大木が残っています。街道の一里塚として植えられ、旅人に木陰を提供していたので、現在まで大切に残されたのでしょう。
写真は、京都府自然200選に選定されている木津川沿いのエノキ。京都と奈良を結ぶ奈良街道の一里塚だったと思われます。
エノキが一里塚に使われた経緯について、次のような記録が残っています。
「御三代目将軍家光の時、行く先も行く先もみな松原のみにて、旅人の退屈せん事を思んぱかり、一里塚には余の木を植えさせよと仰有しを、大炊頭殿(ある家来)老年にて耳遠くおわしければ、余の木を榎の木と聞き誤って榎の木を植えしめらる」。
徳川家光が、「一里塚がマツばかりでは旅人が退屈だから、余の木(よのき=他の木)を植えるように」と言ったのを、耳の遠い家来が「エノキ」と聞き間違えた、というのです。
(葉の上半分に鋸歯があるのと3つに分かれる側脈がエノキの葉の特徴)
私自身も少し耳が遠くて、鳥を見に行っても小鳥の高い音が聞き取れなくて苦労するのですが、こういうユル~イ話は大好きです。
エノキはあちこちに大木が残っています。街道の一里塚として植えられ、旅人に木陰を提供していたので、現在まで大切に残されたのでしょう。
写真は、京都府自然200選に選定されている木津川沿いのエノキ。京都と奈良を結ぶ奈良街道の一里塚だったと思われます。
エノキが一里塚に使われた経緯について、次のような記録が残っています。
「御三代目将軍家光の時、行く先も行く先もみな松原のみにて、旅人の退屈せん事を思んぱかり、一里塚には余の木を植えさせよと仰有しを、大炊頭殿(ある家来)老年にて耳遠くおわしければ、余の木を榎の木と聞き誤って榎の木を植えしめらる」。
徳川家光が、「一里塚がマツばかりでは旅人が退屈だから、余の木(よのき=他の木)を植えるように」と言ったのを、耳の遠い家来が「エノキ」と聞き間違えた、というのです。
(葉の上半分に鋸歯があるのと3つに分かれる側脈がエノキの葉の特徴)
私自身も少し耳が遠くて、鳥を見に行っても小鳥の高い音が聞き取れなくて苦労するのですが、こういうユル~イ話は大好きです。