昔の音楽家の生涯を調べていてよく出くわすのが手紙。「誰それにはたぶんこのような内容のことを書いたと思われるが、現存しない」という記述をよく目にする。
自筆で書いた手紙は世界でひとつしかない。だからその手紙が残るか否かは、手紙をもらった人がそれをどう扱うかによって決まってくる。必要であれば保存するだろうし、いらないと思えば直ちに捨ててしまうだろうから。
ところが、電子メールの普及している現代では事情が異なる。周知の通り、メールは送り手と受け手の両方が同じものを所有するからだ。メールをもらった人が「こんなメール、いらん!」と思って削除しても大丈夫。送り手のほうがそれを保存していれば「手紙の散逸」という最悪の事態は防ぐことができるからだ。
もっとも、電子メールの場合、それが本人の書いたものかどうかという疑問は消えない。メールのヘッダなどの情報で本人かどうかの確認はできるかもしれない。しかし自筆でないので、いくらでもゴマカシができるような気もする。
恐ろしいのは何らかのトラブルで送り手と受け手のメールが全消失してしまうこと。自筆の手紙の場合は、数枚にわたって書かれた便箋の一部が消失するケースもあるが、メールだとそうはいかない。全部があるか、ないか、である。そう考えると、未来の研究者たちは現代の音楽家のバイオグラフィーをどうやって作成するのだろうか。果たして大丈夫なのだろうか。
往年の春日三球のネタじゃないが、それを考えると夜も眠れなくなる。
自筆で書いた手紙は世界でひとつしかない。だからその手紙が残るか否かは、手紙をもらった人がそれをどう扱うかによって決まってくる。必要であれば保存するだろうし、いらないと思えば直ちに捨ててしまうだろうから。
ところが、電子メールの普及している現代では事情が異なる。周知の通り、メールは送り手と受け手の両方が同じものを所有するからだ。メールをもらった人が「こんなメール、いらん!」と思って削除しても大丈夫。送り手のほうがそれを保存していれば「手紙の散逸」という最悪の事態は防ぐことができるからだ。
もっとも、電子メールの場合、それが本人の書いたものかどうかという疑問は消えない。メールのヘッダなどの情報で本人かどうかの確認はできるかもしれない。しかし自筆でないので、いくらでもゴマカシができるような気もする。
恐ろしいのは何らかのトラブルで送り手と受け手のメールが全消失してしまうこと。自筆の手紙の場合は、数枚にわたって書かれた便箋の一部が消失するケースもあるが、メールだとそうはいかない。全部があるか、ないか、である。そう考えると、未来の研究者たちは現代の音楽家のバイオグラフィーをどうやって作成するのだろうか。果たして大丈夫なのだろうか。
往年の春日三球のネタじゃないが、それを考えると夜も眠れなくなる。
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