年に一度のインターバルで、ある雑誌から原稿の依頼がある。嬉しいことであり、またありがたいことでもある。ところが先日送られて来た見本誌を確認したら、何と脱字を発見! それが次の写真。
「オーケストレーション」と書くところが「オーケストーション」となってるではないか。あっちゃー、「レ」が抜けてる。は、は、恥ずかしい。一体、編集者は何をしてるんだ! 原稿のチェックすらしないのか…。
そういえば、ワシが昔から一緒に仕事をしてきた編集者はそのほとんどが優秀で、出した原稿に対して容赦ないチェックを入れてくれたものだった。提出する直前に「ここんところはツッコミが来るかもしれんな」と思っていると、案の定「表現がよくわかりませんのでご検討を」と突き返してくる。
さすがとしか言いようのないリターン。そうした編集者と仕事するのは毎回緊張するけれど、相手を信頼できるのでこちらとしては安心していられる。また鋭いツッコミをされることがわかっているから書くほうも手を抜けない。その意味では表現する上での良い勉強だとも思っている。だから書き直しや再考するのは面倒臭いが、反面で楽しい。
ところが、近年原稿依頼する側(敢えて編集者とは呼ばない)のなかには「編集作業」をまともにしない奴が増えてきたような気がしてならない。特に若年の依頼者にはその傾向がある。仮にツッコミがあったとしてもその指摘がトンチンカンだったりして苦笑せざるを得ないこともしばしば。
酷いケースは著者校すら送ってこない。著者校というのは実際の印刷をする前に著者へ「ゲラ」(仮印刷したもの)を送り、書いた本人にチェックしてもらうプロセスのこと。もしその段階で変更するところがあれば著者の権限で訂正させることができる。鋭い編集者はこの段階で的を射た質問・疑問をゲラに書き込んでくる。こうしたプロセスを経て雑誌もしくは書籍は商品として店頭に並ぶわけだ(実際にはもっと多くのプロセスがあるが、ここでは省略)。
いずれにしても、原稿は書いた著者はもちろんのこと、編集者や用語専門の校正者などの「目」を経て結果的にクオリティの高いものになってゆく。でも依頼者が原稿をチェックしなかったり、著者校を送らぬまま商品になったら、必ずどこかで誤字、脱字、もしくは不適切な表現となる。冒頭のワシのケースはまさにそれ。
だから、編集者と名乗る限りはきちんと「編集作業」をすべきなのだ。送られてきた原稿をそのまま印刷所に転送するだけなら何も編集者がやらなくてもよいのだし。いくら著者の原稿を尊重するという考えから原稿内容をいじらないという方針が仮にあったとしても、それとこれは別問題。
というわけで、ちょいとクレームの電話をしてやろうかと思った矢先、ふとあることに気づく。待てよ、もしその依頼者がワシの原稿をチェックしないまま印刷所に転送したとしたら今回の脱字はワシが送った原稿にそもそも問題があったのかもしれない。
で、念のため確認してみたら…
あひゃひゃ、オリジナルが打ち間違っとるではないか! うーむ、これは明らかにワシのチェック・ミスである。メールで送る前にじっくり確認するのを怠った結果がこういう形で出たというわけだ。もちろんクレームの電話は取りやめ。
依頼者がチェックせず、ゲラも送ってこないのであれば、まずはこちらがしっかりせねばならんのだなぁ。以前よりわかっていたことだが、今回改めて認識させられた次第。反省および感謝。
「オーケストレーション」と書くところが「オーケストーション」となってるではないか。あっちゃー、「レ」が抜けてる。は、は、恥ずかしい。一体、編集者は何をしてるんだ! 原稿のチェックすらしないのか…。
そういえば、ワシが昔から一緒に仕事をしてきた編集者はそのほとんどが優秀で、出した原稿に対して容赦ないチェックを入れてくれたものだった。提出する直前に「ここんところはツッコミが来るかもしれんな」と思っていると、案の定「表現がよくわかりませんのでご検討を」と突き返してくる。
さすがとしか言いようのないリターン。そうした編集者と仕事するのは毎回緊張するけれど、相手を信頼できるのでこちらとしては安心していられる。また鋭いツッコミをされることがわかっているから書くほうも手を抜けない。その意味では表現する上での良い勉強だとも思っている。だから書き直しや再考するのは面倒臭いが、反面で楽しい。
ところが、近年原稿依頼する側(敢えて編集者とは呼ばない)のなかには「編集作業」をまともにしない奴が増えてきたような気がしてならない。特に若年の依頼者にはその傾向がある。仮にツッコミがあったとしてもその指摘がトンチンカンだったりして苦笑せざるを得ないこともしばしば。
酷いケースは著者校すら送ってこない。著者校というのは実際の印刷をする前に著者へ「ゲラ」(仮印刷したもの)を送り、書いた本人にチェックしてもらうプロセスのこと。もしその段階で変更するところがあれば著者の権限で訂正させることができる。鋭い編集者はこの段階で的を射た質問・疑問をゲラに書き込んでくる。こうしたプロセスを経て雑誌もしくは書籍は商品として店頭に並ぶわけだ(実際にはもっと多くのプロセスがあるが、ここでは省略)。
いずれにしても、原稿は書いた著者はもちろんのこと、編集者や用語専門の校正者などの「目」を経て結果的にクオリティの高いものになってゆく。でも依頼者が原稿をチェックしなかったり、著者校を送らぬまま商品になったら、必ずどこかで誤字、脱字、もしくは不適切な表現となる。冒頭のワシのケースはまさにそれ。
だから、編集者と名乗る限りはきちんと「編集作業」をすべきなのだ。送られてきた原稿をそのまま印刷所に転送するだけなら何も編集者がやらなくてもよいのだし。いくら著者の原稿を尊重するという考えから原稿内容をいじらないという方針が仮にあったとしても、それとこれは別問題。
というわけで、ちょいとクレームの電話をしてやろうかと思った矢先、ふとあることに気づく。待てよ、もしその依頼者がワシの原稿をチェックしないまま印刷所に転送したとしたら今回の脱字はワシが送った原稿にそもそも問題があったのかもしれない。
で、念のため確認してみたら…
あひゃひゃ、オリジナルが打ち間違っとるではないか! うーむ、これは明らかにワシのチェック・ミスである。メールで送る前にじっくり確認するのを怠った結果がこういう形で出たというわけだ。もちろんクレームの電話は取りやめ。
依頼者がチェックせず、ゲラも送ってこないのであれば、まずはこちらがしっかりせねばならんのだなぁ。以前よりわかっていたことだが、今回改めて認識させられた次第。反省および感謝。
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