いや、どーも、ワシです。今回は福島県郡山市田村町金沢(たむらまちかねざわ)にある阿武隈川水系の金沢調整池を訪れます。アクセスは国道49号沿いにある郡山市立守山小学校近くのT字路を入り、しばらく行くと郡山東部広域農道の交差点があるので高倉方向へ。そのまま進み、道路沿いの「金沢」と記されたミラーのあるT字路を右折して道なりに行くと目的地の右岸に到着します。
まずはダム下から見た「ご尊顔」をご覧ください。こうして見ると風貌は調整池というより治水ダムですね。
右岸のダム横に向かいます。坂を登って最初に目にするのが郡山市東部土地改良区の建物。
国営郡山東部竣工記念碑の石碑。石碑には東部地区総合農地開発事業の経緯が記されています。その内容を要約すると次の通り。
1958年と1969年に発生した大旱魃をきっかけに三春ダムの築造計画が進められるなか、東北自動車道も開通したことにより食料供給地帯として地理的有利性が高まり、早期の開発が期待された。そこで農業生産性の向上と安定した農業経営実現のため国営郡山東部地区総合農地開発事業が1959年に着手。これにより金沢調整池および高柴調整池の築造をはじめ、農地造成や区画整理、さらには用水路の整備などが行なわれた。
石碑には平成14年(2002年)2月とあるので同開発事業はその頃に完了したと思われます。
そして近くには金沢調整池の概要を説明した案内板。これによると同調整池は南部地区(高倉、谷田川、下枝)の農業用水を確保するため三春ダムから取水し貯留する目的で築造されたものだそうです。なるほど、だからダムというより調整池という名称なんですね。
とはいっても、ご覧の通り、見た目は完全にダム。右岸の下流側から見ると、こんな感じ。
また貯水側から見ても、やはりダムにしか見えません。
いわゆるダム上の親柱に相当する場所には2001年3月竣工とあり、金沢調整池はこの頃に完成したと思われます。その上には「花かつみ」と記された図版。「花かつみ」は学名をヒメシャガと言い、古くは905年に編纂された『古今和歌集』の<恋四・六七七>によみ人知らずの作品として「みちのくのあさかのぬまのはなかつみかつみるひとにこひやわたらむ」として登場しています。
さらに松尾芭蕉(1644-1694)は1689年に弟子の河合曾良(かわいそら:1649-1710)とともに安積山(あさかやま)ー現在の郡山盆地と猪苗代湖の間に位置する額取山(ひたいとりやま:標高1,009m)ーを訪れ、幻の花とされた「花かつみ」を探し歩いたことが『奥の細道』(1702年刊)に記されています。その「花かつみ」は1974年に郡山市の花に制定され、この親柱に描かれているというわけですね。(参考)
さて、これがダム上になります。歩いてみましょう。
ダム上、中央から見た調整池の様子。
ダムの真下は、こんな感じ。
そして下流側の遠景。
ダム上の欄干には「カッコウ」と「山桜」という二種類の図版が貼られています。「カッコウ」は郡山市の鳥で、「山桜」は郡山市の木なのだそうです。(参考)
対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。
左岸の調整池側から見た様子。
一方、下流側から見ると、こんな感じです。うん、やはり見た目はダムですね。
「花かつみ」については全く知らなかったので、良い勉強になりました。
まずはダム下から見た「ご尊顔」をご覧ください。こうして見ると風貌は調整池というより治水ダムですね。
右岸のダム横に向かいます。坂を登って最初に目にするのが郡山市東部土地改良区の建物。
国営郡山東部竣工記念碑の石碑。石碑には東部地区総合農地開発事業の経緯が記されています。その内容を要約すると次の通り。
1958年と1969年に発生した大旱魃をきっかけに三春ダムの築造計画が進められるなか、東北自動車道も開通したことにより食料供給地帯として地理的有利性が高まり、早期の開発が期待された。そこで農業生産性の向上と安定した農業経営実現のため国営郡山東部地区総合農地開発事業が1959年に着手。これにより金沢調整池および高柴調整池の築造をはじめ、農地造成や区画整理、さらには用水路の整備などが行なわれた。
石碑には平成14年(2002年)2月とあるので同開発事業はその頃に完了したと思われます。
そして近くには金沢調整池の概要を説明した案内板。これによると同調整池は南部地区(高倉、谷田川、下枝)の農業用水を確保するため三春ダムから取水し貯留する目的で築造されたものだそうです。なるほど、だからダムというより調整池という名称なんですね。
とはいっても、ご覧の通り、見た目は完全にダム。右岸の下流側から見ると、こんな感じ。
また貯水側から見ても、やはりダムにしか見えません。
いわゆるダム上の親柱に相当する場所には2001年3月竣工とあり、金沢調整池はこの頃に完成したと思われます。その上には「花かつみ」と記された図版。「花かつみ」は学名をヒメシャガと言い、古くは905年に編纂された『古今和歌集』の<恋四・六七七>によみ人知らずの作品として「みちのくのあさかのぬまのはなかつみかつみるひとにこひやわたらむ」として登場しています。
さらに松尾芭蕉(1644-1694)は1689年に弟子の河合曾良(かわいそら:1649-1710)とともに安積山(あさかやま)ー現在の郡山盆地と猪苗代湖の間に位置する額取山(ひたいとりやま:標高1,009m)ーを訪れ、幻の花とされた「花かつみ」を探し歩いたことが『奥の細道』(1702年刊)に記されています。その「花かつみ」は1974年に郡山市の花に制定され、この親柱に描かれているというわけですね。(参考)
さて、これがダム上になります。歩いてみましょう。
ダム上、中央から見た調整池の様子。
ダムの真下は、こんな感じ。
そして下流側の遠景。
ダム上の欄干には「カッコウ」と「山桜」という二種類の図版が貼られています。「カッコウ」は郡山市の鳥で、「山桜」は郡山市の木なのだそうです。(参考)
対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。
左岸の調整池側から見た様子。
一方、下流側から見ると、こんな感じです。うん、やはり見た目はダムですね。
「花かつみ」については全く知らなかったので、良い勉強になりました。