ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

伴奏者の役割

2006-05-10 07:01:15 | 音楽あれこれ
昨日はヴァイオリンのリサイタルへ出かけた。このヴァイオリニストは2、3年前に来日した時に聴いてスゴイなと思ったので「感動よ、ふたたび」という思いで行ったのである。確かにボーイングのテクニックは相変わらずだったし、時折「魅せるポーズ」も健在だった。

このポーズは左膝を内側へ寄せることで結果的に左足の裏を見せるというチョット色っぽいもの。もちろんこのヴァイオリニストは男性なので、そのポーズは女性のもつ色気とは違う。オカマではないとは思うが、とにかく演奏中に瞬間的に見せるそのポーズはとても印象的だ。

問題なのはピアニストのほう。どんな作品でもほとんどペダルを使用しないのがこの人の美学らしい。まあ、それがイカンというのではない。そういう解釈があっても構わないと思うから。

でも曲目は19世紀後半から20世紀前半のロシアの作品。モーツァルトやハイドンならともかく、作品の性格上、場合によってはゴリゴリ、ドロドロした表現があっても一向に不思議ではない作品だらけだ。そういう作品なのに、まるで豚の角煮から脂分を完全に除去しちまったかのような演奏はどうなんだろう。旨味が全く消えちまってるわけだし。

このピアニストの演奏でマズイのは「対話」ができないこと。伴奏者というのはカラオケ装置じゃない。ソリストとの丁々発止のやりとりがあるからこそ作品は魅力的に聴こえるものなのだ。だから伴奏者が黒子である必要はどこにもない。

作品のなかでピアノが出なければならない時にはあらゆる方法を駆使してでも「歌う」必要がある。それをしないとソリストばかりが目立ってしまい、作品の良さはおろか演奏の魅力も半減してしまう。だいたい単一の音色でしか弾かないというのがそもそも「?」という感じなのだが…。

ならば黒子に徹していたのかというとそうでもないから始末が悪い。演奏中は黒子でも、ステージの袖からの出入りではヴァイオリニストを引き立てるというわけでもなく、その時はまるで「アタクシたちは、ともに主役ですから!」みたいな振舞い。

おいおい、だったら拮抗するような演奏をしろよ、と小1時間…。
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